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2010年1月30日のブックマーク (4件)

  • デフレは“トロイの木馬”によりもたらされたのか? - himaginary’s diary

    1ヶ月前に実質為替レートについて書いた時に、日のデフレの原因を海外に求める見方の矛盾を指摘した。そうした見方は、簡単に言うと 日の生産性が低いため、海外新興国の台頭により安い輸入品が流れ込み(もしくはそうした安い商品との市場での競合により)、価格低下が生じた という主張である。それに対し小生が疑問を呈したのは 日の生産性が低いならば、なぜ為替レートでの調整ではなく、国内物価による調整が行なわれたのか? という点である。 しかも、そうした論者が得てして同時に主張するのは、為替レートが減価せずに国内物価が低下したので、実質為替レートは円安となった。従って為替レートはむしろ今後は円高になる、という論理である。 喩えるならば、その一連の主張によると、新興国の台頭による世界的な価格低下は、日に関してはトロイの木馬のような働きをしたことになる。すなわち、日は変動相場制を採っているにも関わらず

    デフレは“トロイの木馬”によりもたらされたのか? - himaginary’s diary
    Cru
    Cru 2010/01/30
    "バラッサ=サミュエルソン効果(逆効果!?)"
  • 中国語の中の日本語(Chinese Borrowings from the Japanese Language)

    中国語の中の日語(Chinese Borrowings from the Japanese Language) 陳 生保(Chen Sheng Bao) 上海外国語大学教授 はじめに 「共産党 幹部 指導 社会主義 市場 経済」 という文は、すべて日製漢語語彙でできているといったら、こ れらの語彙をさかんに使っている普通の中国人は信じかねるだろうし、これらの語彙の原産地の日人も、たぶん半信半疑だろうが、しかし、それは事実である。私が十年前にこれまでの先行研究をふまえてまとめた「中国語の中の日語」 は、その間の消息を伝えている。 現在、日語は毎年一万語(その多くは音訳による外来語だろうが) のペースで新語が増えているそうである。ところが、二千年の長きにわたって中国語の中に入った外来語は、たったの一万語にすぎない。そして、そのほぼ一割に当たる千語の外来語は、日製漢語語彙なのである。

  • もしも中国が日本製漢語を輸入しなかったら、毛沢東も毛沢東思想を書けなかった

    もしも中国が日から、日が作った語彙を輸入しなかったらならば、毛沢東も毛沢東思想を書けなかった。これは当である。中国人の王彬彬という人が書いた中国語の論文の「現代漢語中的日語"外来語"問題」の中にも、次のように書いてあった。 「中国語の中で、日語から来た外来語の数は、驚くほどの数字で、現在我々が使用している社会とか人文・科学方面の名詞、術語の70%は日から輸入したものである。これらの言葉は西洋の言葉を日人が翻訳して、その後中国に入って、中国語の中に根付いたものである」と書かれている。論文の最後には、「最後に私は言いたい。我々が使っている西洋の概念は、基的に日人が我々に代わって翻訳してくれたものだ。中国と西洋の間は、永遠に日が横たわっているのだ」とも書いてあった。 この7割と言うのは、語彙の種類の数ではなくて、出現頻度から数えたのかもしれない。日から中国へ渡った日製漢語の

    Cru
    Cru 2010/01/30
    語彙より概念、概念より文法のインパクトのが印象強い。思考形態の拘束とか。日本語もそういう意味で強く西欧諸語というか英語の影響を受けている。
  • 現代中国語の中の日本語「外来語」問題 - 閾ペディアことのは

    現代中国語の中の日語「外来語」問題(现代汉语中的日语“外来语”问题/現代漢語中的日語“外来語”問題) 王彬彬(日語訳:松永英明) ※見出しの( )内の部分は訳者が付けたものである。 一(中国語の中に非常に多い“日語「外来語」”) 日中間の文化交流史上、非常に興味深く、また意義深いことがある。その中でも二つの時期の状況が特別に注目を引くものである。一つは中国唐代で、一つは近代である。唐代においては、日は貪欲に中国から学習した。中国文化と接触した後、大和民族は初めて文字と遭遇したのであり、このときから書写を学び始めたのであった。日語の仮名は漢字の変形にすぎない。近代にあっては、中国は必死で日から学習した。他の分野はともかく、言語・文字の分野でいえば、近代には、逆に日が漢語の輸出国となったのである。日の「漢語」は東アジア各国の言語システムに衝撃を与え、中国の漢語の中に大量に侵入し