「ある月並な物語から出発して、すでにつくられている映画の全体を(…)違ったやり方でつくり直す」こと―ゴダールは長篇第一作『勝手にしやがれ』(一九六〇)の目論見を、かつてこう言い表したことがある。物語はハリウッドのギャング映画のような「月並」なもので構わない。だが、それを語るやり方は、従来の映画史を十分に踏まえながらも、それとは違ったものでなければならない、というわけだ。よく知られているように、ゴダールは一九五〇年代にアンリ・ラングロワのシネマテーク・フランセーズなどで無数の映画を見て、それについて批評を書くという体験を経て映画作家となった。その過程で「ある種の映画が終わりを告げようとしている」という〈歴史の終わり〉の感覚を抱いた若き映画作家は、であれば映画のつくり手としての自分はむしろ「どんなことをしてもかまわない」のだと考えたという。伝統を単に継承するのではなく、歴史のゼロ地点に立って絶