山口百恵が引退した昭和55年は、松田聖子の人気に火が付き、昭和末期まで続くアイドル黄金期の幕が開いた年でもあった。男性アイドルを多数抱えるジャニーズ事務所の隆盛や、多人数グループの元祖、おニャン子クラブ…。多様なアイドルの登場は、ファンが抱く「憧れ」の変化も映し出していた。◆「ポスト百恵」は… 「『ポスト百恵』に、松田聖子を」 山口の引退が発表された55年3月。芸能事務所サンミュージックは、18歳の新人、松田を社を挙げてバックアップする方針を打ち出した。他社のトップスターの引退は、自社タレントを売り出す大きなチャンスでもある。社長の相沢秀禎(ひでよし)らスタッフの狙いは当たり、4月にデビューした松田は、2曲目「青い珊瑚礁(さんごしょう)」でブレークした。 事務所は当初、55年秋のデビューを想定していたが、松田は予定より早い54年夏に上京。相沢の自宅に住み込みながら、テレビドラマなどのオーデ
![【ニッポンの分岐点】アイドル(3)偶像から虚像へ 「作り物」楽しむか貫くか+(1/6ページ) - MSN産経ニュース](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b5ee1631a64c5d395ef88134e015b4bd1ef49329/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fsankei.jp.msn.com%2Fimages%2Fnews%2F140719%2Fent14071912300010-p1.jpg)