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ブックマーク / www.newsdigest.de (2)

  • マーティン・シュルツ - ドイツ生活情報満載!ドイツニュースダイジェスト

    Martin Schulz 1955年12月20日アーヘン郡生まれ。SPD所属。欧州議会議員。欧州社会民主進歩同盟(S&D)政治会派代表。1月17日から欧州議会議長。 ©Cedric Joubert/AP/Press Association Images 1月17日に欧州議会の新議長に選出され、早速「EU は首脳会議の市民不在政治に苦しんでいる」「欧州議会と欧州委員会はメルケルとサルコジに対抗すべき」など次々に批判発言。政治性の強い議長が誕生したとして、大きく報道された。 「張り出し舞台の客寄せ役者」を自称する鋭い弁舌が持ち味だが、元々は地道な実務派政治家である。ギムナジウムをアビトゥアなしで最終学年まで終え、書籍商教育を受けて1982年、27歳のときにアーヘン近郊ヴュルゼーレン市に書店をオープン。平行して84年から同市の市議会議員、87年には31歳で州最年少の市長に就任し、書店経営を94

    Ereni
    Ereni 2015/09/25
  • ワルシャワでひざまずいたブラント Brandts Warschauer Kniefall - ドイツ生活情報満載!ドイツニュースダイジェスト

    1970年12月7日 1970年12月7日、ヴィリー・ブラント西ドイツ首相(社会民主党=SPD)はワルシャワを訪れ、ポーランドとの国交正常化基条約に調印。その足でゲットー英雄記念碑に献花し、ひざまずいて黙祷を捧げた。 東との断絶―ハルシュタイン原則 ホロコーストへの深い謝罪として世界に報道されたこの姿に対して、西ドイツ人がどのように反応したかを語る前に、ブラント政権の政策に触れておきたい。 1969年10月に発足したSPDとFDP(自由民主党)の連立政権が、「新東方外交」を進めたことはご存知だろう。それは、原案者の名前を冠して「ハルシュタイン原則」と呼ばれた外交方針を“正式に”破棄することだった。 この原則を採用していたのは、63年まで西ドイツを率いたアデナウアー首相(キリスト教民主同盟=CDU)である。東ドイツを絶対に国家とは認めず、「ソ連地区(Zone)」や「中部ドイツ*」と呼んでい

    Ereni
    Ereni 2015/08/13
    2009.9.18 しかし西ドイツでの反発は大きかった。シュピーゲル誌のアンケート調査に対し、「大げさだ」と答えた人は48%。野党CDUとCS、保守大衆紙、1000万人を擁する追放関係者団体は「身売り外交」と批難した。
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