机の中に元からあったものはどこへ消えたのか
ただし、絶対に強姦はダメ。 相手の心を落とさないとダメ。 そのうえでヤカラ諸君にはその子のことを単なる肉便器として侮っていてほしい。 ”清潔でとにかく無口でテンション低いのが平常運転だけど、自分の価値をわかりきってる美人” が合意の上でそういう男に股を開いて、ハメ撮りや乱交も喜んで受け入れる・・・・・・ そんなシチュエーションに何よりも興奮するんです私は。 多分、中学時代の経験がこういう性癖に影響を与えているのだと思います。 メガネ黒髪無口なのにもかかわらず学年No.1人気があった憂いのある美人の同級生が、学校最凶と悪名高かったヤンキーの同級生と付き合っていたんです。 「非常階段の踊り場でバックでヤったw」とヤンキー君が男連中に自慢してたらしいのを小耳にはさんでほんと最高だったし感謝感激だったんですよ。 贅沢いえば…… 「反社・ヤカラにいいように肉便器にされそのことを喜んでいたのにもかかわ
牛すじ煮込みのレシピを調べると必ずこんにゃくを入れるものが出てくる なにか相乗効果があるのか? 検索してもそれらしい根拠は出てこない なぜなのか。誰か教えてほしい
私はキモ・オタクなんですが pixivとかでキラッキラのゴリッゴリの一枚絵イラスト(特に中国や台湾や韓国あたりの絵師さんやそれに影響受けたスタイルが好き)見すぎて 最近どのアニメ見ても作画(動きではなく塗りというか、なんかこう画面の情報量そのものというか)が物足りなく見えてしまって悩んでます。 別にそこを第一にアニメ見ている訳ではないので普通に楽しめるのですが、心のどこかで「シンプルやな…」「もっとこう…100色くらい塗ってくんねえかな…」みたいな気持ちが常にあるというか。 もちろんこれは"そんなん動かせるわけねえだろ無茶言うな案件"であり"違うものなんだから切り替えて見ろバカがよ案件"であり、 自分の欲求が過剰なのですが 調味料モリモリの味の濃い料理ばっか食いすぎて舌がもうバカになってるんですよね… 意外と共感してくれる人もいるかもと思って書きました。 はてどうしたものか… この感覚マジ
興味がまったくなかったりするならわかる。サッカーに全く興味がない人なら「東京ベルディ」と表記することもあるだろう。耳から聞いた音で「シャー・アズナブル」と表記したりもするだろう しかし「週イチでサイゼリア通ってる~」みたいなことを言い出すやつがいる。どうして。すべての事象についてその程度の解像度で生きてるのか、お前? あとpedophiliaを「ペドフェリア」と書く人も理解できない
●チャーハン 作るのが簡単なわりに奥が深く楽しい。中華屋に行くと必ずあるので研究もしやすい。できるだけパラパラにするというゴールが明確なのもハマる理由の一つだ。しかしタイ米に手を出しはじめたところで独身男性たちは「あれ、パラパラだからといって美味しいとも限らんな」と気づく。タイ米を日本米に3割くらい混ぜると良い塩梅になる、と気づくころには飽きてしまい、手元には大量のタイ米が残る。ラードや鶏油など油にこだわると深みが出るのもおもしろいポイントだ。 ●カレー 日本的なカレーを追求する人と本格的なスパイスカレーを追求する人で分かれる。俺は日本的なカレーを追求していた。日本的カレーは隠し味と具にこだわれるポイントが存在する。隠し味はいろいろ入れ過ぎると味がよくわからなくなるし、物によっては逆効果であったりもする。個人的に間違いない隠し味はインスタントコーヒーだ。味や香りに深みが出て、それでいてコー
※うっすらネタバレあり いや、「君の名は。」はなんて当時のJKに大ヒットしたんだから、女性受けが一番良いってのは語弊があるか。 あの頃から今まで新海映画を「気持ち悪い」と評していたタイプの一部の層の女性にも、今回の映画がおおむね好意的な意見なのが面白いと思ってる。 なので、理由を考えてみた。 最近、新海がインタビューで「瀧が入れ替わった三葉の胸を揉むシーンは今だったらボツにします。今の観客は受け入れないとジャッジしたでしょう」「これから金ローで放送されるたびにどう思われるか心配もしなくちゃいけない」と言ってたが、実際、今回の「すずめの戸締り」では、JK主人公すずめに対する性的な目線は一切描かれてない。 出てくるイケメン閉じ師の草太は、作中のほとんどを椅子に変えられた姿(去勢された男)としてすずめと旅をするのでそこに性欲は混じらない。 ただ、その分にすずめ→草太への性的な欲望は感じ取ることが
ここ数年でゲーム音楽のコンサートが一般的になっている。 超有名作はもちろん、知る人ぞ知るみたいな作品のコンサートも開かれていて、年一回の日本青年館が楽しみだった頃から比べると驚きの状況だ。 最近は映像を流しているところも多く、ゲームの映像に合わせてコンサートの音楽が流れる形態のものも多い。 しかしこの形式、コンサートとしては破綻している。 観客は映像にばかり目がいきそちらの内容に集中する。 流れている音楽はただの環境音だ。 ゲームの音楽そのまま流してもいいし、生演奏でなくてもいい。 ただ、映像があるコンサートは無いコンサートに比べてウケがいいという現実がある。 演者としても、好きな演奏ができるし、聴いてもらえなくても金は入ってくるからまあいいやということになり、単なる映像鑑賞会になっている。 映画館で名シーン編集版の映像を見ているのと変わらないのに、コンサートを銘打たざるを得ない現状に寂し
に名前つけて欲しい 例:蛇足漫画、迷作 例 東京リベンジャーズ(ここ数巻怪しくなったから読んでない) 極黒のブリュンヒルデ(噂だけ聞いて第二部読んでない、第一部まで読んで強い意志で止めた) あとなんかあったっけ ___ 以下蛇足 岡本倫はこの「ここで終わっときゃ名作だったのに」を打ち破りたいって極黒で言ってたよね アレ印象に残ってるわ そういう作品もあるけどね、極黒は出し切っちゃったしなあ 派生 ・後半もそれなりだけど、前半が良すぎて賛否両論な作品(これは多い) ・終わる終わる詐欺みたいなやつ(話が収束しそうになると人が増えるやつ) ・展開に無理があるわけではないが、作者が衰えたやつ ・終わる気がないやつ(コナン) ・アイディアは良かったんだけどなあ作品 逆に「ここで終わるとかお前偉いな」みたいな作品もあるよね あと「長すぎてダレたけどアニメ化すると後半もちゃんと面白いやつ」もある ブコメ
僕は音楽に向かないと思って今まで生きてきた。 小学生の頃、ちょっとだけピアノを習ったことがある。 いつからやっていたのかわからないが、かなり長い間という印象がある。 といっても低学年の頃には通っていた記憶がないので、3年生くらいからはじめたかもしれない。 そう考えると、通っていた期間は1年も満たないかもしれない。 子供の1年は長いのだ。 なんで習い始めたかはわからないが、きっとテレビで見たとか、友達もやっているからとか、そういう軽い興味を母親に話したからだと思う。 母は「興味があるならやったほうがいいと思うよ」と言う感じで了承してくれてすぐに音楽教室に通うようになった。 しかし、通ってすぐにモチベーションは下がっていってしまった。 まず、楽譜の読み方はわかった。鍵盤と楽譜のドレミの位置はわかった。 でも、しばらくするとへ音記号が書かれた楽譜が出てきた。 知っているドの場所とは違う読み方だっ
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