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ブックマーク / kaikai00.hatenablog.com (77)

  • 禁止や規制の前に - 今日行く審議会

    政府の教育再生懇「小中学生に携帯持たせるな」報告盛り込みへ 規制や禁止をいう大人より,物わかりの良い大人より,きちんと子どもと話せる大人がいいと思う。 子どもに携帯電話を持たせるときに,それを持つことで,どういうメリットやデメリットがあるのか,どこまでは自由にできるのか。どこから大人が関与するのか。そういうことをまず子どもと話をしてみたらいい。 そういうプロセスを経なかったり,軽視しておいて,問題が起こると禁止や規制をしようということが前面に出てくる。禁止や規制の前に,子どもときちんと話をするプロセスをもっと大事にしたり,重視すべき。 こういうことを書いていると,安易に携帯電話を持たせることに賛成なんだと誤解されそうだけど,それは違う。必要がないのに持たせる必要はない。持たせるかどうか,持つかどうかはそれぞれに話をして納得できる形で決めていけばいいと思う。 こういうことに一律の規制や禁止を

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    zyugem
    zyugem 2008/05/18
  • 「公教育」の意味をきちんと考えること - 今日行く審議会

    橋下大阪次期知事が大胆提案、学力別クラス編成導入を 前にも書いたけれど,「学力向上」というのがつくと「それはいいじゃないか」で議論もまともになされずに進んでいく。これもそうなるのだろうか。 http://blog.goo.ne.jp/madographos/e/04b01300db0fabd6efb5bbd23f7909acでmadographosさんが,「公教育」について述べられ,私立学校への誤解を指摘されている。 今回の橋下氏の提案は,単に教育の私益化を推進するだけであり,「公教育」の意味を誤解したものだ。 以前,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20060824/1156376251で教育の公共性について 教育の公共性の根元は、公的な機関が運営するシステムだからではない。教育は私益のために存在するのではなく、公益のために存在するもの だということを書いた。

    「公教育」の意味をきちんと考えること - 今日行く審議会
  • 政治介入の手段である教科書検定制度を批判しないのはなぜか - 今日行く審議会

    【正論】集団自決と検定 高崎経済大学教授・八木秀次 教科書検定は学習指導要領や教科書検定基準などすべて法令に基づいて行われている。数を頼んだ政治運動によって、法令に基づいた検定結果が捻(ね)じ曲げられるのであれば、教育法の趣旨に大きく背馳(はいち)する。昨年12月に改正された教育法は「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」(第16条第1項前段)と規定している。教育が、教育行政を含めてすべて法令に基づいて行われるべきものであるという法治国家として当然のことを規定したものだが、政府が教科書会社の自主訂正を容認する形であれ、事実上、検定意見を撤回するのであれば、明らかにこの規定に反する。政府が率先して法令を無視する形で「政治決着」をするのであれば、教職員に法令遵守(じゅんしゅ)を求めた教育法同条はもはや死文と化し、教育界を再び無

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    zyugem 2007/10/25
  • こちらのトリックも何とかしないとね - 今日行く審議会

    【正論】集団自決と検定 拓殖大学教授・藤岡信勝 “トリック報道”で世論誘導 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070623/1182556847で城丸章夫氏が 一九五五年に日民主党が「うれうべき教科書の問題」というパンフレットを発行して以来、教科書に対する政治的圧力は日々に強化されてきている。いわゆる「偏向教育」という宣伝が巧みに推進され、この動きに呼応するかのように、文部官僚による教科書検定の強化と地方官僚による教科書採択の自由への圧迫が強化されていると言われている。検定された教科書を「偏向」呼ばわりすれば、執筆者ではなく文部大臣が「偏向」の非難を受けねばならないはずであるが、政治的宣伝は根気よくつづけられてきた。つまり、書いてあることは「偏向」ではないが、執筆者が偏向しており「アカ」だというのである。そしてこの傾向の仕上げとなったのが、教科書検定官によ

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    zyugem 2007/10/24
  • 教員を育てることを軽視している - 今日行く審議会

    指導力不足教員 まだまだ「氷山の一角」なのでは(9月14日付・読売社説) 教員の質の確保のために、人事管理は厳格に行ってもらいたい。 問題の根幹はこの言葉にある。指導力不足であると教員の大半が認定されても教員の質は向上しない。その理由は明白。この社説のいう「人事管理の厳格化」は教員を育てることを前提としないからだ。 数日前から指導力不足教員に何人認定され,認定された教員が何人現場復帰したかというような記事が目につき始めた。それらの記事に共通するのは,現場復帰した教員が少ないことだ。それが示すのは,教員を育てない研修を実施し,その結果として現場復帰できない教員が多いということ。また,指導力不足とされるような教員がなぜ生まれるのか。その問題には目を向けない。 指導力不足の教員が人事管理の強化や免許更新制では解決できないことは,子どもの学力の場合を考えればわかりやすい。学力テストを実施しても評定

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    zyugem 2007/09/15
  • 振り子がまた極端に逆の方に振れていく - 今日行く審議会

    都道府県の位置、小学で暗記 今度は「知識」だそうで,今回も相変わらず極端に振り子が振れている。そうして,必要な議論は行われず,解決すべき問題は棚上げに。なんて短絡的な教育政策だろうか。 もう,この際だから何もかも元に戻せばいい。元に戻してその後は・・・?駄目ならまた元に戻るでしょ。こういう感じで中教審の委員の皆さん,教育再生会議の皆さん。あなたたちの考える教育政策とは実に簡単で良いですね。 もうPISAの調査結果など気にする必要もない。日はPISAとは異なる道を歩み始めたのだから。「日独自の学力」でやっていけばいい。日は「学び」より「知識」が何より大事ですと。 こうして冗談のように書いているけれど,それでは駄目なので書いておく。 振り子が極端に逆の方に振れ始めている。必要な検証も議論も欠いたまま。いつになったらこうした悪弊から抜け出すのか。「「ゆとり教育」からの脱却」なるものの安易さ

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    zyugem 2007/09/13
  • 彼らは何を問うているか - 今日行く審議会

    http://www.nhk.or.jp/bsdebate/0708/index.html 8月26日にBSで「いじめとどう闘うか」というテーマでディベートをするという。出演者は内藤朝雄氏,戸田忠雄氏,尾木直樹氏,藤原和博氏。出演者の主張も読める。内藤朝雄氏,戸田忠雄氏,尾木直樹氏,藤原和博氏。 一番私の考えに近く,賛同するのは内藤朝雄氏の主張。学級などの既存の制度をきちんと問い直しているから。一番私の考えから遠く,賛同できないのは,戸田忠雄氏の主張。いじめの問題についてまともに考察せずに的外れな主張を行っているから。 いじめの問題は,こうやるのが正解というのはない。だったら,きちんと問うべきことを問うというところから始めるべきではないか。そのためには,既存の制度(学級や学校)なども問い直す必要がある。 よく,いじめの問題に「こうやればこうなる」式の解決方法を示されることがある。そういうも

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    zyugem 2007/08/16
  • ドンキホーテな教育論 - 今日行く審議会

    【正論】激震、参院選 京都大学経済研究所所長・西村和雄 西村氏だけではないけど,「ゆとり教育理念」なるものや「ゆとり教育」が一貫したものであるかのように捉えられている。しかし,「ゆとり教育」は行き当たりばったりの教育政策の結果に過ぎないのであって「ゆとり教育」という一貫した明確な理念は存在しない。 よく「ゆとり教育」をイデオロギーのように捉え,それを排除すればよいと言う主張があるが,「ゆとり教育」と言うものはいったい何で何がゆとり教育ではないのか。そういうものを排除せよと言って何を排除するというのか。「ゆとり教育」も「新学力観」も様々な人がそれぞれの考え方を述べて,それが様々な教育政策として現れてきたに過ぎない。 「ゆとり教育からの脱却」と言えば,それだけで何かが変わる,現状が変わると思いがちだが,「ゆとり教育からの脱却」と言っているものは白を黒に変える,表を裏に変えるということでしかない

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    zyugem 2007/08/05
  • 戦後レジームからの脱却 - 今日行く審議会

    教育の世界で「常識」として語られていることはどれも「戦後レジーム」のなかで生み出されてきたものだ。「ゆとり教育」「反ゆとり教育」,「日教組」「反日教組」は戦後レジームの中で出てきたもの。これらは戦後レジームと切り離して存在し得ない。 それら全てから脱却しない限り,教育の世界では戦後レジームから脱却することはできない。教育の世界で言われている戦後レジームからの脱却は,コインの表と裏をひっくり返しているだけ。どこにも表と裏以外の新しい面は出現していない。そして,いくら今の状態が強固に見えてもコインはいつかまたひっくり返される。 戦後の教育がどういうものだったか,なんとなく語り尽くされているような気分になっている。でも,当にそうなのだろうか。実は一部だけを見て語り,そういう気分になっているんじゃないだろうか。戦後レジームからの脱却と言いながら,コインの裏側を見せているだけなのではないか。

    戦後レジームからの脱却 - 今日行く審議会
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    zyugem 2007/07/21
  • 排除のための道具か成長を促す仕組みか - 今日行く審議会

    授業公開 根強い抵抗感 この記事では,大学における授業研究が「大学教員にはもともと授業を公開すること」や「同僚に意見を聞く習慣」もなく,根付いていないと指摘している。 でも注目すべきは, 一方、授業研究会がリストラの道具として使われている大学もあるようだ。 ある地方の私立大学の50代の男性教授によると、大幅に定員割れが続いたことを受け、経営陣は数年前、「大学に必要な教員名」を明らかにした。以来、授業研究会では、そこから外れた教員がターゲットにされ、年度初めに決めた授業計画と少しでもずれると学部長らから「授業担当能力がない」と厳しく注意されるようになったという。 こうした内情を明かす男性教授も、所属ゼミの学生の就職がふるわなかったこともあって最近、解雇通告を受けた。 というところだ。 FDや教員免許更新制度,学力テストは来ならば「成長を促す仕組み」のはず。それがいずれも来の趣旨とは異なり

    排除のための道具か成長を促す仕組みか - 今日行く審議会
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    zyugem 2007/07/13
  • そろそろこういうの止めにしませんか - 今日行く審議会

    朝の“和派”「学校楽しい」 早起き、睡眠適度 千葉大教授ら小5調査 生活リズムに好影響 「早起きの子どもは学校が好きで楽しい」 3都県調査 これは、「これをべれば健康になれますよ。」っていうのと同じ。そのうち、「専門家」「研究者」がいろんなところに出てきて、何でもかんでも朝や早起きと結び付けて語りだすよ。もう、既にそういう状況なのかもしれない。子どもたちの状況はこんなに悪いんだと嘆いて、「朝を摂りましょう。」「早起きしましょう。」って言えば、それだけで立派な「教育評論家」「教育研究家」「教育専門家」だ。 あと、こういう記事や話には小さな字で「これは体験者の感想です。効果には個人差があります。」ってのをつけなきゃいけない。そして、効果が無いよって言われたら、「それはきちんとあなたがやっていないから効果が出ないんだ」って逆切れするのも忘れずに。 こういう話に対してはまともに反論する気が

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    zyugem 2007/05/29
  • マネジメントの観点からの教育再生研究会「教育改革の改革を―教育再生会議への7つの疑問」 - 今日行く審議会

    『世界』6月号2007年 マネジメントの観点からの教育再生研究会「教育改革の改革を―教育再生会議への7つの疑問」より以下一部転載。 1. はじめに 教育改革の議論はどうもかみ合わないものが多い。教育が目指すべき理想の人物像は人により異なり、また学校教育に対する認識も世代間で異なる。自らの体験に基づく個別論や、ワイドショーなどのメディアが伝える教育問題に基づく印象論が、往々にして教育改革の議論のベースになりがちである。教育論議は水かけ論や精神論、神学論争に陥りやすいのだ。自民党教育関係の会議に出ていると、時として個人的な体験談や思い出話をもとに国家の重要政策である教育政策が論じられることに驚く。 また、昨年の教育法改正の審議では、やたらと「愛国心」の扱いばかりが注目され、まるで教育論争よりもイデオロギー論争だった。こういったかみ合わない教育改革論こそが、日教育政策の混乱を招き、ひい

    マネジメントの観点からの教育再生研究会「教育改革の改革を―教育再生会議への7つの疑問」 - 今日行く審議会
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    zyugem 2007/05/20
  • 何でも教えればいいと考える教育万能主義者たち - 今日行く審議会

    教育再生会議:「道徳」を正式教科に 第1分科会で一致 政府の教育再生会議の第1分科会(学校教育)が29日、首相官邸で開かれ、道徳教育を小中高校を通じた「正式な教科」と位置付けることで意見が一致した。道徳教育は現在、絶対評価(小学3段階、中学5段階)の対象外だが、将来は対象に加える方向で検討し、5月に出す第2次報告に盛り込む。 学校っていうのは、ものすごく窮屈なものだと思う。学校は、「正解」「善なるもの」を「教えられる」ところであり、そこでは、何もかもアプリオリに与えられる。これが正解だ。これが善だ。これが正義だ。と「断定口調」で語られる。そんな窮屈な世界。 いっそ、窮屈な学校を捨てて外へ出たほうがいい。外の世界で、多様なものに出会い、様々な試行錯誤を繰り返して生きていくほうが、視野の広い、寛容性のある、しっかりした価値観を持った大人になると思う。 「私は価値観も規範も学校で習いました。あな

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    zyugem 2007/03/30
  • 総合的な学習の時間に対するこのような批判の愚かさ - 今日行く審議会

    先日の楽しい授業論に関するエントリーを書かないといけないのだけど、どうしても書いておきたいことがあるのでまた後日。 まず、Googleで「総合学習 日教組」というキーワードで検索してみてください。その検索結果の中に「総合的な学習の時間(総合学習)は日教組の提唱したもので、それを文部科学省が取り入れてできたものだ」というようなことが書いてあり、総合的な学習の時間を批判しているものがある。今回書きたいのは、そういう批判が愚かなことであるということ。 国立教育政策研究所が、「諸外国の「総合的学習」に関する研究」というのを出している。それを読んでもらうと分かるが、諸外国でも日の総合的な学習の時間と同じようなものがカリキュラムに取り込まれている。特に台湾などは、日の総合的な学習の時間と非常によく似たものをカリキュラムに取り入れている。 また、現在行われている総合的な学習の時間と同じようなものは、

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    zyugem 2007/03/14
  • 短絡的な見方だと思う - 今日行く審議会

    いじめ事例集「加害者出席停止は“効果”あり」も…文科省 文部科学省は15日の有識者会議で、いじめに対する教育現場の取り組み事例集を公表した。そのなかで、いじめの加害児童・生徒に対する「出席停止」について成果があったとされる事例が紹介されているが、具体的ないじめの内容については「個人情報保護」の観点から触れていない。このため関係者からは「出席停止適用の参考材料にはできない」と疑問の声も上がっている。 いじめの加害者を出席停止にしてうまくいった事例があると言うが、それによって教育再生会議の打ち出した方針が間違いではないということにはならない。 まず、加害者が誰で被害者が誰でとはっきりしない場合、この成功事例はなんら役に立たない。また、加害者や被害者がはっきりしたいじめは、短期的なものや構図を単純化してしまえばあるかもしれない。しかし、そういうものは実際には少ない。また、こうやって成功した事例集

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    zyugem 2007/02/16
  • 自画自賛するしかない教育再生井戸端会議 - 今日行く審議会

    【正論】国際教養大学理事長・学長 中嶋嶺雄 教育再生会議第1次報告を終えて 私自身も委員として討議に加わり、また同会議の運営委員も任じているけれど、毎回の論議は広く深く、そして熱を帯びたものだといってよい。 それにしても教育再生にかけようとする安倍首相の熱意と真摯(しんし)な姿勢には感心させられる。 それにしても教育再生会議をめぐる報道は、あまりにも事実と乖離(かいり)したものが多い。教育論議は誰もが一家言をもつ課題なので、多様な意見があるのは当然である。第1回総会では委員各人が3分ずつ意見を述べたのだが、それをすぐに「百家争鳴」とか「迷走」とか報道する。 第1次報告に関しても、それはあくまでも国民的論議のたたき台を提供したものである。しかし、マスメディアは総じて教育再生会議の動向を批判的に報じ、ひいては当面の政治がらみで安倍政権のマイナスイメージを増幅しようとする記事が多い。 このように

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    zyugem 2007/02/16
  • 落とし穴に落っこちてみた - 今日行く審議会

    【正論】高崎経済大学教授・八木秀次 改正教育法の落とし穴に要注意 [asin:4887131925:detail] この中でアップルは次のように指摘している。 カリキュラムは、国の行政文章及び教科書といったテクスト(texts)あるいは教室における実践という形で、なんらかの経験を経て姿を現すが、それは単なる価値中立的な知識の集合では決してない。カリキュラムはいかなる時も、ある誰かの選択、ある集団の見方に基づく正統的知識つまり選択的伝統の中核的な部分を構成しているのである。またそれは、一つの国の国民を組織したり解体したりする、文化的・政治的・経済的な葛藤、緊張、及び妥協の産物でもある。(中略)ある特定の集団の知識を最も正統である、つまり公的知識であると認定することは、一方で他の集団の知識が日の目を見ないでいることを意味する。このことを考えると、何が公的知識であるかという決定は、誰が社会的

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    zyugem 2007/02/13
  • マスコミの悪質な印象操作 - 今日行く審議会

    いじめ対策の報告わずか 日教組教研集会 日教組(日教職員組合)の第56次教育研究全国集会が10日、約4000人の組合員を集め、大分県内で始まった。集会ではグループ学習で共同体感覚を培い、いじめ解消につなげた事例が1件報告された。だが今回、現場から集められた約800の教育実践報告のうち、いじめ対策に関するものはほとんどなかった。 こう書くことで、日教組はいじめ問題に取り組んでいないという印象を読者に与えようとしている。こういう報道が教育の現場を混乱させ、日常いじめの問題に取り組んでいる教員のやる気を削ぎ、対応を難しくする。 【主張】日教組教研集会 時代錯誤の議論いらない で産経新聞は、 日教組(日教職員組合)の教育研究全国集会(教研集会)が10日から12日まで大分県で開かれる。各地の教組からの授業の実践事例などの報告をみると、教員評価制度など教育委員会が進める教育改革に反対する事例が目立

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    zyugem 2007/02/12
  • こういう報道が偏見や誤解を生み出す - 今日行く審議会

    【安倍政権考】ピッチ上げる教育改革 阿比留瑠比 こういう類の報道は教育のためにはならない。自分たちの自己満足のためにしかならない定番の日教組批判はご自由にどうぞと思うのだが、 いじめ自殺の多発や、高校の必修科目未履修問題、ゆとり教育による学力低下…。次々と明らかになる実態は、どれも教育現場の規範意識の欠如を示している。いずれも「志ある国民を育てたい」「すべての子供に必要な学力を身につける機会を保証する」と主張する安倍氏にとって、看過できない問題だ。 特に、この30年間で授業内容を段階的に半分にまで削り取ったゆとり教育と、それに伴い導入された総合学習の時間は「ともに、もともと日教組の政策だ。これに文部省(現文科省)が乗った」(小林正・元神奈川県教組委員長)とされる。 ゆとり教育の見直しに関しては、自民党文教関係議員にも抵抗が強いが、「47都道府県の位置も教えていないから、北海道の場所も知らな

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    zyugem 2007/02/09
  • 偏見と誤解に満ちた「正論」 - 今日行く審議会

    【正論】京都大学経済研究所所長・西村和雄 「ゆとり教育」見直しは人事一新から 西村氏は、 行き過ぎたジェンダー教育も、歴史教科書問題も、また音楽の教科書から童謡、唱歌を少なくして現代的なポップスを入れたりしたことで、日文化や情緒が子供たちに伝わらなくなったことも、指導要領、すなわち「ゆとり教育」の問題である。さらに、国語や英語の教科書で使われる文章の選び方で、子供が道徳的にも非道徳的にもなることは、中国の反日教育の効果をみればわかるであろう。 と述べているが、「ゆとり教育」に対するこのような見方や考え方は、偏見に基づくものであり、全くの間違いである。この程度の認識でさも教育についてよく知っている「有識者」の顔をして語るのは見ていて腹立たしい。 また、西村氏は、 再生会議の提言で見落とされた重要な点が1つある。それは平成14年4月から導入された絶対評価の弊害である。この絶対評価とは、テス

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    zyugem 2007/01/31