服部小平太の名前が最初に出てくるのは『桶狭間の戦い』 よく知られている『服部小平太(はっとりこへいた)』というのは通称で、正式には『服部一忠(はっとりかずただ)』といいます。『春安(はるやす)』、『忠次(ただつぐ)』という名前で載っている文献もあるようですので、一時期そう名乗っていたとも考えられています。 いずれにしても同一人物です。生まれた年は不明ですが、尾張の国の「津島(つしま)」あたりの出身であったといわれています。津島といえば、「津島湊(つしまみなと)」という交通の要衝があり、ここでの交易が織田家の財政を潤わせていたという重要拠点です。 その辺りで育った小平太は、若い頃の織田信長の遊び仲間であったと伝えられています。体が大きい上に力が強く、運動神経は抜群でした。信長と年も近かったのでしょう。気心が知れた仲というのもあったのでしょうか、信長の側近である「馬廻り(うままわり )」として