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2014年4月18日のブックマーク (2件)

  • [書評]ぼくは戦争は大きらい やなせたかしの平和への思い(やなせたかし): 極東ブログ

    アンパンマンの作者としても有名なやなせたかしだが、このブログでも一度取り上げたことがある。「[書評]93歳・現役漫画家。病気だらけをいっそ楽しむ50の長寿法(やなせたかし)」(参照)である。表題にあるようにこのは93歳の長寿法である。やなせさん、100歳まで生きるんだろうなと思っていた。が、94歳で亡くなった。それでも天寿と言ってもよいのではないか。 年齢を見ると大変なお年のように思うが、生年で見ると、1919年(大正8年)。コラムニストの山夏彦が1915年生まれだからそれより4年は年上。山七平は1921年生まれで、やなせより3年、年下。同じく漫画家の水木しげるは1922年生まれなので、山七平に近い。 彼らはそのあたりの年代。実際に大人として戦争を体験した世代である。山夏彦は従軍していないが、山七平はフィリピンで九死に一生を得ている。水木は左腕を失なった。 他、思い出すのは北京

    [書評]ぼくは戦争は大きらい やなせたかしの平和への思い(やなせたかし): 極東ブログ
  • 漢文と中国語はどう違うのか: 極東ブログ

    中国語を学びたいと思った動機の一つは、漢文と中国語がどう違うかということだった。違うということは知っていた。現代中国人も論語などは読めないということも知っていた。が、それがどういう感覚なのかというを、その内側に入って知りたいと思った。 普通に考えれば、私たち現代日人も平安朝文学をそのままでは読めないが、それでも、一定の年齢になって長く日語というのに接していると、古代の言葉もそれなりにわかる部分は出てくる。その歴史的な言語感覚は、中国人の場合、どういうものだろうか。 それが少しずつ見えてきた気がする。 論語の冒頭を例にしてみたい。現代の日の漢字を使うとこうなる。なお高校とかでは日漢字で教えているだろうか。 子曰:“学而時習之,不亦説乎。有朋自遠方来,不亦楽乎。人不知而不慍,不亦君子乎” これを学校では、こう下していると思う。他の下し方もあるが。 子曰く、学びて時に之を習う、また説ばし

    Cru
    Cru 2014/04/18
    日本から翻訳語が入ってきて中国語が変わったと聞いてたけど、人民とか科学みたいな輸入概念語だけじゃなく朋友みたいな一般語にも影響したのだろうか?それとも元々多音節化の傾向が? ところで之って代名詞だよな