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メディア論に関するDe_Loreanのブックマーク (32)

  • ジャヤプラカーシュ・ラーダークリシュナン『レンズの向こう側』2015年 - qspds996

    Lens - Official Trailer | Vetri Maaran | G V Prakash Kumar | Mini Studio | Jayaprakash Radhakrishnan を蔑ろにしてアダルトチャットに夢中のアラヴィンド。彼はある日、Facebookで「Nilly S」と名乗る女性からの友達申請を承認し、誘われるがままにSkypeチャットを開くが、その正体はヨハンという男性だった。ヨハンはアラヴィンドの弱みを握り、自分が自殺するところをライブ映像で見届けてくれと奇妙な要求をする。 IT大国のインドにおいて、誰もが気軽に動画を公開・閲覧できるネット社会の暗部を描いたミステリー。後半では、寝室を盗撮され、ネットで拡散された夫婦の悲劇が語られる。盗撮の犯人だけでなく、その動画データが入ったUSBを拾いウェブにアップした者、動画を気軽な気持ちで見た者たちもまた、無自

    ジャヤプラカーシュ・ラーダークリシュナン『レンズの向こう側』2015年 - qspds996
  • ランドスケープとしての写真展――「トーマス・ルフ」、「ロスト・ヒューマン」展から

    トーマス・ルフの展示に行くと、「写真を見る」のでなく、「見る写真」に立ち会うという現象に出くわす。彼の作品は、写真のメディア性について言及するものばかりなので、トーマス・ルフという作家が、写真をどのように捉えているか、そのアイデアに美術館で遭遇するといった感じだ。その視点は理に叶っていて、そう品も悪くなく、普遍的な写真の捉え方でもあるから、特に異論を唱えたくなる人はいないだろう。まあだからちょっと、物足りない印象を受ける人もいると思う。学生時代にゼミの課題で取り組んだ、アッジェ風の景色をアッジェ風に撮るとアッジェ風の印象が現れたという『Interieurs(室内)』に始まり、どれもこれも習作めいていて、コンセプトの視覚化といった面持ちがある。かといって、写真史をプログラミングした人工知能による作品とまではいかないバランス感覚があって、彼は写真というメディアのデザイナーのようである。だから、

    ランドスケープとしての写真展――「トーマス・ルフ」、「ロスト・ヒューマン」展から
  • Nicholas Carr's Blogニコラスカー

    The poppies come out every March in Walker Canyon, an environmentally sensitive spot in the Temescal Mountains seventy miles southeast of Los Angeles, but the show they put on in early 2019 was something special. Thanks to a wet winter in the normally arid region, seeds that had long lain dormant germinated, and the poppies appeared in numbers not seen in years. The flowers covered the canyon’s sl

    Nicholas Carr's Blogニコラスカー
  • あなたはネットの本質を理解していますか | GQ JAPAN | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

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    De_Lorean
    De_Lorean 2016/05/29
    こうやって一つの言葉にいろいろな意味を含ませると議論がスパゲッティソース
  • 事故物件借りちゃった人の末路 事故物件公示サイト運営管理人、大島てる氏に聞く:日経ビジネスオンライン

    事故物件借りちゃった人の末路 事故物件公示サイト運営管理人、大島てる氏に聞く:日経ビジネスオンライン
    De_Lorean
    De_Lorean 2016/04/21
    合理的なものとして説明できる
  • sg2dh - PukiWiki

    「デジタル・ヒューマニティーズ入門」(日語訳)† http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/dhc/sg2dh.pdf この日語訳は、東京大学大学院人文社会系研究科2012年度「人文情報学概論」(下田正弘・A. Charles Muller・永崎研宣担当)の一環として行われたものです。米国で広まりつつあるDigital Humanitiesの興味深い一面をあらわすものとして、必ずしも正確な訳ではないかもしれませんが、ここに公開することにいたしました。日語訳参加者は以下の通りです。 中川 友喜/ 長野 壮一/ 柏 達己/ 原木 万紀子/ 鈴木 親彦/ 王 一凡 なお、この日語訳の元のエッセイA Short Guide to the Digital_Humanitiesは、MIT pressより出版されたDigital_Humanities, by Anne Burdi

  • 「日本語の揚げ足をとる」作家、円城塔の本気の「ことば遊び」

    De_Lorean
    De_Lorean 2015/12/29
    “本来はデジタルにこそ、大きな可能性があるんだという話だったような気がするし、ことばもそこに未来を見ていたはず。でもいまや可能性は狭まったまま固定し、それを当然として気にしなくなってしまった。そのこと
  • 『ドラキュラの遺言――ソフトウェアなど存在しない』フリードリヒ キットラー(産業図書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 ●「デジタル時代のエクリチュール」 ブラム・ストーカー作の小説『ドラキュラ』への言及から始まる評論集。数々の評論を一貫する問題設定は、メディア環境における「人間」や「知」のあり方だ。著者はキットラー。これまで、情報技術とそれをとり巻く知を対象に、人間に関する社会的了解と技術の抜き差しならぬ関係を、書評欄でも既出の『書き込みのシステム』および『グラモフォン・フィルム・タイプライター』で論じてきた、気鋭のメディア論者である。その著者が、コンピュータやマイクロチップなどの、いわゆるデジタル仕様のメディアを論じていく。 よくキットラーは技術決定論者だといわれる。しかしよく見てみると、技術にまつわる社会的了解を随所に挟んでいるのが見て取れる。その社会的了解、および社会的了解の歴史性を表すために、キットラーは精神分析の論者やドッペルゲンガーの立ち現れ方を時代ごとに比較する、ある

    『ドラキュラの遺言――ソフトウェアなど存在しない』フリードリヒ キットラー(産業図書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  •  ダニエル・ブーニュー『コミュニケーション学講義 メディオロジーから情報社会へ』 - 生きてみた感想

    ひさしぶりに読書感想文を書きます。 題材は、ダニエル・ブーニューの『コミュニケーション学講義』。これは、急激に変化しつつある現代のメディア環境およびコミュニケーション環境に身を置く人間にとって、間違いなく必読の書であります。 メディオロジー、というと日ではレジス・ドブレの名前ばかりが知られていますが、いやはや。実はそこにはダニエル・ブーニューという、ドブレにまさるとも劣らない「巨大な」知性が実は隠れていたのです(たんに日で知られていないだけですが・・・)。書を読めばわかるように、その理論的な射程の広さや深さだけでなく、それをわかりやすく具体的な事例を交えて説明していく手際にも、まさに超一流の知性と呼ぶにふさわしいものがあります。 ただ僕自身には、メディオロジーにおけるブーニューの位置、についてはいまいちつかめない部分があります。事実的経緯としては、書の監修者解説にあるように、ブーニ

     ダニエル・ブーニュー『コミュニケーション学講義 メディオロジーから情報社会へ』 - 生きてみた感想
  • 鈴木理策写真展 意識の流れ|東京オペラシティアートギャラリー

    インタビュー Interview 写真を撮ることは、自分の外にあるものを引き受けるということ 5つのシリーズからなる今回の展覧会のコンセプトについて、鈴木理策氏にうかがいました。 2015年6月16日[火] 東京オペラシティ アートギャラリーにて 今展で鈴木さんは《海と山のあいだ》、《SAKURA》、《White》、《Étude》、《水鏡》と、5つのシリーズを発表されますが、全体を貫くテーマについてお聞かせいただけますか。 人はたいてい写真に写っている対象が何かわかると、見るのをやめてしまいます。無意識のうちに写っている内容を言葉に置き換えて、たとえば「熊野の風景だ」「桜だ」「雪だ」という具合に対象を認識したとたん、それ以上見ようとはしません。でも見るという行為は、ゆらぎを含んだ動的なものであるはずです。そこで私は「○○の写真」ではなく、「見えていること」そのものを提示したいと考えました。

    鈴木理策写真展 意識の流れ|東京オペラシティアートギャラリー
    De_Lorean
    De_Lorean 2015/08/21
    でも見るという行為は、ゆらぎを含んだ動的なものであるはずです。そこで私は「○○の写真」ではなく、「見えていること」そのものを提示したいと考えました。
  • les signes parmi nous

    D. W. グリフィスの最大の野心作『イントレランス』Intolerance (1916)を構成する4つのエピソードのうち、最もまとまった物語を展開している「現代篇」は、数年後にグリフィス自身によって再編集されて、『母親と法律』The Mother and the Law (1919)という独立した長篇映画として公開されている(YouTubeでも見ることができる)。 www.youtube.com この映画はおそらくグリフィス作品のなかでも相対的にマイナーで、元々作の企画が発端にあったにもかかわらず、『イントレランス』の影に隠れて顧みられない傾向にある。しかし『母親と法律』は、『イントレランス』から「現代篇」を単に抜き出しただけの作品ではなく、新たに撮影されたシーンをそれなりに多く含むなど、独立した長篇としても見応えがある。率直に言って、もっと見られてもよい作品だと思う。 基的なストー

    les signes parmi nous
    De_Lorean
    De_Lorean 2015/06/19
    “堀 潤之(Junji HORI) 映画研究・表象文化論。関西大学文学部総合人文学科映像文化専修准教授。”
  • ワークショップ記録

    現在、このページでは2010年度のワークショップ記録のみ閲覧いただけます。 2011年度以降の記録は、トップページ上の「ワークショップの開催記録及び今後の予定」から各回の「ワークショップ記録」をクリックしてご覧下さい。 第六回 芸術の脱文脈化(久保 哲司) Ⅰ. ベンヤミンにおける〈アウラ〉の用法 「ドストエフスキーの『白痴』」(1921年発表) 「ゲーテの『親和力』」(1921-22年成立、24-25年発表) 「〈イラスト入り新聞〉には異議なし」(1925年成立) 「覚書および資料(『パサージュ論』)」(1927-1940年成立) 「薬物実験の記録」(1927-1934年成立) 「カール・クラウス」(1931年発表) 「批評家の使命」(1931年成立) 「写真小史」(1931年発表) 「占星術について」(1932年頃成立) 「複製技術時代の芸術作品」(初稿1935年成立、第2稿1935-

    De_Lorean
    De_Lorean 2015/05/30
    “第六回 芸術の脱文脈化”
  • 日本映像学会

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  • Sakuga pt.1 - Intro & Yutaka Nakamura: Grandmaster Battle Animator

    Presenter Colin Groesbeck shows you a new way to appreciate the anime you watch. This is the first part of "Sakuga: The Animation of Anime", presented at Anime Central (Chicago) 2013, a two-hour extended edition of our 2011 presentation. I will gradually upload the recordings as I produce them. The use of copyrighted clips in this video is fair use, as the clips are limited length at web resolut

    Sakuga pt.1 - Intro & Yutaka Nakamura: Grandmaster Battle Animator
  • 大久保 遼|明治学院大学社会学部

  • 慶應義塾大学SFC 松川昌平研究室

    慶應SFCで松川研究室を持ってから今年で4年目となる。ちょうど、春休みに行ったゼミ合宿のなかで、私がピックアップした20冊の必読書中から5冊を読んできてレジュメをつくり、みんなで議論するという輪読ゼミをやっていた最中にこの企画のお話をいただいた。さっそく学生に話したところ、せっかくの機会なので学生自ら書いてみたいという申し出があった。読むだけではなく書くことで、より理解が深まることは経験上知っているし、なにより私自身その機会を得られたのは『10+1』の誌上であったので、思い切って学生に書かせてみることにした。以下は慶應SFCの松川研に所属する中村健太郎さん(学部4年生)が中心となってまとめた「松川研ブックガイド」である。これを機に、毎年学生と相談しながら漸進的にブックガイドを進化させていきたい。[松川昌平] 慶應義塾大学SFC 松川研究室のウェブサイト URL=http://000lab.

    慶應義塾大学SFC 松川昌平研究室
  • 『デジタルメディアの社会学』に至るまで - 凸と凹の間

    「メディア論」との出会いは2000年前後だった。家庭用インターネットはまだISDN回線のテレホーダイが主流だったので、夜11時から朝8時までの定額料金時間帯にいろいろと遊んで、それから寝るような感じであった。こんな生活をしていて当に大丈夫なのか?と話し合う相手もネットのなかにしかいない状態だった時、どうも「メディア論」という学問領域があるらしいと聞いたのである。 最初に読んだのは、水越伸『デジタル・メディア社会』(岩波書店、1999年)だった。「どーせ、東大のおじいさん先生が無理して書いただろ…」と読む前から決めつけていたのだが、予想外に執筆者が若いことに驚き、またインターネットまでの展開を歴史的な視座で捉えていく記述をとても面白く読んだのである。 その結果、吉見俊哉・水越伸『メディア論』(放送大学教育振興会、1997年)を次に読んだ。「あ〜、吉見という人は「カルチュラル・スタディーズ

    『デジタルメディアの社会学』に至るまで - 凸と凹の間
  • フリードリヒ・キットラー「グラモフォン・フィルム・タイプライター」 - モナドの方へ

    書は、グラモフォン(蓄音機)、フィルム(映画)、タイプライターというテクノロジーが、いかにメディアに影響を与えるか、広く言えば人間の精神活動に影響を与えるかを、ラカンの理論等を用いながら具体的に例証してゆくである。 たとえば手書きの文章と、キーボードで打った文章と、携帯電話で入力した文章は、同じ人が書いてもかなり違うものとなるし、入力ソフトウェアや出力される形式によってもまた変わってくるだろう。そんなことはクドクド説明しなくたって、ブログをせこせこ更新し、さまざまなwebサービスを使っている我々が今一番身にしみて感じていることではないだろうか。 その割にはテクノロジーの進化がメディア(例えば文学)などにいかなる影響を与えているのかを問うている論考というのは意外なほど少ない。ややもすれば精神主義の立場をとる人から叩かれるほどだ。 さてそんな議論を展開するキットラーだが、大いなる先人マクル

  • メタ・フォトグラフィ論-デジタル化以降の写真について・改訂版 - Art&Photo/Critic&Clinic

    -マイケル・フリードが現代写真における「被写体と写真家の関係性」から「写真と観者の関係性」への移行を指摘しているが、この移行が意味していることはどういうことだろうか。従来の写真が「被写体と写真家の関係性」を重視してきたのに対して、現代の写真家は写真を観る者との関係において、自らの写真を撮る(写真作品を制作する)ようになったということだろうか。ということは、写真というイメージを、その被写体(現実の対象)に依拠することなく、あるいは現実の対象に還元することなく、一つの自律したイメージとして提示するようになったということだろうか。現実対象とイメージの明確な分離。観る側からの立場で言えば、写真家が何をどのように撮ったか(写真家の現実的経験)をとりあえず捨象し、まずは眼の前にある写真(イメージ)と対峙するということだろうか。 -写真を観る側はいずれにしても、眼の前にある一つのイメージを見るのであって

    メタ・フォトグラフィ論-デジタル化以降の写真について・改訂版 - Art&Photo/Critic&Clinic
  • http://www.yhmf.jp/pdf/activity/adstudies/vol_40_01_05.pdf