結論のはっきりしたブログ記事を読むのは確かに面白いと感じます。でも案外それはその結論が自分の今まで持っていた考えに沿ったものであることを前提にするんじゃないかとも思います。そこでは自然に「いやなら読まなきゃいいじゃない」が実行されているのかもしれません。あるいは自分の信念と逆方向のことを断ずるところにあたってしまった場合、どこがおかしいかを(好感を持てる記事の何倍もの熱意をもって)探してしまったりするのではないでしょうか。 そういう意味では白黒をはっきりさせる書き方をなさる人のところは、自分の考え方を強化・補強する役割を担っていると言えるかもしれません。 これに対してうだうだ悩み結論がはっきりしないようなブログ記事や自分が考えたこともないような観点で書かれた記事は、よほど意味が通らない場合を除いて、何か立止まって考えるきっかけを多く与えてくれるようにも思います。頭に素直に入ってこない見慣れ