「新幹線の父」と呼ばれた2人の国鉄マンが植えた1本の木が、今年4月に閉館した大阪市の旧交通科学博物館の一角に植えられている。第4代国鉄総裁の十河(そごう)信二氏と技師長の島秀雄氏が開館を記念して37年1月に植樹したサンゴ樹だ。 十河氏は国鉄総裁に就任すると、すでに国鉄を辞職していた技術者の島氏を技師長として呼び戻し、新幹線プロジェクトを実現させた。国鉄内部の声を押し切り、スピードアップが期待できる広軌(標準軌)での建設を推進し、現在の新幹線の礎を築いた。しかし、新幹線開発への莫大(ばくだい)な予算投入に批判が高まると、十河氏は38年5月に退任。島氏も退職した。 「十河さん、島さんは責任を取って辞めた。開業前に…」。初代新幹線「0系」の車両開発に携わった鉄道技術研究所(現鉄道総合技術研究所)の技術者、田中眞一さん(81)は振り返る。 世界初の高速鉄道の開発は苦難の連続だった。 「飛行機の雑誌
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