あんまポジティブな話じゃないが。 随分昔、「書く」ことで食っていければいいなーと思ったことが、そういえばあった。一時期それに近いバイトもしていたんだが、結局諦めた。諦めて正解だったと今では思っている。 何故かというに、多分私には「許せんと思う能力」が決定的に欠けている。 文章を書くという行為は二段階に分かれる。「発想」と「表現」である。書いて面白いことを思いつくかどうかが「発想」のパートであり、それを上手く文章に書けるかどうかが「表現」のパートである。 「表現」は、その種類こそ数限りなく存在するが、要するに技術だ。技術は練習によって磨かれる。 本を一度も読んでいない人でも、努力次第で売り物になる文章力を手に入れることは可能だ。志賀直哉や三島由紀夫の語り口を身につけることだって、それ相応の時間をかければ出来るだろう。 一方の「発想」は、努力次第で引き出しを多くすることは当然可能だが、最終的に
ある日、自他共に認めるオタクな知り合いと雑談をしていて、私が「まー俺はオタクというには程遠い感じだけど」てなコトを言ったら、知り合いに「何言ってるの、どう見てもオタクじゃん」みたいなコトを言われて。そうかなぁ。自分ではただのミーハーだと思ってるんだけども・・・。 で、後日またその知り合いと雑談(確かガンダム系の話)していたら、今度は「オタクと言うにはまだまだだね」みたいなコトを言われたりして。結局、オタ認定したいのかしたくないのかどっちなんだ!?・・・ふと知り合いの内心を想像するに、「オタク方面の話題に興味がある人間が一般人面するのが気に入らない」という気持ちと、「オタク方面の知識レベルでは他人に勝っていないと気が済まない」という気持ちが同居してんのかなぁ、とか思った。 私が自分をオタクだと思わない理由ってのは、知識や興味に対する掘り下げが浅く適当に話題を食い散らかしているだけ、という自覚
■[雑記][書籍]売れ筋しか置かない最近の書店 公務員、辞めたらどうする? (PHP新書) 日本のムスリム社会 (ちくま新書) グーグル八分とは何か この3冊の新書が欲しくて近所の書店を2件回った。でも1冊も置いていなかった。「日本のムスリム社会」以外はわりと新しい本なのだけど。何だかなぁ、今回に限らず最近の小規模な書店って、意外性のあるものを全く置いてないのね。確かにマイナな本だけで勝負したらAmazonには絶対に勝てないだろうけど、売れ筋の本しか置いてない書店って、存在価値が薄いと思うんだよね。予想通りのモノしか置いてないから、書店巡りをしても面白くない。「ひょっとしたら置いてあるかも」と淡い期待を抱いて探したものは確実に置いてなくて、江原啓之の本が平積みでどっさりと、新書コーナーを侵食している。マーケティングとかそういうのを考えたら売れ筋に絞るのは仕方のないことかもしれないけれど、
「あなた(たち)と私は同じだ。同じに考えて欲しい」 「あなた(たち)と私は違う。違ったものとして認めて欲しい」 このどちらも人は求める時がありますし、異なる状況では同じ人がどちらの願いも言ってしまうのかもしれません。ここだけ抜き出せば相矛盾する内容に見えますが、本当にどちらもありの時があるんじゃないかと思います。 たとえば知的障碍を抱えた子供を普通学級に入れたいと願う親御さんは「同じに扱って欲しい」とそこで思うのでしょうし、また同時に「ハンディキャップの分だけは庇って欲しい」と先生や学校に対して希望することもあるでしょう。それをわがままだと切り捨てる人もおられますが、そのケースごとの思いは考えればわかることができるだろうと感じます。原則として同じ存在と認めて欲しい。個別には扱いを考えて欲しい。それは何も特別のことではなく、私たち誰もが願い、そして部分的にも現実にあることなのですから。 これ
http://www.eic.or.jp/news/?act=view&serial=15590&oversea=0 カワウについては、狩猟期間中の捕獲が可能な「狩猟鳥獣」に追加するとしたほか、ウズラについては5年間全国で捕獲などを禁止するとした。また、ニホンジカのメスについては、現在実施されている捕獲禁止を解除するとしたが、オスメスを問わず、ニホンジカの捕獲可能数を1日あたり1頭とする現行の捕獲制限は継続するとしている。 カワウが入っちゃうかもしれないんだね。ところで、狩猟鳥獣ってのが定められているって認識も今まで薄かったなあ。 狩猟鳥獣の種類 http://www2.kankyo.metro.tokyo.jp/sizen/tyoujuu/hogoku/syurui-tou.htm バンは入ってるけどオオバンは入ってないなあ。あとサギ類が入ってないね。 わたしたちこのあと・・・美味しいシ
ちょっと前まで「PS2で出てるムービーだのグラフィックスだのばかり前面に押し出される最近のゲームは、本当のゲームじゃない」ってのがあったじゃないですか。「最近のゲームは、萌えオタに媚びたような気持ち悪いキャラばっかり」とか。まー、「最近の若いもんは」ってのはあらゆる時代あらゆる国の年寄りが漏らす常套句らしいですし、程度の差はあれ「新しいだけで非難され、古いだけで正当化される」なんてことはあっちこっちで起こってる。ガンダムとかジャンプとか、あの辺を見ると分かりやすい。 ところがこの2〜3年で、DSの非オタク層の獲得、脳トレ系ソフトのヒットと濫発という新しい歴史が加わった。年表が更新され、かつて現在にあったものが過去の領域に移った。 そして出てきたのが「DSは一般人に媚びたゲームとも呼べないまがい物のソフトばかり」ですよ。DSをWiiに置き換えたものもよく見る。で、かつてグラフィックスばかりと
ITmedia Newsで、読み逃げ禁止について振れられていた。読み逃げ禁止ってのは、日記を読んだらレスつけてけってやつですな。これはウェブでのコミュニケーションに対する考え方、価値観の問題だと思う。 リアルで知人とすれ違ったら「おはようございます」「どうもこんにちは」みたいな挨拶をする。これができないとオッサンから「挨拶もろくすっぽできない奴だ」とか言われたりする。日常でこまめにメールのやりとりをしている人たちは、メールでのやりとりについてもそういう感覚を持っているのではないかと思う。 その一方でネットでそういうことをやると疲れてしまう人たちがいる。というかそんなことやったら僕も疲れる。それはなんでかっていうと、ネットでは何か気の利いたこと、あるいは面白いことを言わなければならないという発想があるから。 僕なんかはリアルでは他人の話を聞きながら「そうなんだ」「へー」とかいう内容のない相槌
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