四十二人が死亡、六百十四人が重軽傷を負った信楽高原鉄道事故から丸十八年を迎えた十四日、滋賀県甲賀市信楽町の事故現場で追悼法要が営まれた。尼崎JR脱線事故や中華航空機事故の遺族も参列し、犠牲者の冥福を祈るとともに公共交通機関の安全を願った。 事故は一九九一年五月十四日に発生。信楽高原鉄道(SKR)の列車と、「世界陶芸祭」の開催に合わせて単線に乗り入れたJR西日本の臨時列車が正面衝突した。 追悼法要には約八十人が参列。遺族らでつくる鉄道安全推進会議(TASK)の会長で、妻を亡くした吉崎俊三さん(75)=宝塚市=が「奈落の底に突き落とされて十八年が過ぎたが、今後もこの痛みは消えることはない」と述べた。 また、昨年十月に「陸・海・空」の事故の総合的な調査機関「運輸安全委員会」が発足、権限が強化されたことに触れ、「遺族に苦しみを与えない事故調査を」と訴えた。 脱線事故で母と叔母を亡くした浅野奈穂さん