オーベルジーヌ実食レポ 食べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の本格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモン食ってんのか 許せねえよ………
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
「ゲーマーの後悔」は終わらない 2007年10月 2日 カルチャー コメント: トラックバック (3) Clive Thompson 2007年10月02日 今にして思えば、見るべきではなかったかもしれない。 私は、ロールプレイング・ゲーム(RPG)の『Dungeon Maker: Hunting Ground』について8月にレビュー(英文記事)した。 このゲームを始めてから10日が過ぎたころ、「設定」メニューをちょっとのぞいてみたところ、「プレイ時間」というオプションがあることに気がついた。ゲームと格闘した時間の長さがわかるらしい。好奇心からクリックしてみた。 36時間と表示された。 見たとたん、とてつもなく落ち込んだ。36時間だって? こんなゲームのなかに1日4時間ほども入りこんでいたとは、いったいどういう気だったのだろう? 正直に言うと、この10日間にプレイしていたゲームはこれ1つで
生きるという事は、大海を泳ぐことに似ている。 目的地は人それぞれであり、泳ぎ方は人それぞれであり、個人で泳ぐのも自由であり、仲間と泳ぐのも自由であり、集団で泳ぐのも自由であり、ただ浮いているのも自由であり、ボートに乗るのも自由であり、岩場で休むのも自由であり、潜水するのも自由であり…… ただ稀に、泳げない人間もいる。 からだがマヒして泳げない人、水が怖い人、大海に一人でいる孤独に負けてしまう人、他人と比べて自分の泳ぎ方にに自信が持てない人、「泳ぎ方」を考えるあまり泳げない人…… 勿論、その理由も様々である。 そして、泳ぐ人は泳げない人に言う。 「人はそもそも泳げるようにできている。考えすぎちゃダメだ。自然に泳ぐんだ。」 泳ぐ人は泳げない人を発見できないこともある。「泳げる事が当たり前」なので、振り返って後ろに誰かいるか確認することはナンセンスだからだ。 結局泳げない人はそのままもがいて溺れ
日常と非日常というのは「よくあること」と「滅多にないこと」という分類である。両者ともに現実を類型化したものに過ぎない。したがって、両者は対立する概念ではない。 つまり、実際に起こった出来事を人間が解釈し「これは日常だ」「これは非日常だ」と言っているに過ぎないのである。 しかし僕は、日常も解釈次第では面白いですよ、などと言うつもりはない。 僕が言いたいのは、日常と非日常はともに現実なのであって、日常を見ていなければ、非日常を見ることもできない、ということだ。 たとえば目の前で交通事故が起こったとする。で、ヒマなので見ていると警察とか救急車がやってくる。事故を起こした当事者でなくとも、目の前で事故が起こったというだけで「目撃者」としてその事故に関与することができる。場合によっては裁判で証言するなどの「非日常」に触れることができるかも知れない。 しかし、ここでたとえば事故が起こったときに別のこと
先日、就職活動で長く苦戦していた芸術(絵画)系の後輩がなんとか食えそうな仕事にありついたようで、とりあえず一安心。 まあ専門ドンピシャというわけではないけれどまずまず技術も活かせそうだし、なにより「仕事サイクル」に乗れたことがよかった。バイトだけだとジリ貧ですからね。 彼は何度か賞を取った事もあるし、才能は間違いなくあると思います。もちろん努力もずっと続けていた。ですが生活を支える仕事にはなかなか恵まれませんでした。 今回彼がその仕事についたのは当然そういった努力が実った、ということもできるしその通りだと思いますが、そこに巡りあわせというか一種の偶然が働いたことも否定できません。 ある人物に出会い、ある話をしなければこの就職はありえなかった。 特に意図的に異なった工夫をしたわけではありませんが、ちょっとしたきっかけから、彼の努力や才能が報われることになったのです。 そしてまた、彼の努力は彼
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
正直、ごめんなさい、朝青龍、自分が悪いのに怒られたらすぐノイローゼってどんだ(ry? と思ってしまった私ですが、 それで思い出したのが、小さい頃よく、 「ああそんなことで傷つくんだ。」「その程度で傷ついていられていいなあ。」 と他人に対して思っていたこと。 小さい頃はそれなりにストレスフルな人生を、 子供にしては本当によく立ち回ったと今でも思うくらいにテンション上げてすごしていたので、 (もちろんポリアンナまでは行かなかったが) 逆にそれが出来ない人たちに対してものすごく鈍感になった。 というか、そうやって自分の中で受け入れたり処理したり流したり出来ないということが理解できなかった。 っていうかまあ、今でも理解できてないんだろうな。 結局そういう子供の頃に比べたら今の大人の人間関係なんて 理や欲やコンプレックスの反動で動いてるだけなんだから単純もいいところで、 たかだか他人や出来事に自分が
およそ、正常な人間の殆どが、幸福になりたいと願っているわけですが、「じゃあ幸福って何さ?」って問われても、明確に答えられる人って、そういないんじゃないでしょうかねぇ。私なりに考えた結論として、心が満たされた状態が幸福と言っていいんじゃないかと思うわけです。しかし、心が満たされた状態は、永続しないですよね。状態は、全く変わらないのに、満たされなくなっていく。不思議ですねぇ。 通常、人が求める幸福の形と言えば、愛情溢れる人々に囲まれて、何不自由ない生活を送ることですよね、たぶん・・・。仮にそのような状態に達した人がいるとすれば、当然、非常に心は満たされているでしょう。だけれども、それでもやっぱり、徐々に満たされなくなっていくのです。なぜでしょう?それは、人が退屈と言う苦痛に耐えられないからです。心が満たされた状態というのは、凪の状態であると言えます。凪の海は、実に穏やかで、なんて心が安らぐん
私の人生のテーマは、お気楽極楽ですが、実際には、お気楽に生きて行く事は、意外と難しいのです。お気楽を阻む一番の要因は、欲望です。本能による三大欲(食欲・性欲・睡眠欲)は仕方ないとしても、人間しか持ち得ない欲って言うのは、やっかいなものです。 その最たるものが、物欲です。次に名声欲とか出世欲とか。そして、他人から好かれたいとか良く思われたいとか言う欲望。人望欲とでも言っておきましょう。それぞれの欲望は、相互にリンクしています。概ねこれらが、お気楽の足を引っ張るわけですが、まあ、その大元にあるのは、生存欲なんですけどね。 その中で、物欲はお金さえあれば、解決できるので、宝くじが一発当たれば、お気楽に生きることも可能となるかもしれません。でも、元々、物欲の強い人は、お金が幾らあっても、その欲望が尽きることがないわけですから、結局、無理なのでしょう。そして、どうにもならないのが、名声欲や人望欲
忙しい事は、良い事だ。 と、多くの人は、思っている、あるいは、思おうとしていると、おいら的には考える。 確かにヒマ〜な人よりは、なんだか偉い気がするし、格好良くも見えるわ。 逆説的な言い回しに「貧乏暇なし」と言うのもあるけど(^_^;)。 まあ、おいらの知る限り、サラリーマンの殆どが、忙しさに酔っている。断定します。 自分を慰める手っ取り早い方法ですから。 現在、おいらは、とっても暇人なのですね。暇人になって始めて判ることもあるのだ。イヒヒ。 サラリーマンに限定して言えば、忙しい状況は、会社にとっては喜ばしいし、それを評価される社員は嬉しい。やれやれ。なさけねぇよ。 でも、家族にとっては、決して良い状況とは言えない。それに加えて、世の中の道徳的な観点からは、明らかに悪しき状況であると言わざるを得ない。 うんうん。 だって、忙しいって事が、全ての言い訳になってしまうのです
この問いに答えるのは、この問いの答えを探し始めた時から今も尚、難しい。 社会人になりたての頃は明確に答えられた。ソースコードが書きたい! 数年たったら具体的に答えられなくなった。あいまいになった。何かを作りたい…と。 さらに数年たった今は少しだけ具体的に答えられるようになった。 なにがしたいのか。どうしたいのか。どうなりたいのか。 これは目標だらけで具体性が無い。結果ばかり目指しているから。 そう、その結果を出すにはどうすればそうなるのか。未だに見えない。 この紙にこういう文字を書きたい。だけどどうすれば文字が書けるのか見えない。 「ペンを使えばいい」「ペンを買ってくればいい」そういう「どうすれば」が見えない。 やりたい事をやる。やりたくない事はやらない。 このわがままは基本的に変わってない。 やりたくない事を、嫌々やって出した結果で相手に満足してもらっても自分は嬉しくない。 作りたくない
■[就活]10年後何したいですか? この会社に入ったら何したいですか?とか、10年後何したいですか?とか面接で聞かれる。 その質問に結構具体的に答える人もいて「起業します」とかいう人もいる。 夢がある人のほうが一緒に働きたいと思える、といっていた面接官の人もいた。夢があるほうがやる気があるとみなされるのかな。 たしか自分のキャリアデザインを考えるとき、10年後どんな自分になっていたいか具体的に紙に書き、そのために一年後、二年後、五年後にどんな人間になっていたいかを書くやり方がある。 成果主義とか能力主義とか、そういうものが重要になっている今の世の中では、目標を持って自分のキャリアデザインを自分で作っていくと言うことが必要になる。夢があるというのは、とてもいいモチベーションになるんだろう。 でも、就職活動をする学生が『起業する』とか、でっかいことします、とか、とにかく『夢』を語るのが正しいの
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く