タグ

ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (6)

  • 私のなかでは、科学と仏教はあまり喧嘩してません - シロクマの屑籠

    神さまの殺しかた/宗教にハマらずに生きる方法 - デマこい! リンク先によれば、宗教観についての話題が盛り上がっているらしい。宗教で熱くなれる人が、インターネットという、テクノロジーに立脚したフィールドにそんなに存在するのか!唾を飛ばして宗教に言及しあっているさまを観ながら、「ハイテク社会になったからといって、人間の心や感情は宗教全盛の頃とあんまり変わりないのだろうなぁ」と、改めて思った。 ときに、宗教は科学と対立する、といわれている。砂糖玉を奇跡の薬とありがたがるような話やパワースポット的な話は、実証主義な科学とはいかにも相性が悪そうだ。こうした科学との相性の悪さは、新宗教やスピリチュアル方面だけでなく、古典的な宗派宗教のなかにもそれなりみかけるもので、例えば天国と地獄、浄土や三千世界といった概念は、科学だけを信じたい人からすれば、噴飯モノだろう*1。 尤も、宗教を信仰している殆どの人は

    私のなかでは、科学と仏教はあまり喧嘩してません - シロクマの屑籠
    Aoba
    Aoba 2013/11/23
  • google検索は召喚術で、あなたの詠唱能力が試されている - シロクマの屑籠

    google検索は召喚魔法の呪文詠唱みたいなもので、googleはユーザーの詠唱能力を試している。熟練ウィザードのスペルキャストには、インターネットの森羅万象を。駆け出しの魔法使いが唱えたありきたりのワードには、ありきたりのものを。 「google検索はユーザーの詠唱能力次第」 職場やオフ会で「ちょっとググってみて」と頼んだ時、打てば響くように情報や資料を見つけてくる人もいれば、「見つからないよ?ネットに落ちて無いんじゃない?」と一生懸命マウスのホイールを回している人もいる。手こずっている人を横目に別の人が一発で詳しいサイトを拾ってきて、仰天することもある。 こうした違いは、もちろんパソコンやOSの性能差に由来するものではない。ユーザーがgoogle検索にどういう単語を打ち込んだか次第だ。「google検索が上手い人」とは「欲しい情報を探し出すのに必要な検索ワードを打ち込み、狙った情報を拾

    google検索は召喚術で、あなたの詠唱能力が試されている - シロクマの屑籠
    Aoba
    Aoba 2013/09/10
  • 「ネットがつまらない」≒「自分がつまらない」 - シロクマの屑籠

    ネットもつまらなくなった 「ネットがつまらない」=「自分がつまらない」は言い過ぎとしても、「ネットがつまらない」=「自分のネットユースがつまらない」「自分の眺めているネットがつまらない」なので、ネットそのものが問題というより、その人自身の所業によるところ大な問題だと思う。 ネットがつまらないなら、どうして観測範囲を変えないのか テレビ番組がつまらなければ、チャンネルを回せばいい。それと同じように、ネットがつまらなければ観測範囲を変えればいい。マスメディアと違ってインターネットには無限に近い選択肢があり、多種多様なネットサービス上に、これまた多種多様な表現、プレイヤーがひしめき合っている。だから、「ネット、つまらないな」と思ったら、自分から面白いものを探しに行けば、たいていどこかに面白い表現、面白いプレイヤーが隠れている。 例えば、twitterを眺めていて物足りなければ、followしてい

    「ネットがつまらない」≒「自分がつまらない」 - シロクマの屑籠
    Aoba
    Aoba 2013/07/24
  • 「ネットの片隅に咲くドクダミの花の匂い」 - シロクマの屑籠

    真性引き篭もり: 普通の女子大生は、Google+で「日一」になんかなっちゃいない。 http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20111123/1321976634 上記リンク先の文章は読みにくく、「カネ」や「人気」を集めるには不適な、情念が過剰な、読む人を選んでしまう文章だと思う。しかし読む人が読めば、その人の精神にグッサリ刺さって血を滴らせる名文だとも思う。少なくとも、俺には何かがグッサリ突き刺さった。 数年前のインターネット上では、こうした“小さな昆虫だけを捕らえて離さない虫植物のような文章”に遭遇することが多かった。90年代〜2007年ぐらいのウェブサイトやblogのあちこちに、過剰な情念の籠もった、ヤバい文章が転がっていた。いや、今でも時々そういう文章を見かけないことは無い。けれども遭遇確率は少なくなってしまったし、「ここのblogに行けば必ず

    「ネットの片隅に咲くドクダミの花の匂い」 - シロクマの屑籠
    Aoba
    Aoba 2011/11/23
    ネットの片隅に咲く花の匂いが250以上のブクマを集める時代←大通りが整備されたから可能になった世界/他者のためとか、何かのためではなく、己のために吐き出された血反吐は尊い←この価値観もネットあればこそ
  • 人間男性は、自分の得意なモノサシで自他を比べて優越感を希求する - シロクマの屑籠

    男性という生き物は自分と他人のどちらが格上かを判断するのが大好きな生き物である。しかし雄犬と同じだと決めつけてしまってはつまらない。大脳が大きいためか、社会的コンテキスト*1が複雑なためか、雄犬よりも人間男性のほうが序列化の手続きは複雑だし、だからこそ観察していて退屈しない。犬の序列は比較的単純な「生物としての強弱」という単一に近い評価尺度で優劣が決せられるけれど、人間の場合は面白いほど評価尺度が多様化している。 具体的には、 DQNは、腕力・ガンの飛ばし具合・セックスした女の数・やらかした悪い事・車のスピーカーから鳴らす音の大小などで人間評価を行う。DQNにとって、腕力・ガンの飛ばし具合・セックスした女の数というのは、自分自身と他人を評価するモノサシとして機能する。それらの程度をみてDQNは人間に値段をつけるし、それらの程度を高めることによって自分自身の値段が高くなると信じている。 学者

    人間男性は、自分の得意なモノサシで自他を比べて優越感を希求する - シロクマの屑籠
    Aoba
    Aoba 2006/04/05
  • ■ - シロクマの屑籠

    【一アスカファンの回想】 しかしアスカはいいねぇ、うん、いい、いい。 彼女はなかなかの病理娘で、なかなかメルヘンチックメンヘルチックな過剰適応&他者からのまなざしが痛くて快感で仕方がないといった呈をなしている。天才のようで天才ではない彼女は、狂気の努力と狂気のすりつぶしによって“天才少女のようにふるまっている”。それが彼女の防衛の形式であり、彼女が自分自身の諸問題からメンタル*1を防衛するための盾として選んだ処世術だったということか。もちろんこれは心身にひずみをもたらす適応スタイルだし、万が一挫折した時にはどっと疲れる&これまで防衛してきたモノに噛み付かれて参ってしまう形式ではある。劇中でも、アスカは自分自身の諸問題から目を逸らせるために“努力する疑似天才”を演じ続ける狂気の舞を、壊れて動けなくなるまで続けている。 リアルの精神科界隈では、彼女同様、過剰適応を選択し“美しい私として”“よく

    ■ - シロクマの屑籠
    Aoba
    Aoba 2006/02/06
    過剰適応なのに逃げ道(自傷行為、OD、他)を持たない稀有な存在、という話
  • 1