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ブックマーク / watashinim.exblog.jp (8)

  • 「論壇」の未来像――ひとつの仮説 | 私にも話させて

    論壇・雑誌ジャーナリズムの崩壊について前に書いたが、ところで、今後、こうした状況に物書きたちはどう対処していくのだろうか。大手紙の「論壇時評」のようなものは終わってくれるのだろうか。下手をすると2年後くらいには、『文藝春秋』と『WILL』とどうでもいい左翼同人誌くらいしか残っていない可能性すらあるのだから。 実は、物書きたちは、状況への対処法を編み出しつつあるのではないか、というのが私の推測である。それは、群れる、ということである。 佐藤優が責任編集の『現代プレミア』(講談社)や、フォーラム神保町の魚住昭編集のウェブマガジンのように、このところ、佐藤優(やその周辺)が物書きを組織化するという試みが立て続けに起こった。これが興味深いのは、これらが、紙媒体の出版活動がメインであることを標榜しつつも、ウェブでの展開に重点を置こうとしていることである。 多分、この辺の人びとは、出版・書籍・活字メデ

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    zyugem
    zyugem 2009/05/19
  • 佐藤優氏から、公開質問状への回答が来ない/『週刊新潮』編集部とのやりとり | 私にも話させて

    前にも書いたように、2月25日の内容証明郵便で、早川清『週刊新潮』編集長宛に、添付した佐藤優氏への公開質問状(回答期日は3月11日)を渡すよう伝えたのだが、佐藤氏からの回答は、3月17日現在、来ていない。 後述のように、早川編集長は、私が送った文書を受け取っていないと主張しているのだが、私が佐藤氏に公開質問状を送り、ウェブ上で全文を公開していることを、佐藤氏が知らないはずはないと思う。ましてや佐藤氏は、公開質問状でも触れたが、「左右両翼からの批判について、公共圏で論じる必要がある問題提起には、投書への返信を含め、時間の許す範囲で誠実に対応してきたつもりである」(『世界認識のための情報術』金曜日、2008年7月刊、8頁)、『週刊金曜日』の「編集部経由で筆者に寄せられた照会についても、すべて回答している。筆者の反論に、批判者がどの程度、納得しているかわからないが、筆者としては誠実に回答している

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    zyugem 2009/03/19
  • 朝鮮総連の資産凍結について | 私にも話させて

    1. 麻生政権は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がミサイルまたは人工衛星を発射した場合、朝鮮総連の財産の凍結処分を行う方針を固めたという。 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090306/plc0903060120000-n1.htm この件に関しては、吉田康彦が早くにコメントを出し、「在日朝鮮人の生活と人権のさらに圧迫する非人道的措置」として批判している。だが、どうせ大多数の日の左派は黙認するだけだろう。 http://www.yoshida-yasuhiko.com/ それにしても、ついにここまで来たか、というのが第一報を聞いた感想である。朝鮮総連が何か犯罪を犯したから、という理由ですらなく、外交関係上の「国益」の観点から、資産を凍結するというのだ。在日朝鮮人の「人権」は、はじめから考慮の対象にすらなっていない。さらに言えば、これは吉

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    zyugem 2009/03/09
  • 私にも話させて : なぜ過去の罪を「天皇制」のせいにして「日本人」を救わなかったのか

    gskim2000@gmail.com   金光翔と申します。韓国国籍の在日朝鮮人三世です。1995年のマスコミ報道はオウム真理教一色だった。そのとき浪人生だった私が、報道の中で一番衝撃を受けたのは、当時読んだオウムの憲法案(だったと思う)に、「「日」という国号は、天皇統治と切り離せないため、国号を「真理国」と改める」(大意)という条文があったことである。 「日」という国号云々は網野善彦あたりの影響だろうが、私が驚いたのは、この「日」と呼ばれる「国」土の上で展開される運動で、「日」とは別の「くに」をつくることを志向する構想が存在しうるし、存在したことである。 さて、西尾幹二は、加害の罪に関する戦後ドイツ歴史認識について、「日では賞賛されているが、ドイツ人は過去の罪をヒトラーとナチスに押し付けて、自分たちを救おうとしているのだ」(大意)とよく語っている。『マンガ嫌韓流』にも、有名

  • https://watashinim.exblog.jp/8765227/

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  • 「戦後社会」批判から「戦後社会」肯定へ――2005・2006年以降のリベラル・左派の変動・再編について | 私にも話させて

    <1> 佐高信による佐藤優評価が180度変わり、それが正当化されていることが、ブログ「アンチナショナリズム宣言」2008年5月14日付記事で指摘されている。佐高の弁明に何ら説得力がないことは、そこで指摘されている通りであるが、私がここで取り上げたいのは、佐高の佐藤優評価の変容において、2005・2006年以降のリベラル・左派の変動・再編の最も重要な特徴点の一つが、観察できることである。 『金曜日』2005年6月10日号「読んではいけない」欄で、佐高は佐藤の『国家の罠』を取り上げて、次のように述べている。 「小泉政権の誕生により、日人の排外主義的ナショナリズムが急速に強まった、と著者は書く。しかし、それは小泉だけの責任ではなく、憲法の掲げる平和主義に基づく外交を積極的に展開してこなかった外務官僚の責任でもある。/国連の安全保障理事会の常任理事国になりたがり、そのことは必然的に核を保有するこ

    「戦後社会」批判から「戦後社会」肯定へ――2005・2006年以降のリベラル・左派の変動・再編について | 私にも話させて
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    zyugem 2008/08/01
  • アジア諸国からの「押し付け」としての憲法9条 | 私にも話させて

    憲法9条を理想化し、偶像視する言説は数多い。9条は人類の平和思想の理想が体現されている、9条は現代世界の進むべき方向性を提示している、と。現実の「平和憲法」体制は、韓国の徴兵制や沖縄の米軍基地とワンセットだと思うのだが、護憲派からは、「9条を輸出せよ!」という言葉まで聞こえてくる。今の護憲派は、暗黙のうちに、民主党や朝日新聞の軍事的国際貢献路線までも「護憲派」に数えているが、これも、「素晴らしい憲法9条を変えないでくれればそれでよい」という心性があるからである。 とはいえ、私も、「<佐藤優現象>批判」で何度も書いているように、改憲に反対する立場では護憲派と同じだ。ただし、後述するように、それは朝鮮人、一アジア人としてであって、日人と同じ立場からではない。 さて、私の疑問は、憲法9条とは、もっと散文的なものではないか、ということである。憲法9条は、崇高な平和思想に源流をおくものなのだろうか

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    zyugem 2008/07/28
  • 『週刊朝日』見出し「いい加減にしろ! 韓国人」 | 私にも話させて

    昨日、『週刊朝日』の最新号(2008年8月1日号。7月22日売)の吊革広告を見て驚いた。「竹島問題 なんと80%が反日だと」という小見出しの後、以下の見出しがでかでかと書かれている。 「いい加減にしろ!韓国人」 ここまで直球だと、『諸君!』、『正論』、『Will』ほかの並みいる右翼雑誌をすっ飛ばして、<マンガ嫌韓流>(しかも初期の)である。「平和」や「人権」を口にするリベラル系のマスコミ業界人が、私的な場で平然と差別発言を行う光景は、これまで何度も見てきたから、『週刊朝日』編集部が人種差別に親和的な心性を共有していても別に驚かない。ただ、「リベラル」を標榜する朝日新聞系列のメディアが、こうした民族差別、レイシズムそのものの見出しにゴーサインを出したというのは、やはり一つの事件であろう。 なぜかその記事の実際のタイトルは、「いい加減にしろ!韓国人」ではなく、「なんと80%が「反日」・・・いま

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    zyugem 2008/07/23
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