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ブックマーク / rna.hatenadiary.jp (28)

  • シベリア抑留者について(2) : 抑留者の性 - rna fragments

    軽い(?)ネタから。一部の抑留者はそのへんの非モテ諸君よりはずっと恵まれていたかもしれない。もちろん、性的な意味で。 まずこの絵を見てくれ。こいつをどう思う? 逢うは別れるの常とか、つらい別れになった戦友もいたようだ。ドスビターニア(さようなら)泣いてくれるなナターシャ、今頃何をしているだろう可愛そうに。 泣いてくれるなナターシャ (旧ソ連抑留画集 〜 元陸軍飛行兵 木内信夫) シベリア抑留者が強いられた強制労働というと森林の伐採や材木の運搬のようなイメージがあり*1、実際そのような重労働で命を落とした(殺された、とも言えるだろう)抑留者も多数いたのだが、建築現場や工場や発電所での労働など、比較的軽い仕事もあった。そのような仕事では現地の女性労働者と一緒に仕事することもあったようだ。 比較的軽いと言ってもかなり激しい肉体労働であり、当時の日人の女性観からすると考えられないことだった。彼女

    シベリア抑留者について(2) : 抑留者の性 - rna fragments
  • 「疑う」を疑うことについて - rna fragments

    北田暁大 「『メディアを疑うこと』を疑うこと 」 正直何を言いたいのかよくわからない。いや、言いたいことはなんとなくわかるのだけど、それでどうしろと? みたいな思いに駆られるので北田氏の意図はあまり意識せずインスパイアされたことだけ書く。 「メディアを疑うこと」を疑う、というのはどういうことなんだろう。元記事のブクマコメントをみると、無限退行ですか? みたいな感想もあって、なんか嘘臭い、背後取りゲームの臭いがする嫌らしさを感じさせるフレーズではある。 でもそういうことではないと思う。「メディアを疑うこと」を疑う、というのは、「メディアを疑ってます!」という態度に対して、「それって疑ってるの?」という疑問を突きつけることなのではないか。 疑うという行為は不安を伴うものだ。単に否定するということではなく、疑問符を抱え込んだまま、なお正気を保って生きるということだ。しかしメディアリテラシーを称揚

    「疑う」を疑うことについて - rna fragments
    D_Amon
    D_Amon 2007/06/26
    信じたくないことを信じないために情報を疑うことをメディアリテラシーと呼んでいる人たちに対して。
  • 安心について - rna fragments

    このニュースが無茶苦茶怖かった。 事中の女性客を拉致し暴行、ステーキ店長ら逮捕…大阪 (YOMIURI ONLINE) なんでそんなに怖いのかというのが自分でもひっかかっている。なんというか、RPG で街の防具屋の NPC が買い物中に突然襲ってくる、みたいな恐怖? 怖さの源泉はおそらく客と店という役割関係からくる距離感や信頼感を裏切る形で犯行が行われたというところにあるのだろう。 女性が路上で拉致されて暴行を受けるというのはさほど珍しい話ではないが、こういう場合には単に加害者と被害者という以上の関係はイメージされない。無関係の見知らぬ乱暴者が襲ってくるというイメージ。だから目の前で社会的な役割関係が成り立っている相手は基的に心配無用なはずなのだ。 もっとも役割関係からくる信頼を裏切る形の犯行というのは他にいくらでもある。上司が部下にセクハラとか、先生が生徒にセクハラとか、あと、床屋が

    安心について - rna fragments
  • パロらなかったけど大事なこと - rna fragments

    「まん延するニセメディアリテラシー」の件、昔書いた騙されたくない人たちとも絡む話です。騙されたくない、他人の思惑にのせられたくない(というよりはのせられているように見られたくない?)、という構え方でいると、素直に考えればわかるようなこともわからなくなる。 「嘘を見抜く」なんてシャドーボクシングに必死になるんではなくて、「当のことを知りたい」「もっと深く知りたい」というポジティブな気持ちから、調べたり考えたりして、結果として嘘を見抜けるならそれでいいし、わからないならわからないで、ここまではわかったけど、ここから先はよくわからい、自分にはそこまで判断できるだけの蓄積がない、ということを素直に認め、判断を保留する、ということが大事なのだと思う。 わからないことは恥ずかしいことではないのだから。 idトラックバック: [南京事件]視点・論点「まん延するニセ歴史学」 http://d.haten

    パロらなかったけど大事なこと - rna fragments
  • 視点・論点「まん延するニセメディアリテラシー」 - rna fragments

    なんか流行ってるらしいので便乗タン。 みなさんは、「ニセメディアリテラシー」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。 これは、見かけはメディアリテラシーのようだけれども、実は、メディアリテラシーとはとても言えないもののことで、「ウヨク」や「サヨク」などとも呼ばれます。 『そんなものがどこにあるんだボクは中道ですYO!』とお思いの方も、例として、「イラク邦人人質事件は自作自演」や、「富田メモは捏造」や、「永田メールの署名は「掘江」だった」、などの噂を挙げれば、『ああ、そういうもののことか』と納得されるかもしれません。それとも、かえって『え?』と驚かれるでしょうか。 よく知られている格言の一つに『嘘を嘘と見抜けない人には(略』というものがあります。メディアリテラシーはメディアの嘘を見抜く力だというのです。もちろんどんなメディアにもそれなりの間違いはありますから、嘘に注意する必要はあるでしょう

    視点・論点「まん延するニセメディアリテラシー」 - rna fragments
  • すばらしきゼロサム社会 - rna fragments

    みんなが「俺の取り分はもっと大きいはずだ、もっとよこせ」「お前の取り分は大きすぎる、それを減らしてこちらによこせ」と、そう叫ぶ。強き者も、弱き者も。当然の権利? そうなのかもしれない。しかし… 明日死ぬ人を別にすれば、僕らの富は今目の前にあるものだけじゃない。僕らの努力次第で、それは明日には今日よりも豊かになるはずのもの。見逃されていたものを見つけたり、手の届かないところにあるものに手が届くようになったり、もっともったいなくない使い方を見つけたり。 だから他人から奪う必要なんかない。そのはずだった。 それがいつのまにか変わってしまった。誰も明日に希望なんて見いだせなくなったのか。 ひとたび奪い合いが始まるとルールが変わる。 努力する人は愛される、それは変わらない。でも、努力の意味は変わる。努力とは、成長の芽をねばり強く育てることではなく、巧みに他人から奪うために知恵を働かせることなのだと。

    すばらしきゼロサム社会 - rna fragments
  • スルー力について - rna fragments

    最近「スルーカ」という言葉が流行ってるみたいだけれど、スルメイカを伏字にしたものですか。 スルーカ(alternative jiangmin) 「カ」ではなくて「力(ちから)」です。つまり、「スルメイカを噛む力」を略したものです。来は「スル〜力」なのですが「〜」が WAVE DASH なのか FULL WIDTH TILDE なのかという厄介な問題を回避するため「スルー力」という表記が一般に使われるようになりました。 「スルー力=スルメイカを噛む力」とはすなわち咬合力のことですが、咬合力を鍛えると殴られても効かなくなるという故事*1から、転じて「打たれ強さ」を意味する言葉として使われるようになりました。 これがさらに転じて、ネットでのコミュニケーションにおける罵倒や煽りに耐えるという比喩的な意味での「打たれ強さ」を「スルー力」と呼ぶようになったのはつい最近のことです。急速に普及してはいま

    スルー力について - rna fragments
  • 昭和天皇の口調について - rna fragments

    16日の日記のコメント欄 にて、ni0615 さんから、岡崎久彦氏がチャンネル桜の番組「大同無門」で富田メモについて喋った様子が YouTube に貼られているのを教えていただきました。 富田メモへの疑惑と秦郁彦の怪しさ#1 (YouTube) 最初の5分しか見れてませんがとりあえず。。。 まず岡崎氏は富田メモの公表されたページの下の方に書いてあった「関連質問 関係者もおり批判になるの意」についておかしいと主張しています。 下の二行の言ってることはですね、そういうことを言うとですね、関係者がまだ生きてることだから、迷惑、批判がましいな、ということが書いてある。これが何の意味かわからない。これがね、天皇陛下がそういうことをおっしゃったというのは、いかにもおかしいんでね。 富田メモへの疑惑と秦郁彦の怪しさ#1 岡崎久彦の発言(00:12) おかしいでしょうか? しかし、実は陛下の会見で似たよう

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