ある世代までだと「新しい戦前」と聞いてすぐピンとくるのですが、若い人たちはこの言葉から「中国が台湾を攻めてきそうだから、日本もそれに備えなくては」という含意を読み取るのだとか。時代も変わったものです。 https://t.co/0KS2FlaBV8
第2次世界大戦中、10万人を超す死者を出しながら、海外ではあまり目を向けられない東京大空襲を取り上げたノンフィクションが、米国でベストセラーになった。「ボマーマフィアと東京大空襲」(光文社、桜井祐子訳)。著者で人気作家のマルコム・グラッドウェルさん(58)はなぜ、大空襲を主題にしたのか。何を学ぶべきだと考えているのか。オンラインでインタビューした。(北川成史) Malcolm Gladwell ノンフィクション作家・ジャーナリスト。英国生まれで、カナダで育ち、米ニューヨーク在住。ワシントン・ポスト紙の記者を経て『第1感』『天才!』などの国際的ベストセラーを著した。米誌タイムの「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれている。
これ本当に不思議で「戦ったら石油も鉄も止められる」に決まってる。だから備蓄でできる短期決戦だといっても、そんなこと相手も分かりきっているから引っ張るに決まっている。つまり敗北は最初っから決定していた。そして各種シミュレーションでそ… https://t.co/USLY0MYdUB
作家の三島由紀夫が、自衛隊駐屯地の一角を占拠してクーデターを呼びかけ、その後、自ら命を絶った事件から、25日で50年です。 自衛隊を治安出動させ、政府に憲法改正を認めさせようとした三島。事件の3年前、三島と接触を重ねていた、ある自衛官がいました。 のちに陸上自衛隊のトップ・陸上幕僚長を務めた冨澤暉さんです。 三島とどんなやり取りがあったのか、話を聞きました。 (聞き手:政経・国際番組部 宮川徹志 社会部 南井遼太郎) (記者) 三島由紀夫と出会ったのは、何がきっかけだったのでしょうか。 (冨澤さん) その前に、きょう、ちょうどここに持ってきたものがあります。僕が三島に会った証拠品っていうのはないんだけれども、三島の書簡集というのがあるんですよ。 ここにね、昭和42年5月11日の封書が義理の父の藤原岩市のところに来ているんですよ。 ここに何が書いてあるかというと「前略その後御無沙汰してをりま
日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄 https://m.job-list.net/articles/195 なんでこんな怪しいエントリがチヤホヤされているのかわからない。これは明らかな創作か、優しくいえば著者が記憶を捏造しているかだろう。 色々と突っ込みどころはあるのだが、まずイラン・イラク戦争の開戦日である1980年9月22日に、著者がいたモスルに戦闘機が飛んできて、イラン空軍による空爆が行われているという点。これは絶対にありえない。そもそもあの戦争はイラクがイラン南部のホッラムシャフルに進行したことではじまったのである。モスルはイラク北部の都市であり、戦線からは1000km近くも離れている。しかもイラクは奇襲を仕掛けた側で、イランはそれを立て直すのに2ヶ月ほどもかかっており、北部の、それも国境付近に戦線が拡大したのは1982年の話だ(モスルは国境付近でもない)。奇襲を受け
メッケルが関ヶ原の布陣図を見て「西軍の勝ち」といったのは創作の疑いがあるという話と当時の混乱した状況 - Togetterを読んで気になったので、ちょっと書いておく。私の記憶では司馬遼太郎より前の海音寺潮五郎の著作に同じ内容があったからだ。図書館で借りて改めて内容を確認するのに時間がかかった。 さて、歴史小説作家が史料を都合よく引用したり無視したり歪めたりというのはよくあることだ。程度によっては読者を騙して嘘を広めている迷惑な話とも言える。その一方で、そうした操作があったほうが面白いというのはありうることだし、小説を歴史の知識の元にする読者の態度も批判されるべきだろう。また、読者が騙されるのはある程度しょうがないかもしれないが、自分で調べもせずに司馬の話を孫引きしているプロの物書きもいるわけで、そちらはフォローのしようがない。 今回の件については、次の三つの可能性がある。 ・メッケルが実際
先日、Yahoo!ニュースにこんな記事が掲載され、話題を集めていました。 「江戸城の防御力は世界最高レベル」 授業では習わなかった「お城のスゴいところ」を専門家に聞いてきた 配信はITmediaの軽めの話題を扱う『ねとらぼ』。自転車系ブロガーの著者が「大学院で考古学を学び、発掘調査をしていた経験を持つ元考古学者のSさん」に、江戸城についてインタビューしたという形で記述されています。ただ、専門家といいつつも、その素性や経歴は一切謎で、どういう専門家なのかも不明です。 そして、その内容に各方面から疑問の声が出ています。Twitter上でもっともシェアされた疑問は、志学社代表取締役・星海社フェローで、『戦国北条五代』『戦国大名武田氏の戦争と内政』『上杉謙信 「義の武将」の激情と苦悩』(いずれも星海社新書)などを手がけた、編集者の平林緑萌氏のツイートです。以下に引用してみましょう。 平林氏の言うよ
「人生は任務なり。人生を全うするということは任務を全うすることだ」 これはインパール作戦の後、予備役を経て昭和20年1月に予科士官学校の校長になったときの牟田口廉也中将の訓示である。なお、ビルマの第十五軍司令官時代にも同様の訓示をしている。 ※ 河邊正三と牟田口廉也については役職・階級などが変わった時、引用箇所等を除いて原則「河邊」「牟田口」で統一する。他の人物は階級や役職等をつける。戦後の記述についても「元大将」「元参謀」などとは表記せず「大将」「参謀」などと表記する。 ※ [ ]内は補足するために必要に応じて作者が加えた。 インパール作戦の失敗と河邊・牟田口の更迭 3月に開始したインパール作戦は、4月6日にインパール北方の要衝コヒマを占領したものの行き詰まっていた。 秦彦三郎参謀次長一行がビルマへ視察に来ていた昭和19年5月2日、秦次長から「いまの状態ではインパール作戦は中止した方がよ
別件で上京した機会をとらえて、防衛省の防衛研究所史料閲覧室でなにかおもしろそうな史料はないか漁ってきました。 ちょっと使い勝手は悪かったですが、あそこはあそこで宝の山ですね! ぜひまた漁りに行きたいですね。旧軍関係者の回想録とか文書とかあそこ(一部東アジア歴史資料センターにもあるが、やっぱ史料閲覧室の方が豊富かね)にしかない史料がいっぱいって感じ。 あまり多くは読めなかったけど、その中でも特に「折田貞重大佐回想録」がお勧めかな? とても興味深いことがたくさん書いてあります(あと当人がすごいやる気になって書いています)。一部コピーしてきたので、そのうち著作権に反さない限りの引用で紹介します。 それはそうと、以下の二つのような防衛研究所の奇妙な対応も体験してしまいました。 ・閲覧不可になった毒ガス戦史料 日本軍毒ガス作戦の村―中国河北省・北坦村で起こったこと 作者: 石切山英彰出版社/メーカー
研究者の目に歴史ゲームはどのように映っているのか。ドイツで行われた軍事史研究会をレポート ライター:山室 良 2015年11月26日から28日にかけて,ドイツ東部の都市ケムニッツで「軍事史研究会」の年次大会が開催された。この軍事史研究会は,軍事史と社会,文化との関わりについて毎年興味深い報告を行っていることで有名で,とくに今年のテーマは「コンピュータゲームにおける戦争と組織化された暴力」という,筆者を含めたストラテジーゲームファンにとっては興味深いものになっていた。これはぜひ行かねばなるまい,ということではるばるケムニッツまで取材に行ってきた。 研究会の開催されたケムニッツ工科大学の建物。1836年に設立された職業学校を起源とする由緒ある大学だ ドイツ「軍事史研究会」公式サイト(ドイツ語) カール・マルクスの頭像。さるアニメのように飛び跳ねたりはしない,たぶん 残念ながら初日のパネルディス
DOL特別レポート 内外の政治や経済、産業、社会問題に及ぶ幅広いテーマを斬新な視点で分析する、取材レポートおよび識者・専門家による特別寄稿。 バックナンバー一覧 2015年は第二次世界大戦が終結して70周年となる。戦争の記憶が薄れていくなか、若い世代は先の大戦とは一体何だったのか、どうして起こったか、ということを考える環境がなくなっている。そのため、戦争について認識は偏ったものとなっている。 日中関係において、日本はまだ中国に対する戦争を総括しきれていないこともあり、歴史認識が両国関係を発展させるうえで大きな問題となっている。過去の戦争の歴史をどうとらえるかは、日本が中国と付き合う上で大変重要なことである。 一方、中国は、習指導部発足後、党史と近現代史を重視する方向となり、9月3日の抗日戦争勝利記念日、12月13日の南京大虐殺記念日が設けられた。これは、日本の右傾化への牽制の意味もあるが、
いおきべ・まこと 兵庫県西宮市生まれ。70歳。京都大法学部卒。神戸大教授、防衛大学校長などを経て、熊本県立大学理事長、公益財団法人「ひょうご震災記念21世紀研究機構」理事長。サントリー学芸賞などを受賞。文化功労者。 真珠湾攻撃という選択肢しか、日本にはなかったのか。元防衛大学校長で、歴史家の五百旗頭真さんに聞いた。【高橋昌紀/デジタル報道センター】 日本が真珠湾攻撃に踏み切った1941年12月8日、それは欧州の東部戦線でドイツ軍によるモスクワ攻略の失敗が明らかになった直後でした。近代戦の要は首都攻略です。これにより、ソ連が早期降伏する見込みはなくなり、ドイツは対イギリスの西部戦線も抱え、第一次世界大戦と同様に「二正面作戦」に陥った。日本はドイツ、イタリアと三国軍事同盟(1940年9月)を締結することで、米国やイギリスをけん制しようとしましたが、頼みの綱のドイツが致命的な敗北を被ったわけです
特攻とは何か。特攻隊員たちの遺書が自身の執筆活動の原点というノンフィクション作家、保阪正康さん(74)に聞いた。【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】 ◇ ◇ ある元海軍参謀にインタビューをした際、戦時中の個人日誌を読ませてもらったことがあります。特攻隊についての記述があり、「今日もまた、『海軍のバカヤロー』と叫んで、散華する者あり」と記してありました。部外秘の文字も押されて。この元参謀によると、特攻機は離陸した後はずっと、無線機のスイッチをオンにしているそうなんですよ。だから、基地では特攻隊員の“最後の叫び”を聴くことができた。「お母さーん」とか、女性の名前もあったそうです。「大日本帝国万歳」というのはほとんどなかった。ところが、そうした通信記録は残っていない。故意に燃やしてしまったに違いありません。“軍神”が「海軍のバカヤロー」と叫ぶ。それは当局にとって、隠蔽(いんぺ
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