私の原爆に対する思いを、FBや手配りニュースなどに書いたことから、小倉が原子爆弾の投下目標だったことを初めて知った方もいるようだ。 なぜ、小倉だったのか。 それは、「ふ号作戦」の武器である風船爆弾の全国最大の工場が、小倉にあったからである。 第二次世界大戦末期、アメリカが原爆を開発し、ドイツがV2号ロケットを開発しているときに、日本は和紙とコンニャクで風船爆弾を作り、7000キロも離れたアメリカ本土を攻撃しようと計画し、実行した。 これが「ふ号作戦」である。 当時の金にして2億5000万円の巨費をかけた重要作戦だ。 この作戦は、日本本土へのB25爆撃機による空襲が始まり、ミッドウェー海戦に敗れ、ガダルカナル島から撤退した1942年、アメリカ本土攻撃はできないかという大本営の指示で始まった新兵器開発であった。 参謀本部では、北半球に日本からアメリカに向かって吹く偏西風、いわゆるジェット気流を