大手・準大手私鉄・JRの運賃比較表作ってみた
大きくなって今までの隠れ家用のプラスティック製の洞窟に入れなくなったイシガメ用の隠れ家。最初カラフルなのが相当な刺激になったみたいで,イシガメが反応して,ガブガブ攻撃していた。いはまお気に入りの格納庫。 「使い心地はどう?」「メシくれ。」 最近ご近所に引っ越してきた家の幼児二人が,我が家に侵入。おもちゃの包丁でチコをぺしぺし叩いて,子供大好きで叩かれると思ってなかったところ,かなりびっくりしたチコを見とがめて,ワイフとその侵入者の会話。まあ,穏やかなモード。 「チコは叩いちゃだめだよ。貴方と遊ぼうとしたのよ。」 「・・・・」 「どっから来たの?」 「あっち。」と,自分のの家のある方角とは反対の川の方向を差した兄の方。とっさに,なかなか慣れた感じだった模様。その前に怒られると思って一旦走って逃げたのだが,弟はもちろん置き去り。でも,戻ってきた,偉い。そう,逃げたりしない方が,色々教えてもらえ
中学校の体育大会、午前中の競技まで見てきましたが、中間発表の結果、現時点では黄組が優勢です。 実は、100m走のときは赤や橙組が優勢だったのですが、400mになると、どの回も途中から追い抜いて黄組が順位をあげていましたし、玉入れでは男子で55個、女子はタイで40個と1位、1年生の学級対抗全員リレーも、途中で2位に抜かれてもまた抜き返して断然1位になるなど、快進撃をみせてくれていました。 もちろん、どの組にも頑張ってほしいのですが、テーマカラーが黄色の私としては何となく黄組の頑張りが嬉しいですね。 それから、リズムダンスは3年生がチームリーダーとなって振り付けもして頑張っていました。これは各組ともアイデアをだしあって、団結力を示してくれていました。 ちょうど私のいたテントの目の前で演じていた3年1組の女子生徒の1人が、足も背もよく伸びて、肩が柔らかく、何気ない振り付けもかっこよく見せてくれて
今日は、9.11から10年、3.11から半年の節目になります。 昨日の朝日新聞本紙に、大きな犠牲を払った石巻市立大川小学校と、近隣の小学校を巡る避難状況に関する一面を使っての記事が掲載されていました。 1960年のチリ沖地震では、まる一日経過後、三陸沖を最大6メートルの津波が見舞った。奥尻島で大きな犠牲を払った地震は1993年だった。 大川小学校では、いざ津波が発生した時、どこに逃げるかの計画は無かった。「近隣の空き地・公園等」という曖昧な計画のまま教師らが対応を迫られることになる。状況は近隣の小学校でも同様でした。幸い、余所は免れたけれど、これは今となっては幸運だったとしか思えない。では大川小は単に不運だったのか? 小学校の海抜高度は僅かに1.5メートルに過ぎない。 明らかに、教育委員会の責任です。半世紀前には大きな津波被害を出している。10年おきくらいで犠牲者を出す津波被害が日本の何処
水俣病被害者救済法などに基づく一時金を受け取ったことで生活保護を打ち切られた出水市の男性4人が、保護廃止決定の取り消しを求めて鹿児島地裁に提訴した9日。原告の竹添栄さん(74)らは、鹿児島市で開いた記者会見で保護打ち切り後の生活を振り返り、思いを語った。 竹添さんの妻は病気を抱え、鹿児島大学病院(鹿児島市)や熊本県などの複数の病院を受診しているが、昨年12月に生活保護を打ち切られてから医療費は自己負担。「一時金をもらって、かえって生活は苦しくなった」と振り返る。210万円の一時金は半年ほどで底をついたという。 「水俣病不知火患者会」の元原告で、3月に国や原因企業のチッソなどを相手取った裁判で和解を勝ち取った田上和義さん(53)、江口豊さん(61)の2人の原告も、保護廃止に納得できない胸の内を明かした。「5年以上も裁判をして、一時金をもらうと生活保護を打ち切られた。何のための裁判だったのか」
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