「震災の『真実』を教訓に、妻と同じような人を出さないでほしい」。釜石市甲子町の会社員木村正明さん(58)は東日本大震災の津波で行方不明の妻タカ子さん=当時(53)=を思い、強く願う。市内の学校事務職員だったタカ子さんは勤務中に被災。学校に残り津波に巻き込まれたとみられる。「なぜ」。その思いは3年たった今も消えない。子どもたちの避難行動は「釜石の奇跡」とも言われるが「犠牲者がいたことは知られず、言葉が独り歩きした。事実に目を向け、後世に伝えなければならない」。心から訴える。 木村さんは震災でタカ子さん、足が不自由だった母光子さん=当時(81)、義母佐藤モンさん=当時(80)、山田町=の3人を失った。母、妻との穏やかで笑いが絶えない生活は一変した。 震災時、木村さんは市内の職場にいた。同市鵜住居町の自宅に向かったのは12日。約10年前のけがが原因で松葉づえをついて歩くため、到着したのは約6時間