話は、4月に戻ります。福島県飯舘村飯樋の農業佐野幸正さん(64)、ハツノさん(62)を震災後、初めて訪ねたのは12日でしたが、本来取材を予定していたのは、前日の11日でした。 村に到着する前の午前中、既に首相官邸から飯舘村を含む「計画的避難」の区域指定が発表され、急きょ私はそちらの現地取材に関わることになったのでした。 長い1日となったその日、耳にした多くのことも、飯舘の人々のもうひとつの訴えとして、記録しておかねばと思います。 村役場に着いたのが昼ごろ。騒然とした状況への想像はあっさり裏切られ、役場内外は静まりかえっていました。1台、玄関に車が止まり、女性が村職員に何事かを頼んで、段ボール箱を積み込んでもらいました。後部のトランクには荷物がいっぱいです。 「(福島県)富岡町から3月12日の朝、(福島第1)原発の1回目の爆発が起きる前に、だんなの飯舘の実家に避難してきたんです」と、