タグ

2019年1月23日のブックマーク (5件)

  • 【SSSS.GRIDMAN考察】“物語”についての物語としてのグリッドマン【随時更新】 - Togetter

    平田殿 @Trd_den 「SSSS.GRIDMAN」第1回が屋上のアカネのショットからのタイトルで始まり、最後に実写(現実)のアカネが目覚めてタイトルで終わることからも分かるように一貫してアカネの“物語”だったんだと実感。 #SSSS_GRIDMAN pic.twitter.com/IYAxAybcY2 2018-12-23 23:34:28

    【SSSS.GRIDMAN考察】“物語”についての物語としてのグリッドマン【随時更新】 - Togetter
  • 『SSSS.GRIDMAN 第12話 感想』“最終回”この願いが叶いませんように : アニメと漫画と 連邦 こっそり日記

    疑問ほぼ回収・アクション・穏やかで元気付けられ、意外も絡むいい最終回だった! 最後だけは現実を描いていた事が、覚・醒じゃなく「覚醒」だった意味なのね 来の姿が、文字通り原作版グリッドマンなのも熱い! 旧新と2段階のOP曲なのが楽しい! ずっと一緒に居たい、願いが叶わないよう願うのが素敵でした ■アンチ君が「眼帯」だった意味!? 解決すべき問題が多かった分、示唆的な表現が多く、そこも私的に楽しかったですし ギミック戦満載の作が、最後はシンプルな殴り合いってのがイイね! 裕太の記憶は?とか、視聴者の解釈に任せる部分も 内海が、また友達になると言ってくれたり どっちでも安心ですし。 冒頭六花さん美しいし、アカネの笑顔と泣き顔、アノシラスちゃんここで来たか!

    『SSSS.GRIDMAN 第12話 感想』“最終回”この願いが叶いませんように : アニメと漫画と 連邦 こっそり日記
  • SSSS.GRIDMAN - three million cheers.

    全体的に描写の質が高いアニメだったと思う。 自分としては、元となっている特撮版グリッドマンのことはほとんど——というかまったく知らない状態で、ウルトラマンは知ってるけどグリッドマンなんてものがあったんだ…?という感覚だったので、アニメ化されたことへの思い入れのようなものはぜんぜんなかったのだが。でも結果的に「特撮のアニメ化」というプロジェクトとして成功したと思うし、単にそれだけじゃなく、最終回ではこの「特撮」「アニメ」という意味付けを物語構造に絡めて完成に至っていて、そこは特に銘記に値する。 アニメと実写 SSSS.GRIDMAN (C) 2018 「グリッドマン」制作委員会 最終回のポイントは以下二点。 グリッドマンが真の姿を得た描写:今までの3D-CGとしてのグリッドマンから、2D作画のグリッドマンへ アカネが覚醒して仮想世界から現実へ戻る:2Dアニメから実写へ 1. 特撮のアニメ化と

    SSSS.GRIDMAN - three million cheers.
  • 最終回感想『SSSS.GRIDMAN』 ラストの実写パートと「作りもの」の世界が持つ意味 - ジゴワットレポート

    とにかく、感無量である。予想だにしていなかった最終回(12話)ラストの実写パートの意味を悟った瞬間、あまりの制作スタッフの「電光超人愛」に鳥肌が立ってしまった。あの実写パートが挟まってはじめて、『SSSS.GRIDMAN』は『電光超人グリッドマン』の系譜に名を連ねたのだと。私は、そう理解している。 SSSS.GRIDMAN 第1巻 [Blu-ray] 出版社/メーカー: ポニーキャニオン 発売日: 2018/12/19 メディア: Blu-ray この商品を含むブログ (2件) を見る 作のSNSを中心としたムーブメントを体感していると、あたかも原典の『電光超人グリッドマン』が当時大ヒットした伝説の名作のように錯覚してしまう。 スポンサーリンク しかし、そんなことは全くなかった。私もご多分に漏れず『グリッドマン』世代だが、特撮好きが集まる場に足を運ぶまでは、『グリッドマン』をまともに知っ

    最終回感想『SSSS.GRIDMAN』 ラストの実写パートと「作りもの」の世界が持つ意味 - ジゴワットレポート
  • 母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀|note

    去年書いたトトロの記事に、大きな反響をいただいた。 今からはじまる物語は、この記事の「ゼロ話」である。 小学3年生の初夏。 9歳になったばかりの私は、「子供の権利」を手放した。 これは、私の子供時代が、無残に終わってしまった日のお話。 ずっと消えない壊れた時間が、いまもここに、残っている。 親の毒を味わうしかない、サビシイ子供だった「わたし」から、今日もどこかで子供と関わる、すべての人へ。 「好きじゃない方の子供」だった、わたしひとつ年下の弟がいる。 3歳くらいのときから、母は私よりも弟のことがカワイイのだな、とハッキリ理解していた。 誰になにを言われるでもなかったが、ちょっとした声かけや態度の差から、幼いながらに読み取れたのだ。 例えば保育園の帰り道。 歩いていて転んだとき、母は私に「も~なにやってんのよ、大丈夫?」と迷惑そうな視線をよこした。 しかし弟が転んだ時には、言葉より先にかけよ

    母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀|note