2016年11月03日16:00 ロケット・キャッチャー カテゴリヘンなパテント 「Mechanix Illustrated」誌、1953年1月号に掲載された “ROCKET CATCHER” 。→■ …なにか悪い冗談のようですが、ロケット自体が多段式になるとか帰還モジュールだけが帰ってくるとかの発想が無かった時代としてはこれも考えられる手段の一つだったのでしょう。 キャプションにある通り、US2592873として特許が取得されています。→■ キャッチャーは山の斜面や水上に設けられるみたいです。 ニュアンスの似ている物は1919年にすでに登場しています。 「ELECTRICAL EXPERIMENTER」誌1919年12月号に掲載された “Aerial Passenger Rocket" と呼ばれるアトラクションです。→■ 考案者はハリー・セコーとヒューゴー・ガーンズバック! 電磁砲(時代
轟音と煙とともに消えた男 〔略〕一五〇〇年ごろの中国。時は明王朝。人類初の宇宙旅行を企てた男がいた。竹製の特別あつらえの椅子に端然と腰掛けた男、その名は王冨[ワンフー]、明の高級官吏である。椅子の後ろには四七基の火薬ロケットがノズルをそろえ、凧が二つ、椅子を引っ張りあげている。四七人の苦力[クーリー]が一基ずつ、ロケットの導火線にマッチで火をつける。 「バーン!」 耳をつんざくような爆発音、つづいてモウモウたる煙。煙が晴れたとき、哀れな王冨の姿は残っていなかった。ただ淋しく、粉々になった椅子の残骸が王冨の運命を物語っていた。急いで駆け寄った人々はつぶやいた。 「ああ、王冨さんは天国へ行っちゃった」 王冨がニュートン力学をマスターしていれば、天国へ到着するのは早くて六、七分後と見積もっていただろうが、彼はたぶんその予定よりもかなり早めに天国に着いたにちがいない。それにしても、戦争の道具として
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■■第1章:ドイツ全土から科学的・技術的な戦利品を奪い取った連合軍 ●第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの科学技術力は圧倒的だった。 当時、軍需大臣に昇進していたアルベルト・シュペーアは次のように書いている。 「1944年の段階では、ジェット戦闘機Me262だけが奇跡の兵器ではなかった。リモコンで飛ぶ爆弾、ジェット機よりも速いロケット戦闘機、熱線により敵機に命中するロケット弾、ジグザグコースで逃げていく船の音を探知し追跡・命中させる魚雷を我々は持っていた。地対空ロケットの開発も終わっていた。リピッシュ博士は、無尾翼の原理によって設計された戦闘機を開発していた。それは当時の飛行機製造の標準を遥かに超えたものであった」 世界初の実用ジェット戦闘機として実戦に投入された「Me262」 この機体は時速800キロ以上のスピードとその上昇能力によって、当時のどんな 航空機より遥かに優れていた(連合国側の
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