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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (14)

  • 笑い vs. イノベーション: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「笑う」という態度を保てるのは強い。最近になって、そんなことを強く感じるようになりました。 お笑い番組などをみたり馬鹿話にげらげら笑うというのではなく、目の前で起きていることを肯定的に受け入れて笑えるような笑い。目の前で起こる事柄を否定する怒りや不満の表情に対して、多少の問題があってもそれを受け入れて肯定できる笑い。そういう笑いができる精神性や社会性の強さについて考えるようになっています。 そんなことをあらためて考えていたので、実際、ある機会に「笑顔」のもつ魅力や強さについてお話させていただいたりもしました。 そういう考えが頭にあったからでしょうか。昨日までニューカレドニアに1週間ほど行っていたのですが、そこでも目に焼き付いたのはメラネシアの人びとの笑顔でした。 フランス領

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    massunnk 2012/04/24
    笑い vs. イノベーション:DESIGN IT! w/LOVE
  • 経済物理学の発見/高安秀樹: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 タイトル: 経済物理学の発見 コメント: う~ん、まだ、いまいち消化しきれてませんが、こんなこと言ってる立場でもあるので、スピード重視で取り急ぎ書評。 エコノフィジックス(経済物理学)とは?このはエコノフィジックス(経済物理学)の入門書といえるんではないかと思います。経済学や物理学の理解がそれほどなくても十分読めるほど、内容はわかりやすいです。 ただ、量子力学などの現代物理学と同じで内容はわかっても、そもそも直感性に欠けるものを扱ってはいるので、きちんと身体に馴染ませるには自分自身でいろんな方向から眺めるなどの作業の時間が必要にはなるでしょう。 さて、まずはこの聞きなれないエコノフィジックスとはいったい何か? 著者の言葉から引用してみましょう。 エコノフィジックスは物理

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    massunnk 2012/03/03
    @igaris 物理学で得られた知見を経済学に持ち込んで生まれた学問です。日本だと高安秀樹先生が第一人者ですね。こちらに高安氏が書いた新書の紹介がされてるので参考までに→経済物理学の発見/高安秀樹:DESIGN IT! w/LOVE
  • 手入れとデザイン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 僕は『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』のなかで、「いま自分たちが置かれた状況をすこしでも良くしようと思って仕事をしているのなら、その仕事はデザインなのです」と書きました。 でも、実は「デザイン」とは別にもうひとつ、自分たちが置かれた状況をすこしでも良くしようと思ったときに、人間が使える方法があると思っています。 それが「手入れ」。 養老孟司さんは『手入れ文化と日』(書評)のなかで、こんな風に言ってます。 自然というのはみんなそうですが、「自然のまま」にしているわけです。それに対して人工そのものの意識というのは「思うようにする」ということです。自然は思いのままにならない典型です。自然は非常に強いものですから、これを思いのままにしようとしても無理だということ

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    massunnk 2010/01/25
  • 信じる力: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 疑うよりも信じること。信じることによってしか人は何事も為すことはできない。 能力のなさとは何より信じる力のなさではないだろうか。疑ってばかりでは何もはじまらない。はじめないからこそ、余計に不安になり、信じられなくなる。そのことは「不安はなぜ起こるのか」でも書いたとおりだ。方法と信頼あるやり方を自分のものにできるかはまず、その方法を信じられるかどうかで決まる。ある製品を何も考えずに操作できるようになるのが、操作に対するほぼ全面的な信頼が生まれた時であるのと同様、ある手法を使えるようになるためにはその手法を信じることからはじめなくてはならない。 ところが(というか、だからこそ)、できない人ほど新しい方法が目の前に提示された時、とりあえず試しにやってみようとするより、その方法を疑

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    massunnk 2009/12/03
  • メタ認知や抽象的思考ができない人が心がけ実践すべき3つの事柄: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分で物事を考えて答えを出すということができない人というのがいる。「思考停止」なんて言葉もあるけど、そういう人たちにとって「停止」は動いていた状態からの変化を示す"stop"ではなく、そもそものはじめから思考がスタートしていない場合が多く、最初から思考が働いていない。 そうした人たちに共通するのは、メタ認知ができないこと、抽象的な思考を苦手とすることだとだと思います。見たまんまのことしか考えられない。だから、手法を扱えないし、戦略的な話ができない。 そうした人びとは、抽象的な記述や理論的な話題に対する想像力が著しく欠けていて、それが世界の記述であることをイメージできずに、すぐに「具体的な事例がないとわからない」という。それが自分のメタ認知や抽象的思考力の欠如からくる想像力の

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    massunnk 2009/11/21
    抽象度上げるの大事。/最初の図がいいな。
  • ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか/入不二基義:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今日、仕事をしていてこんなことを考えました。 日常の仕事や家事のあいまにある休息時間、気分転換のひとときというのは、ある意味では、公的な役割を演じている自分から<私>自身へと戻る時間なのだろうな、と。 公的な<私>、私的な<私>考えたことを図にしてみると、こんな感じでしょうか? 「<私>への旅」と書いているのは、それが普段暮らしている環境からの一時的な逸脱、旅路のような気がしたからです。 僕がイメージしているのは「<私>に戻る」というよりは、普段、公的な場、公共の空間で、肩書きや役割、ユニフォームとしてのスーツ、公的なものとして求められる発言として規定されている公的な<私>からの逸脱として、そこから逃れるものとして私的な<私>が作られるというイメージ。 スタイルに包まれた<

  • 私的インフォメーション・アーキテクチャ考:2.構造と要素間の関係性:その概要: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前回の「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:1.要素としての情報の種類」では、インフォメーション・アーキテクチャという器が受け入れる、要素としての情報の種類を抽出してみました。 情報の内容は要素に還元できないしかし、 大好きな玩具をばらばらにしてしまった子供をみたことはあるだろうか? 元通りにできないとわかって、その子供は泣き出したのではないだろうか? ここで読者に、決して新聞記事にならない秘密の話を教えてあげよう。それは、われわれは宇宙をばらばらにしてしまい、どうやって元に戻せばいいのかわからないでいることだ。前世紀、われわれは何兆ドルもの研究資金を注ぎ込んで自然をばらばらに分解したが、今はこの先どうすればいいのか手がかりのない状況なのである-何か手がかりがあるとす

  • 作業を増やすことが価値を増やすことがある: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 実はこれmixiの日記のある意味で続き。 でも、mixiの日記を読まなくても、話は通じると思うので、これだけ読んでくれてもOKです。 作業を増やすことで価値を増やす商品があるさて、「作業を増やすことが価値を増やすことがある」。 というか、マーケティング的な発想だと、たぶん「増やすことがある」というか、ほとんどの場合、そうなるのかもしれないなと思うくらい、こういう商品って実は多いと思います。 たとえば、いま読んでる『ダメなものは、タメになる テレビゲームは頭を良くしている』で扱われてるゲームテレビ、インターネット、映画なんかはほとんどの場合、ユーザーの作業を増やすものです。そして、そのでは対照的なものとして扱われているにしてもそうです。 読む作業、見る作業、プレイする

  • ゲームやテレビの世界の複雑さを非線形的に認知する: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 『創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク』の著者でもある、スティーブン・ジョンソンの『ダメなものは、タメになる テレビゲームは頭を良くしている』(訳者の1人は山形浩生!)を読み始めました。 ゲームテレビに対する「わかったつもり」を破壊する試みゲームテレビ映画やインターネットなど、通常、世間的にはあまり人間の知的鍛錬のためのツールとは認められていないこれらのものが実はちゃんと「タメになっている」ことを示そうとしている。らしい。 「らしい」というのはまだ、最初の1章のゲームのところと、次の「テレビ」の途中まで読んだだけの段階だから、判断を保留しようと思ってのこと。 でも、途中まで読んだ限り、この試みで著者は、などを知的教養のツールとして認める際の文

  • ブログ・エントリーの「本気ぶり」は何が伝えるんでしょうね?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 なぜ「言葉は届いてなくても、気持ちは届いちゃう」といったような、言葉という伝達ツールを使わずに伝達が可能になるのか?と思ったわけです。 誤解のないように先に書いておくと、僕自身もそれは伝わると思ってるんです。先に引用したエントリーの最後は「ちゃんとやってれば伝達はされるから心配することなく、いいエントリーを書きましょう」と締めくくられていますが、これには完全に同意するわけです。 じゃあ、何が疑問なのかというと、「気ぶり」だったり「ちゃんとやってる」ことだったりは、言葉そのものが伝えないのだとしたら、いったい何が伝わるのか?ということなわけです。 オカルト的(非科学的)に「気持ちは伝わるものだ」と納得するのは、僕としてはちょっと気持ちが悪かったんです。なので、僕的にはそこに

    massunnk
    massunnk 2006/08/17
    斎藤環は伝達するのは「顔」とか言ってたと思う
  • 間違えを恐れるあまり思考のアウトプット速度を遅くしていませんか?:DESIGN IT! w-LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 普段、仕事をしていてもそうですし、SNSやブログに書かれた言葉をみていても感じることですが、世の中にはかなりの割合で、間違えることを恐れて、自分の意見や考えを口にすることをためらい、結果としてアウトプットが大幅に遅れたり、ひどい場合はアウトプット機会そのものを失っている人がいるのだなと思います。 間違えないことより、アウトプットを早めることそういう人に対して言いたいのは、なんで間違えることをそんなに気にするの? そもそも時間をかければ正解が出せる根拠があるの? ということです。 僕は、完璧さを求めるあまり間違いを過剰に恐れ、アウトプットが遅れてしまうくらいなら、多少、間違いがあるかもと思いつつもとにかくアウトプットを出し、その上で相手の反応を見ることのほうがよっぽど重要では

    massunnk
    massunnk 2006/08/13
    唐突にオートポイエーシス
  • ブログスフィア アメリカ企業を変えた100人のブロガーたち/ロバート・スコーブル: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 タイトル: ブログスフィア アメリカ企業を変えた100人のブロガーたち コメント: さて、これまでも当ブログではこのに関しては何度か小出しで紹介してきましたが、ここで一度まとめて書評という形でまとめておくことにします。 社員ブログブログをSNSなどといっしょに総称する際にCGM(Consumer Generated Media)と呼んだりしますが、こので扱われているブログは明らかにEGM(Employee Generated Media)と呼んだほうがいいと思います。 それは、日で普通使われる言葉ならビジネスブログと呼ぶのでしょう。 しかし、書で扱われる社員ブログは、いわゆる日の公式な場(ドメインを企業サイトと共有する)で行われることの多いビジネスブログとは違い

  • このヒトを見よ 02:内部と外部/境界線の相対性: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 Web2.0を語る言葉の1つに「サイトの垣根を越えたシンジケーション」というものがあります。 その言葉は、具体的には、APIをオープンにすることでマッシュアップを可能にしたり、RSSやトラックバックなどのXML技術によりサイト間の情報のやりとりを簡便化することによるつながりを指していたりします。 Web2.0という環境私はWeb2.0というものを現在のWeb環境とそれを取り巻く外部環境そのものの変化を指す言葉だと思っています。 ですので、「サイトの垣根を越えたシンジケーション」に関しても、「サイトの垣根を越えたシンジケーション」を行うことよりも、「サイトの垣根を越えたシンジケーション」が行われる環境であること、そして、それによってどんな変化があったかを重視します。 私自身は

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    massunnk 2006/08/02
    なんだか鈴木健みたいなことを言ってる。
  • 村上隆時代の終わり、日本アート空白の時代の再来: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 さて、そろそろ真面目に批評を書いておこう。 今回の件で露呈したのは、村上隆のアートがもはや時代遅れになってしまったという事実なのではないかと思っている。 東浩紀さんが簡潔にまとめているように、村上氏のアートは現代を映し出しているという意味において、はじめてアートとして有効に機能してきたといえます。 村上氏の美術活動の中心は、現代社会を満たしている商業主義的アイコンを借用し、パロディ化し、価値転倒を行うことにあります(と書くと左翼っぽいですが、現代美術はもともとそんなものです)。その戦略はアンディ・ウォーホルのオタク版アップデートとでも言ったもので、いままではおおむね有効に機能してきました。 そうなんです。DOB君は10数年前に誕生した作品です。 そして、それは「ゆっくり育て

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    massunnk 2006/04/27
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