ビールとポップコーンと映画 ラストマイルを見た。良い映画だった。 映画館でべそべそ泣いて、鼻を啜りながら車で帰った。感想はこのブログでは書かない。みんな映画館に行って感じてみてほしい。 帰ってからツイッターで感想を漁り、うんうん、わかるわかる、そうだよね、とまた映画を思い出して…
ロンドンその他都市のあの「愚者の祭り」から1週間が過ぎて、あの月曜日の事情が少しずつ分かってきた。5年以上ロンドンに住んでいる者としてあれこれ考えることも多かったし、諸事情で「暴徒」のおかれた環境について少し知る機会もあったので、少し書いておきたい。 あの日起こったことは何だったのかこれについては、無軌道な若者の暴走と言うことで概ねコンセンサスは取れているように思う。以下のtogetterは現状ロンドンで理解されていることに近い。 http://togetter.com/li/172491 警察が、最初の暴動の抑制に失敗したことで、「今なら何をやっても大丈夫」という無礼講的なお祭り騒ぎが一挙に拡大したと言うことなのだろう。周囲の興奮と燃えさかる炎に当てられて、「乗るしかない、このビックウェーブに!」とばかりに舞い上がってしまった子供が相当数いたであろう事は間違いない。(ロンドンで逮捕された
「日本の親はなぜ子どもに甘いのか?」で、日本人とアメリカ人の「確信度」の違いについての研究を紹介しましたが、近年の社会学や経済学では、国民性や文化によるエートス(行動や考え方)の差をアンケート調査や実験によって明らかにする試みが盛んに行なわれています。 こうした研究と、従来の日本人論に見られる「個人的な体験からの感想」のいちばんの違いは、科学的な反証可能性が保証されていることです。たとえばある実験によって国民性についての仮説が提示されたとしても、別の実験によって第三者がその仮説を反証することができるのです。 こうした研究は、往々にして私たちの直感や常識と異なる結論を導くことがあります。その格好の例として、『残酷な世界~』から、日本人とアメリカ人の協調性についての実験を紹介した部分を転載します。 * * *
年金をちゃんと納めて月6万とかに比べて、生活保護が月22万円近くて200万人とな。 生活保護受給 200万人超へ http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110303/k10014415441000.html 最近、雇用調整や産業育成に関する議論を政党や官僚の人たちとする機会が突然増えて、寝る時間やゲームする時間を削って資料を読むんだけど、生活保護というか待機労働力に対する認識が私の中で変わりつつある。 一言で言っちゃえば、「まあ、しょうがねえんじゃねーの」って話だけど。 いろいろと不正受給だの問題を孕みつつも、生活保護の受給者が増加し続けている背景ってのは、雇用の受け皿になってきた産業が磨耗している部分があって、働き口がないのだから生活が維持できなくて生活保護を受けざるを得ないという同情すべき事態に陥るのは社会保障上仕方がないのかなあと。 で、その減った働き口
現在の日本の置かれた状況をよく考えてみると、数年〜十数年後に大増税を行わざるを得なくなる可能性がけっこう高い。 大増税時代になっても豊かに暮らせるようにするには、今のうちから準備しておかないと、あとで後悔することになることがある。 この記事では、それについてまとめてみた。 トピックハイライト 大増税を回避する政策はあるが、それが実行される可能性が低い理由。 中所得者と高所得者のどちらに大増税されるかは不透明。 高所得者を搾取して遊んで暮らす戦略。 具体的にどの税金を、どのように回避するために、今からどのような準備が必要か。 重い所得税を払わずに逃げ切る合法的な方法 重い消費税を合法的に回避する方法 高収入で贅沢をしても消費税も所得税もかからないようにする方法 税金を全く取られずに生産、流通、消費を行うさまざまなテクニック。 「高所得者に重税をかけると海外へ出て行く」というのは金持ちのポジシ
伊藤和也さんの死に哀悼を捧げます。 さて。 そんな伊藤さんの命を奪った犯行に、心の底から怒りを覚える。紛争地の人道援助NGOは、どの武装勢力からも中立的な立場を取ろうとする。なのに、なぜ襲われたのだろうか。 それは単純にアフガンの「復興」が武装勢力にとって都合が悪いから。 伊藤さんも現地語を習い、地元の人々と同じ衣服をまとうなど、共に生きているとの思いがあったに違いない。 紛争地での活動は、常に危険と隣り合わせだ。それだけに、民生支援に入るNGOは現地の事情や治安情勢を入念に把握し、住民との信頼関係を築くことで身の安全を確保する。ペシャワール会はその点で長い実績があっただけに、それでも完全な安全はあり得ないことを改めて実感させられる。 たしか、先日米国のNGOの女性も三人殺害されている。状況は変わりつつあった。つまり、善意の期待では、NGOの行動は実施できない段階にあった。 こうした人々に
私自身は1978年宮城県沖地震について強い思い出はない。ちょうど30年前になる。 この地震は、1978年6月12日の夕方5時14分に、宮城県沖を震源に起きた。全壊家屋1183戸。マグニチュード7・4、震度5。被害は宮城県に集中し、死者は28人に及んだ。この地域では今年も同日に防災訓練が行われた。13日付け河北新報”わが町内自分で守る 独自訓練で防災力向上”(参照)はこう伝えている。 わが町の防災は住民の力で―。1978年の宮城県沖地震から30年がたった12日、地域の防災力アップに腐心してきた仙台市宮城野区の福住町町内会の菅原康雄会長(60)は、新たな気持ちで防災訓練に臨んだ。 切迫感が強まったのは03年7月。宮城県連続地震で被災した東松島市の住民が近所同士で支え合って生活している姿を報道で見て、災害に備えた町内会活動の必要性を痛感した。 30年前の記憶の風化が気掛かり。「時の流れとともに油
動物には、「同族同士は殺しあってはいけない」という共通認識が組み込まれていている。 同族どうしで利害の対立を生じても、だから争いは威嚇だけで終わったり、暴力が導入されても、 それは儀式的な戦いで終わることが多くて、「殺しあい」に発展することは少ないらしい。 同族で殺しあうことに対する抵抗感は、人間であってもやっぱり強い。 第二次世界大戦以前、兵士の発砲率はせいぜい2 割ぐらいで、「殺さなければ殺される」ような 状況においてもなお、多くの兵士は銃を撃たなかったり、あるいは狙いを外したりして、 自ら「殺す」ことを避けようとした。 人間には、元々から争いを避けるような性質が備わっていて、それをそのまま生かすような やりかたをすれば、状態としての平和は、結果として達成される、はずだった。 合理化が抑制を解除する 「殺したくない」という抑制は、相手との物理的な、心理的な距離が近いほど強力になる。 剣
先のエントリーの補足というか、ある種分かる人だけ読んでくれればいいやと思ってたら分かってもらいたい人から誤解されたようなメールが来ましたので。もう少し噛み砕いてすっきり書くべきだったか… すいません。 グローバリズムは何故、貧困を引き起こすか http://kirik.tea-nifty.com/diary/2008/05/post_4962.html 最近だと、こんな記事もあります。 チーム全員がうつ退職 「人材使い捨て企業」で何が起きたか http://diamond.jp/series/depress/10026/ 酷い会社ですね。でも、こんなの普通です。スキルの不足した人を雇って研修して給料を高く払うなんて、理想といえば理想だけど、ある程度の人数抱えた会社でそんなことしてたら会社潰れますよ。スキルのある人間が、コネで割りのいい仕事を抱えて、20人か30人ぐらいで回すのであれば高い給
このエントリを書いている時点ではまだガソリン税暫定税率再可決されていないが、されたと書いてもそう大過はないだろう。この問題、私はつまるところ何が問題なのかよくわからないせいもあり、どっちでもいいんじゃない、勝手にすればあ、みたいな投げやりな気分でいた。ブログのエントリに書くべきこともないのだけど、さすがに時代の風景のようでもあるし、簡単にスケッチ程度に書いてみたい。いやほんとに雑感という程度。 エントリ書こうか適当に悩んでそれでもちょっと書こうかなと思ったのは、今日のこの再可決が憲法の視点から見れば極めて遵法であり、憲法が生きていて喜ばしきかなということだ。憲法59条では、「参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる」ということであり、「衆議院で可決し、参議院でこれと
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だから、他人があーだこーだいう筋合いはないし、自分ですらその「責任」について思い悩む必要はないと思います。趣味ならいいんですが。 今現在の人生は、自分と、他人と、環境との相互作用によって形成されていて、これからの人生もそう。 まずコントロールできるのは自分であるとはいえ、結果は相互作用によって生まれるので最終的にはカオスです。 そして、そういうカオスなリスクをある程度ヘッジするために、人間は社会を持っている。 出来る限りのリスクを社会を使ってヘッジしながら、自分は自分で選択を積み重ねていく、というのが人類が21世紀までに積み重ねてきた人生のノウハウです。 アリやハチといった社会性昆虫では、おのおのの「個体」があるとはいえ、もはやそのコロニー自体が一個の生物と考えても良いくらいの徹底した機能分担が成されています。社会機能が生存に必須になっているため、「進化」ですら今後は個体レベルでなく、集団
速水健朗さんの「自分探しが止まらない」を読んだ。 読み終えたあとに感じたのは恐怖だった。この感覚は斎藤貴男の傑作ルポ「カルト資本主義」でも感じたが、現代日本に覆う得体の知れないものの正体に肉迫しているように思える。凡庸な表現になるが、これこそが警鐘を鳴らしてくれる「社会の木鐸」というやつなのだろう。 ただ違和感を覚えたのは帯だ。バックパック背負った若者とゴス娘のヘタウマイラストがあって、「こんな若者にはもううんざり」と挑発的な文句が並んでいる。これはベストセラー新書の「他人を見下す若者たち」とかにならったものなのかは知らないが(こっちの著者名も速水だ)、本の内容と乖離した帯は、宣伝になるどころか上滑りするだけではないかと思う。あれは「こんな若者につけこむ輩にはもううんざり」とすべきだったのだ。でもこれじゃあまり宣伝にはならないのか。 http://d.hatena.ne.jp/S2D2/2
興味深い記事を見た。 NHK 記者ら三人がインサイダー情報による株取引容疑で取り調べを受けているという話である。 この三人は報道局のテレビニュース制作部記者、岐阜放送局の記者、水戸放送局のディレクター。三人の間に連絡を取り合った形跡はない。 それはつまりこのインサイダー取引が「自然発生的・同時多発的」に NHK 内で行われたということである。 ということは、「このようなこと」が当該組織内ではごく日常的に行われていた蓋然性が高い。 不正利用されたのはある牛丼チェーンが回転ずしチェーンを合併するというもの。 3人はニュースの放送前にこれを知り、うち2人は「放送までの22分の間に専用端末で原稿を読み」回転ずしチェーンの株を購入。株価は一日で1720円から1774円に上がり、3人は翌日売り抜けて10-40万円の利益を得ていた。 この金額の「少なさ」が私にはこの不祥事の「日常性」をむしろ雄弁に物語っ
夜中の12時を回る少し前から、花火を打ち上げる音が近所で響く。12時には一斉にその数が増した。クリスマスは家族で過ごし、12月31日は友人や恋人と一緒に過ごすという人が多いようだ。 年末から気になっていることが2つある。パキスタンで元首相だったブット氏が暗殺された。パキスタンの歴史に関しては、ALL ABOUTのサイトが非常に分かりやすい。 http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20071129A/index.htm パキスタンは1947年英国の植民地の地位から独立したが、隣国インドと比べても民主化が遅いという見方が英国内でも一致している。今回の暗殺事件関連の記事を読むと、インドの識字率は65%でパキスタンは45%ほどと低く、しかもさらに低下傾向にあると言う。 英国内で「パキ」(パキスタン人)と相手を呼べば、一種の侮蔑表現にも
といえるのかもしれません。女性に限らずね。 自分で檻を作って自分で檻に入った奇妙な獣 社会システムというものが権力によって構築されるとするならば、その仕組みは当然、権力を利するようになっているはず。 つまり権力を持たないものが単純にシステムに「適応」することは、権力者を直接間接に利することに他ならず、「自分の首を絞めている」と見ることも可能です。 そうはいっても、目の前の権力や強者やシステムに適応・迎合した方が都合がいいという判断は個人・短期のレベルでは十分にありえます。 クラスでは空気に合わせて道化を演じた方が居場所を確保できるし 職場ではサービス残業に励んだ方が上司の心象がいいし アメさんに成果主義といわれれば成果主義、フラット化といわれればフラット化を所与にしておいた方がいいだろう そして 男性がカネや権力を握っているなら、それを男性と奪い合うより共有する立場に立った方がトクだろう
レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 今に始まったことじゃないけれど、弱い人が強く振舞うことが増えた。 この流れを生んだ原因が、未だによく分からない。どうすればいいのかだけは分かってる。 もともと「強い」側に立ってた人達が、本当に強くなればいいだけの話。 でもそれやると血の海だから、できればそんなことしたくない。 穏やかに時計の針を戻すやりかた考えるんだけど、分からない。 妥協の結果として行き着いた正しさが、いつのまにか目標として目指すべき何かとして 一人歩きをはじめて、世の中がだんだん「正しさ」に支配される、そんなお話。 大学のこと 父親もそうだったけれど、大学の教官というものは、 みんな個室を持っていて、学生を個室に呼び出しては説教したり、 夜通し酒飲みながらおしゃべりしたり
もう何年も前の話になるのだが、コーポレートガバナンスという「洋才」を使いこなすために「洋魂」が必要かもしれない、というエントリーを読んで色々と考えたことがある。日本の社会というのは、欧米のそれとは少し違うものであるらしいということはよく知られている。ここが違う、あそこが違う、と言い合うのは、ある種の「お茶漬けナショナリズム」とも相まって、海外旅行をした日本人の楽しみの一つでもある。 しかし、この手の話題は大概非常にあいまいなところでストップする。海外だと接客態度が悪すぎる。目の前に困っている客がいるなら、何とかしてやろうと思うのが自然ではないのか。欧米の企業に比べて日本の企業は非効率すぎる。みんな仲良く残業しなきゃいけないなんてナンセンスだ。この手のお約束トークは挙げればきりが無いが、「では何故日本ではそうなっているのか?」という段になると、大概が精神論で終わってしまう。日本人の気質だから
ちょーちょーちょーいい感じ:車が売れなくなった理由 一方、国内の新車販売台数が27ヶ月連続で前年比割れの状態になっています。 車が売れないのは、特に若者層が買わなくなったからだそうです。8月22日の日経新聞のアンケート記事では、車を持っている20代は13%(2000年調査時は23%)。車を持ちたいと思っている人も25%しかいないそうです(2000年は50%弱)。 FPN-車が売れなくなったのは当たり前。 車を購入することよりも、車を所有することによる負荷が日本という国は異常に高いのではないかと思っています。 車が売れなくなったのは当たり前。その2 | 製品/プロダクト | 世界を巡るFool on the web | あすなろBLOG 取り敢えず、一言で言うならば「あんた馬鹿ぁ?」 売れなくなったのは新車の普通自動車で車じゃないですよ 統計データからグラフを起こしてみた。 1998 199
なと思ったり。 囚人のジレンマによると、 ゲームの繰り返し回数nを両方の囚人がともに知っていた場合は、全ての回で囚人がともに「裏切り」を選択する事が分かっている。 不確定要素はゲームにおける戦略・振る舞いに強い影響を与えますが、特に「残り回数」というのは大きなファクターだと考えられています。 「残り回数」。 いやな言葉ですが、人間にも「残り回数」は厳然として存在します。 人間の死亡率は今のところ100%なわけで、どんな人であろうとゲーム/関係の機会は有限です。とはいえ、若い時から自分の残り人生をカウントすることはあまりないでしょうし、カウントしてもブレが大きいのでその量的な有限性を明確に意識することはありません。 しかし、40を超え、50にたどり着く辺りから、「カウント」の冷たい音がカチカチと聴こえはじめます。 もはや漠然とした有限性ではなく、確実で明確な「残り回数」が見え始める。 ここで
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