昨日に引き続き、いまネットで話題の「ゲンロン8 ゲームの時代」について、思うところを書いてみます。 たくさん発見できる事実誤認についても、いろいろと書きたいことはあるのですが、それらはいったん横に置くとして、ここではゲームを捉えるときの全体的な視点に関する違和感について書いておきます。 ものすごく気になったのは、テレビゲームというコンテンツを、かなり偏った視点から取り扱っていることです。まるで小説や映画のように個人がテクストと対峙する形式のコンテンツと同じように、テレビゲームという文化を捉えようとしているといいますか。 そこには、モニターの前に複数のプレイヤーが集い、ゲームを楽しむという光景への洞察が希薄です。テレビゲームが持つ、みんなが楽しむパーティーグッズ的な側面は、ばっさりと切り捨てられている。そちらに注ぎ込まれた開発者たちの労力は無視されている。 これが、個人的なゲーム評であるとい
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