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ブックマーク / kscykscy.exblog.jp (12)

  • 【宣伝】『忘却のための「和解」 『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房、2016年) | 日朝国交正常化と植民地支配責任

    この一年半にわたりブログや論文で書いてきた『帝国の慰安婦』批判の論考を大幅に加筆・修正したものですが、半分以上は新たに書き下ろしました。 このでは、『帝国の慰安婦』と礼賛論の主張をそれぞれ検証し、書には日軍「慰安婦」制度についての日軍の責任の矮小化、被害者たちの「声」の恣意的な利用、日の「戦後補償」への誤った根拠に基づく高い評価などの致命的な問題があることを指摘しました(詳しくは末尾に目次を添付しますので参照してください)。著者の朴裕河氏や擁護者たちは『帝国の慰安婦』への批判はいずれも誤読によるものであると反論していますが、こうした主張こそが書を「誤読」しており、被害者たちの怒りには相応の根拠があるというのが私の結論です。 むしろ問われねばならないのは、これほどまでに問題の多い書を「良心的」なとしてもてはやした、日の言論界の知的頽廃です。なぜほとんどの日のメディアは、日

    【宣伝】『忘却のための「和解」 『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房、2016年) | 日朝国交正常化と植民地支配責任
  • 声明「日本軍「慰安婦」問題、早まった「談合」を警戒する」を支持する | 日朝国交正常化と植民地支配責任

    明日12月28日、日韓外相会談が開かれる。詳述する余裕はないが、会談をめぐる報道は改めて日社会の「慰安婦」問題認識の歪みを曝け出している。当事者たちを無視した水面下の交渉が是とされ、さらには「蒸し返し」を禁じることが獲得すべき外交的目標であるかのように語られる。恥ずかしげもなく「口封じ」を「解決」とみなす主張が横行している。結局のところ、1965年以来、この社会は何ら質的には変化していないのである。 ただ1965年よりも悪いといえるかもしれない。歪んだ「和解」観は日政府が独力でつくりあげたわけではない。日政府はこれまで度々日軍「慰安婦」問題についての日の責任を否定する発言を繰り返してきた。明らかに、問題を「蒸し返し」続けてきたのは日政府である。にもかかわらず、日式の問題解決案(国民基金)を受け容れなかったこと、少女像を設置し抗議したことがあたかも問題「解決」の障害であるかの

    声明「日本軍「慰安婦」問題、早まった「談合」を警戒する」を支持する | 日朝国交正常化と植民地支配責任
  • 岩波書店の就業規則改悪問題と在日朝鮮人への言論弾圧 | 日朝国交正常化と植民地支配責任

    ただ、ここに岩波書店の就業規則改悪問題を取り上げるのは、問題が岩波書店の労働問題並びに日の言論の自由に対する悪影響に留まらず在日朝鮮人の言論活動への弾圧としての側面を有しているからである。今般の岩波書店の就業規則改悪はこの間の金光翔氏の言論活動への封殺を意図したものと考えられる。上記の記事でも言及されているように、金氏はこの間、論文「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号、2007年11月)を皮切りに、右翼・国家主義者であり在日朝鮮人への弾圧を煽る佐藤優を他でもない岩波書店が積極的に起用することを批判し続けてきた。極めて重要な批判であり、私も多くを学んできた。 だがこの結果、金氏は佐藤優や『週刊新潮』等の右派メディアからのみならず社内においても攻撃にさらされるに至った(末尾の共同声明及び金氏のブログを参照されたい)。岩波書店の「著者および関係取引先」への「誹謗」「中傷」を「諭

    岩波書店の就業規則改悪問題と在日朝鮮人への言論弾圧 | 日朝国交正常化と植民地支配責任
    EoH-GS
    EoH-GS 2015/03/21
    百田尚樹の作家タブーとかで騒いでいる場合じゃないですね。
  • 「国民基金」の再来 | 日朝国交正常化と植民地支配責任

    「ここにきてそれ(教育不足)が問題だ。(右翼性向の雑誌を指して)このようにいち早く週刊誌がこの問題を扱ったことは無かった。全体的に、韓国を嫌い朴大統領を憎むよう毎回朴槿恵大統領の写真を載せ、ああだこうだと攻撃している。こうした異常な状態になった。[中略] 「(右翼勢力が)そのようなキャンペーンをした一つ(の根拠)は、日政府がアジア女性基金で謝罪し、贖罪しようと申請したのに韓国が拒絶したのが日人としては痛いということだ。日人はそうしたことをみな知っている。それで日が謝罪をし、何かをしようとするとき、その成功は韓国人と日人が互いに助け合わなければ可能ではない。日がしようとすることがすべていいことではないから批判も必要だが、頭を下げてすまないと言おうとするときには、韓国人も日を助けてくれねばならない。ベトナムと韓国の間にも問題があるではないか。同じことだ。これはやはり(日が)謝罪

    「国民基金」の再来 | 日朝国交正常化と植民地支配責任
    EoH-GS
    EoH-GS 2014/06/24
    脅しにも似た驚くべき発言
  • 悪い朝鮮人だけ殺せ?――民族差別・民族教育弾圧批判 | 日朝国交正常化と植民地支配責任

    在特会が2013年2月に掲げて有名になった「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」というプラカードがある。言うまでもなくこのプラカードは朝鮮民族全体の殺害を煽動する最悪のレイシズムの表現であり、反対するのは当然である。だが、これに憤る人びとは一体この文句のどの箇所を問題だと考えているのだろうかについて、ある疑念があった。もしかしたらこの人びとは「良い韓国人」まで「殺せ」と言ったことに対し、激しく憤っているのではないか、「悪い朝鮮人だけ殺せ!」こそが正しいのだと考えているのではないか、という疑念である。 このプラカードは意識的に書かれていたように思う。「良い韓国人/悪い韓国人」を分けて後者への差別を肯定しながら、自らだけは救われようとする哀れな「戦略」を採る人びと――「北朝鮮」が差別されるのは当然だが、自分たちは違う、「北朝鮮」に制裁を加えるのは賛成だが、民族差別はいけないと弁明する人びとを

    悪い朝鮮人だけ殺せ?――民族差別・民族教育弾圧批判 | 日朝国交正常化と植民地支配責任
  • 日朝国交正常化と植民地支配責任

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    日朝国交正常化と植民地支配責任
    EoH-GS
    EoH-GS 2012/05/12
    "大日本帝国という過去に批判的であるようなポーズを装いながら、その問題点は朝鮮のみに継承されたとして大日本帝国の過去そのものに向き合うことを回避"本当によく見かける。
  • 自民党憲法草案批判にみる「護憲派」の朝鮮侮蔑意識 | 日朝国交正常化と植民地支配責任

    先日、自民党が憲法改正草案を発表したが、これに対するネット上の「護憲派」による批判のレトリックがあまりに醜い。例えば、「甲賀志」@hiroujinによる『「国民の基的人権は国家が自由に剥奪できます」という自民党改憲案のトンデモ内容まとめ』である。 ここで@hiroujinは、冒頭から「自民党の改憲草案が北朝鮮じみていて、失笑すらわいてこなかった」「基的人権や財産権にしても「公益及び公の秩序に反する」と判断されれば簡単に剥奪される。一体これはどこの北朝鮮の憲法なのだ? この憲法を制定させたら最後、日国民一億人は全員、自民党の奴隷と化すのは確実だ。」などと、繰り返し自民党の憲法草案が「北朝鮮じみてい」る、「北朝鮮の憲法」のようだ、というレトリックを用いて自民党の憲法草案を批判する。 また、このまとめへのコメントも「こんな憲法案を出す様な自民党員なる方々は、少なくとも建前上は自由で民主的な

    自民党憲法草案批判にみる「護憲派」の朝鮮侮蔑意識 | 日朝国交正常化と植民地支配責任
    EoH-GS
    EoH-GS 2012/05/01
    "もはや護憲派にとっても、他国に対する偏見や排外主義的情緒は、克服すべき対象ではなく、取り込み、動員すべき資源なのであろう"右派メディアの排外主義も怖いけど、護憲派の言動の端々に現れるそれはもっと怖い
  • 「超左翼おじさん」=松竹伸幸氏の植民地認識批判 | 日朝国交正常化と植民地支配責任

    「超左翼おじさん」こと松竹伸幸氏(以下敬称略)が、「韓国植民地支配での菅総理談話」と題して連載している。「韓国植民地支配」という表現にすでに違和感をおぼえるが、そもそも松竹は植民地化をめぐる基的な事実を誤って理解している。以下の引用を見よう。 「例外もあるかもしれないが、欧米の場合、そもそも条約によって植民地にするという事例が、あまりないと思う。だって、植民地支配というのは、もともとそういうものではないからだ。 列強がつくった国際法では、条約を結ぶ相手というのは、対等平等な主権国家であった。そういう国家は、植民地支配の対象にならない。 「国際法」上、植民地にしていいのは、いわゆる「無主」の地だけ。人びとは住んでいるけれども、西欧的な意味での国家はなく、「主」はいない。 法律では、「先占」という考え方がある。誰のものでもないものを見つけた場合、一番先に見つけた人のものになるということだ。そ

    「超左翼おじさん」=松竹伸幸氏の植民地認識批判 | 日朝国交正常化と植民地支配責任
  • 再論・1948年の民族教育弾圧について――前田年昭氏の反論に答える | 日朝国交正常化と植民地支配責任

    前回の記事「1948年の民族教育弾圧について――前田年昭氏への疑問」に対して、前田氏が自身のブログに反論を掲載している(「阪神教育闘争再論 kscykscyさんの批判にこたえて」参照)。早速の回答に謝意を示したい。 しかしながら、前田氏の回答によっても私の疑問は氷解するには至らなかった。なおも前回の記事で提起した疑問は未解決のままに残っているといわざるを得ない。氏の回答を参照しつつ、1948年の民族教育弾圧及び民族教育擁護闘争について以下に再論することにしよう。 まず論点を整理しておこう。「吉田政府」の部分については訂正していただいたため、再論する必要はあるまい。ここで取り上げるべき論点は「日人と在日朝鮮人は肩を組んで阪神教育闘争を闘い,〔学校閉鎖令を:引用者注〕撤回させた歴史」という表現は、事実として妥当なのかという問題である。さらに、この論点は「日人と在日朝鮮人は肩を組んで阪神教育

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  • 1948年の民族教育弾圧について――前田年昭氏への疑問 | 日朝国交正常化と植民地支配責任

    「繙蟠録――編集人前田年昭のブログ」に3月29日付で掲載された記事「「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑 除幕集会」開催される」に、以下のような記述があった。 「敗戦直後の1948年,アメリカ占領軍と吉田政府による朝鮮学校閉鎖令に反対して日人と在日朝鮮人は肩を組んで阪神教育闘争を闘い,撤回させた歴史があります。日の敗戦は,侵略戦争で凍り付いた日人の心を氷解させるよい契機だったのです。しかし,戦争責任に口をつぐんだ日人は再び凍り付いてしまいました。」 前田氏によれば、これは3月28日に三重県熊野市で行なわれた「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑 除幕集会」での発言とのことである。高校「無償化」から朝鮮高校を排除することへの批判など、全体の趣旨に賛同しないわけではないが、一読していくつかの疑問を感じたので、以下に記すことにする。 第一に、前田氏は「敗戦直後の1948年,アメリカ

    1948年の民族教育弾圧について――前田年昭氏への疑問 | 日朝国交正常化と植民地支配責任
  • 筑紫哲也の反テロ戦争的「情」について | 日朝国交正常化と植民地支配責任

    筑紫哲也の訃報を聞いて「9.17」直後に彼が書いたコラムを思い出した。改めて読み直してみると、当時は気づかなかったのだが、その後の左派の推移を予言するような、ある徴候的な醜悪さがあることに気づいた。 その文章というのは、2002年10月18日付『週刊金曜日』(特集は「それでもやっぱり日朝の正常化を」)に書いた「せめて「狂乱の場」を」というコラムである。筑紫はここで、「週刊金曜日」は拉致問題を取り上げることを避けているのでは、という読者からの疑問を紹介して「そういう印象を与えたとしたら、誌面に「理」が勝ちすぎて「情」に欠けるからではないか。そして今週号はもう「それでもやっぱり日朝の正常化を」(特集タイトル)である」と揶揄しつつ(筑紫は編集委員のはずだが)、続けて次のように記す。 「他の週刊誌がこぞって露骨な反北朝鮮キャンペーンを張っているなかで、それは"栄光ある少数派"のひとつの立場であろう

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  • 何に怒るのか――朝鮮学校と高校「無償化」問題⑧ | 日朝国交正常化と植民地支配責任

    朝鮮学校を排除した高校「無償化」法案が衆議院を通過した。鳩山政権はこれまでの日政府と全く同様に、朝鮮高校を「高校」と認めなかった。政府は、朝鮮高校が「高等学校の課程に類する課程を置くもの」かどうかの判断を第三者機関に委ねるという。それでは田中真紀子衆議院文部科学委員会委員長をはじめとする国会議員らは東京朝高で何を「視察」したのか。人を馬鹿にするにもほどがある。 今回、こうした朝鮮学校が高校「無償化」から排除された背景には、中井をはじめとする極右派の攻撃があることは確かである。だが政府関係者がしきりに繰り返した「外交上の配慮や教育の中身は判断材料にならない」(川端文科相)などの弁解も、中井的なものと別のことを言っているわけではない。しつこく書くが、大学受験資格から排除した時でも、文科省が朝鮮学校を排除した表向きの理由は「外交上の配慮」ではなかった。そんなことを堂々と認める役所があるわけない

    何に怒るのか――朝鮮学校と高校「無償化」問題⑧ | 日朝国交正常化と植民地支配責任
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