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教育と増田に関するFRS_MAGのブックマーク (7)

  • ゴリラに育てられた4年間の話

    小学3年から6年までの間、担任がゴリラだった。 もちろん正確には人間だったんだけど、なにせガタイがよく、振る舞いもゴリラのようだったので、生徒たちには「北ゴリ」と呼ばれて親しまれていた。 北ゴリは草履を履いて生活し、機嫌がいいといつのものか分からない昭和歌謡を歌い、毎日マウンテンバイクで隣県の家から学校に訪れては、日が暮れるまで体当たりで子どもの相手をした。すべてが風変わりなゴリラだった。 北ゴリの授業は自由だった。彼はゴリラらしく、われわれ小ザルにもわかる作法で勉強を教えてくれた。 算数で体積を習った日の宿題は、いっぱいに張った風呂に頭まで浸かって、減った湯の深さから自分の体積を計算するというものだった。 比率の授業には、醤油と酢と油を持ってきて、一番おいしいドレッシングの比率を計らされた。 円周率を初めて知る日には、コンパスで引いた円に沿って糸をなるべく正確に張りつける遊びをして、その

    ゴリラに育てられた4年間の話
  • 長男がプログラム(でゲーム)を作りたいと言い出したので、Javascriptの書き方..

    長男がプログラム(でゲーム)を作りたいと言い出したので、Javascriptの書き方とブラウザでの動作確認を軽く教えた 次男も感化されたようで長男の真似をし始め、今は簡易な動作のHTMLファイルであれば作れるようになっている ある日、二人の空気が険悪だった(大喧嘩したあとの空気だった) まずは長男に事情を訊いてみると、とあるプログラムの方針で対立したとのこと それは「じゃんけんゲーム」だった 画面でグーチョキパーのいずれかを選びボタンを押すと、相手(CPU)の「手」と勝敗が表示されるというものだった 次男はまずCPUの「手」を乱数で決定し、画面に入力された「手」と比較して勝敗(と引き分け)を決める、素直な処理だった 長男はそれに飽きたのか、まずは乱数で「勝ち」「負け」「引き分け」を乱数で最初に決めてしまい、その後で結果に応じたCPUの「手」を決定するというロジックだった 次男はこれが気に入

    長男がプログラム(でゲーム)を作りたいと言い出したので、Javascriptの書き方..
  • 「身の丈に合わせて、大学行かずに就職すればいいじゃん」

    中学3年の時、親にそんなことを言われてケンカしてから、どれほどの年月が経っただろうか。 そんな私は、某国立大の大学院を出て、参考書の編集者をしている。 幼い頃から、勉強だけは好きで、よくできた。けれども運動もコミュニケーションもへっぽこだったので、小中(公立)時代は同級生にいつもからかわれた。それ以上に辛かったのは、私が好きな勉強のことで、話が出来る相手がクラスにいなかったことだ。 「商業高校?とんでもない!君は普通科に行って、大学に入りなさい」 中学の時の担任は私に、世の中には進学校と呼ばれる、勉強が得意な人が集まって大学進学を目指す高校があることを教えてくれた。今振り返ればバカみたいな話だが、ネットが普及してない当時、塾に通わず、通信教育や家庭教師の類もやってなかった私には、そうした情報を得られる機会がほとんどなかったのだ。両親は共に非大卒で大学受験に詳しくないし、世帯所得も多くなく、

    「身の丈に合わせて、大学行かずに就職すればいいじゃん」
  • 日本の英語教育がダメとか言う人って中高の英語まじめにやってきたの? 私..

    英語教育がダメとか言う人って中高の英語まじめにやってきたの? 私は中高まじめにやっただけで普通にコミュニケーション取れるくらいになってたし留学用のテストも一発だったよ 英会話とか通ったことないし、ただ授業(公立校の)まじめに受けてELTに話しかけてただけ あとはネットでネイティブの友達作ってチャットしたりはしたけど、そのチャット始めるための英語も全部学校で教わったものだし たまにネットで話題になる「○○と言いたい時に英語でxxと言うのは間違いだった!」みたいな豆知識?見てもいつもこれ高校でやったとこだ〜ってなるし よほどマニアックな文法とかすごい古い言い方とか、そういうの以外の基礎は中高でちゃんと教えてくれるってこと だから日英語教育クサす前に中高の英語の教科書買ってきてちゃんとやって見たらいいと思う もちろん極力ネイティブみたいに話したい!とか思うなら最初から英語圏で売られてる

    日本の英語教育がダメとか言う人って中高の英語まじめにやってきたの? 私..
    FRS_MAG
    FRS_MAG 2019/06/19
    いや、俺は英語でコミュニケーション取れるけど?って話に意味がなくて、日本の英語教育を受けた人の大半がまともにコミュニケーション取れないから英語教育がダメな訳。
  • 少年院に行った

    先日、仕事で機会があって少年院に行った。 住んでいる区域内のわりと土地勘もあるエリアで、あ、そういやこっち側には曲がったことがないな?という道の先にそれはあった。 古いがさっぱりとしておりよく手入れされた建物で、80年代のドラマで観た刑務所然とした趣はまるでなく、来客用のエリアで私物をすべて預け、鍵のかかった扉を2つ経ると そこは病院のような、映画で観た外国の寄宿舎のような趣の場所だった。 打ち合わせで会った職員のひとりはこう言っていた。 「普通がなにかわからない子たちなんです、非行しか知らないような子が大半なんです。少しでも普通の世界を見せてあげたくてこういった授業を行っているんです」 それを聞いて正直少し怖気づいた。 いままで生きてきてずっと自分は普通で平凡な人間だと思ってきた。中流家庭に育ち中間程度の学力で普通に大学まで出て就職した。 だけど自分が「普通」のモデルケースとして「普通じ

    少年院に行った
  • 息子に拒絶されてこれからどうしたらいいのかわからない

    5歳の息子がいる はフルタイムで働いていて、時短勤務なのに私よりいい給料をもらうとてもできたで、家族3人それなりに幸せに生活していたと思う 平日の朝は私が息子を保育園に送り、が夕方に迎えに行く、私は19時すぎに家に着き、一緒にご飯をべて息子とお風呂に入り、息子を寝かしつけて私は自分の時間を過ごす 休日は、だいたい土曜日は私と息子が二人でどこかに出かけ、夕方に家に帰る、は家でゆっくりしたり片付けをしたりする 日曜日は3人で買い物に出かけたり遠くの公園に遊びに行ったりした 私は息子と二人で遊ぶことが大好きで、息子が乗るストライダー(キックスクーター)の練習をし、乗れるようになったら5駅隣まで一緒に出かけた 自転車を買ったら練習をしてたくさん走った グローブを買ってキャッチボールもいっぱいした 電車で出かけて中華街で肉まんをべたり、みなとみらいを散歩したり、釣り堀に行ってフナを釣った

    息子に拒絶されてこれからどうしたらいいのかわからない
  • 東大生は自分のことを貧乏だと思ってる

    田舎者と貧乏人を初めて見た話」を受けて。 東大に入学した春、僕は父親の年収が700万円だと知った。日学生支援機構の奨学金に申し込むために、世帯主の収入が必要だったからだ。 当時の僕は父親の年収を見て、「こんなもんか、思ったよりは多いんだな」などと考えていた。東大生の親の世帯年収は、約半数が1000万円以上だという。 https://www.nenshuu.net/sonota/contents/toudai.php 1000万円というのが金持ちの一つの基準で、それに足りないウチはやっぱり中流階級なんだと思った記憶がある。僕は地方都市の郊外、人口5万人程度の町で生まれ育ち、小中高(駿)大と1年を除いてすべて公立で済ませてきた。父母僕弟の四人家族で車は国産の普通車、家は駅から少し離れた3LDKのマンション、外は月に一度するかしないか、98円の卵のために朝からスーパーに出かけるような、至っ

    東大生は自分のことを貧乏だと思ってる
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