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artと近代史に関するCruのブックマーク (13)

  • 強制収容所のトンネルで犠牲者に思いを オーストリアで塩田千春展

    この写真にはショッキングな表現、または18歳以上の年齢制限の対象となる内容が含まれます。 ご覧になる場合にはご了承の上、クリックしてください。 【5月4日 AFP】第2次世界大戦(World War II)中にオーストリアの強制収容所で被収容者が掘った地下トンネル内に、巨大なドレスと血のように赤いひもがつり下げられている。今年の欧州文化首都(European Capital of Culture)に選ばれたアルプス(Alps)のザルツカンマーグート(Salzkammergut)地方で、世界的に有名な日人アーティスト、塩田千春(Chiharu Shiota)氏の作品展が先週から開かれている。狙いは、ナチズムの犠牲者をしのび、「言葉で伝えられられないもの」に近づいてもらうことだという。 エーベンゼー(Ebensee)強制収容所記念館の責任者、ウォルフガング・クアテンバー(Wolfgang Q

    強制収容所のトンネルで犠牲者に思いを オーストリアで塩田千春展
  • 13歳でナチスから逃れ、95歳で伝説のホテルを経営する女性の数奇な人生 | ヘミングウェイもボブ・ディランも滞在したボヘミアンな宿

    ナチスの手を逃れ、ニューヨークにたどり着いたユダヤ人の少女は、紆余曲折を経てマンハッタンにある古いホテルのオーナーになった。95歳になったいまも経営に携わるその女性を、米紙「ニューヨーク・タイムズ」が取材した。 「ホテル・アール」に引っ越しても構わないか──1980年のある夜、リタ・ポールは夫のダニエルにそう尋ねた。 そのホテルは、ニューヨークはマンハッタンのダウンタウンにある、グリニッチビレッジのウェーバリー通りとマクドゥーガル通りの交差する角に立つ。 それはさほど奇妙な頼みごとでもなかった。ポール一家は1973年から、当時すでに築70年だったアールを所有していた。アールは、ポール家が手に入れる頃にはすでに、飾り気のない居住用ホテルから幅広い客層を引き寄せる型破りな隠れ場へと発展していた。 リタ・ポールは自分の隠れ場として、4階にあるつながった4室に目をつけていた。「当時は空室がたくさん

    13歳でナチスから逃れ、95歳で伝説のホテルを経営する女性の数奇な人生 | ヘミングウェイもボブ・ディランも滞在したボヘミアンな宿
    Cru
    Cru 2022/11/26
    日本で言えば昭和の初年に生まれたおばあちゃんがひさうちみちおみたいなエロい絵を描くんだねぇ
  • 究極の戦争画-藤田嗣治 @NHK: 極上美の饗宴 7.11 | Art & Bell by Tora

    東京国立近代美術館に153点の戦争画が残っている。これについては、自分自身でリスト「東京国立近代美術館所蔵(無期限貸与)戦争画美術展 一覧」を作成している(こちら)。 これらは国民の戦意高揚のために、日軍が画家たちに描くことを命じたものであるが、藤田嗣治は率先してこの戦争画を描いた結果、現在、東京国立近代美術館に14点もの作品が残っている。これについて自分で作成したリスト「藤田嗣治戦争画一覧」は、こちらである。 もちろんこの戦争画は他の有名画家も描いていた。中村研一の《マレー沖海戦》↓、鶴田吾郎の《神兵パレンバンに降下す》↓↓、向井潤吉の《四月九日の記録(バタアン半島総攻撃)》、宮三郎の《山下、パーシバル両司令官会見図》↓↓↓などが、その代表的なものである。 これらの戦争画は、終戦後、一旦GHQに接収された後に返還されたものであるが、公開前日になって、「近隣諸国へ悪影響を及ぼす」などと

    究極の戦争画-藤田嗣治 @NHK: 極上美の饗宴 7.11 | Art & Bell by Tora
    Cru
    Cru 2021/03/05
    玉砕の絵は反戦ではないという意見
  • アニメ評論家・藤津亮太が会田誠の「戦争画」に見出したもの。なぜ『アニメと戦争』の装丁は「戦争画RETURNS」になったのか

    アニメ評論家・藤津亮太が会田誠の「戦争画」に見出したもの。なぜ『アニメと戦争』の装丁は「戦争画RETURNS」になったのか3月2日に発売されたアニメ評論家・藤津亮太の著書『アニメと戦争』(日評論社)。アニメに登場する様々な戦争の系譜をたどり、社会との関係を問い直す同書の装丁には会田誠《ザク(戦争画RETURNS 番外編)》(2005)が選ばれている。なぜ、会田誠の「戦争画」が同書に必要だったのか、その理由を藤津が綴る。 文=藤津亮太 藤津亮太『アニメと戦争』(日評論社) 2月末に『アニメと戦争』(日評論社)を上梓した。戦中から21世紀に至るまで、架空・現実を問わず「戦争」を取り扱ったアニメを取り上げ、そのアプローチの変遷を俯瞰した内容だ。 アニメについて語る書籍のカバーをどうするかはいつも難しい。特定の作品の図版を借りる方法はあるが、費用の問題もあるし、複数作品を扱っているの場合は

    アニメ評論家・藤津亮太が会田誠の「戦争画」に見出したもの。なぜ『アニメと戦争』の装丁は「戦争画RETURNS」になったのか
    Cru
    Cru 2021/03/05
    “戦争当時の新聞や図録には身も蓋もない愛国的言葉だけを書いておきながら、本業の絵ではほとんど反戦スレスレの負け戦の場合ばかり描き、戦後「絵描きは絵のことだけ考えてください」と言い捨てて日本を去った”
  • マルマンのスケッチブック : これ、誰がデザインしたの?

    黄色と深緑のコンビネーションも小粋な表紙を見れば誰もが「ああ、あれあれ」と思い出すマルマンのスケッチブック。今年は量産化が始まってから50周年を記念し、メモ帳やノート、ファッションブランドとのコラボレーション企画など、表紙のパターン使った様々なキャンペーン商品が出ている。 スケッチブックとキャンペーン商品 登場以来50年、バーコードの追加や品番の変更があったくらいで、デザインはほとんど変わっていないというのにまず驚く。 「これまでデザインを変更しようという提案もありませんでした。売り上げが落ちませんので、変える必要がないんです」と、マルマン企画グループの渥美要氏は言う。 さらに驚いたのは、認知度の高いこのデザインが学生の持ち込みだった、ということ。手がけた奈良部恵三氏は美術学校ではなく青山学院大学に在籍していた、いわば素人。その後、奈良部氏はグラフィックデザイナーの道を歩むことになるが、素

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  • 関屋敏子 - Wikipedia

    関屋 敏子(せきや としこ、1904年(明治37年)3月12日 - 1941年11月23日[1][2])は、日の声楽家(ソプラノ)、作曲家である[1]。旧字の關屋が使われる時がある。 人物・来歴[編集] 1904年3月12日、実業家の父・関屋祐之介、母・愛子の娘として東京府東京市小石川区(現在の東京都文京区)に生まれる[2]。父方の家系は二松藩の御殿医であり、母方の祖父はフランス系アメリカ人外交官チャールズ・ルジャンドル、母方の祖母は池田絲である[2]。伯父は十五世市村羽左衛門[2]であり、日の古典にも精通していた[3]。敏子の育った家は敷地2000坪あり、祖父のルジャンドルが購入したものだった[4]。従兄は第11代宮内次官や第16代静岡県知事を務めた関屋貞三郎。 4歳のころから琴や舞踊、長唄に親しみ、旧制・東京女子高等師範学校附属小学校(現在のお茶の水女子大学附属小学校)に入学、1

    関屋敏子 - Wikipedia
  • sergey_larenkov

    После того, как я разместил свой ролик о Невском пятачке, меня часто стали спрашивать о том, как удалось отыскать и привязать к местности точки съёмки старых фотографий. ( Read more...Collapse ) Связь времен Дорогие друзья, если вас интересует путешествие в прошлое, я постараюсь помочь вам в этом. Но предупреждаю, зачастую история таит очень страшные страницы, и возвращение в современность бывает

    sergey_larenkov
  • 佐伯祐三「下落合風景」 | 木まぐれ美術館

    当ブログの「歌」とさせてもらった洲之内徹の『気まぐれ美術館』は、銀座でデモ隊と遭遇する場面からはじまる。それはベトナム反戦のデモであったが、芸術新潮の若い女性編集部員から「戦争についてどう思われますか」と聞かれた洲之内は、思わず彼女をぶん殴りたくなったのであった。 その憤懣は、いわば『気まぐれ美術館』のもうひとつのライトモチーフともなっており、あるきっかけで理解、共感へと移行するとともに論調も変じて、それから間もなく、14年間つづいた連載は洲之内の死によって幕を閉じる。 かつて日の絵描きたちはこぞってパリへ旅立った。佐伯祐三も2回渡仏しているが、帰国すると下落合の風景を連作した。これはその一枚である。 重く垂れこめた空の下、黒い民家がうずくまるように点在して、行く当てのない寂寥感がのしかかる。うまい絵だと思う。うまい絵だとは思うけれども、こういうところには住みたくないなあ、というのが正

    佐伯祐三「下落合風景」 | 木まぐれ美術館
  • Orientalia, ctd

    Cru
    Cru 2014/01/18
    19世紀米国人画家の描く世界
  • 私たちが知らない江戸「日本を愛した19世紀の米国人画家」が描いた、息遣いすら感じる美しき風景:DDN JAPAN

    DDN は 音楽 ・ 映像 に関する デジタル アート を中心に情報ミックスを配信中

    私たちが知らない江戸「日本を愛した19世紀の米国人画家」が描いた、息遣いすら感じる美しき風景:DDN JAPAN
    Cru
    Cru 2014/01/18
    モースの見た日本ってのはこんなかんじかしら。飴屋にみとれる子どもたち。店先の反物を眺めるご新蔵さん。胸元ゆるく着物を着る女性。生活の息遣い。神社の絵馬でかい!
  • 国立国会図書館デジタルコレクション

    Cru
    Cru 2013/09/16
    絵が達者!そして昭和初期で、同時代欧州の影響色濃いんだな。
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