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石井裕に関するFeZnのブックマーク (5)

  • 東京電機大学 未来科学部 イブニングセミナー - 東京電機大学未来科学部

    未来科学部 2007年4月新設 建築×情報メディア×ロボット Architecture × Computer and Media × Robotics 東京電機大学未来科学部イブニングセミナー 独創・協創・競創の風土とタンジブル・ビット 講師: 石井 裕 氏 (マサチューセッツ工科大学 (MIT) メディア・ラボ教授) MITメディアラボは、「未来は予測するものではなく、発明するもの」というアラン・ケイの言葉を体現する研究所であり、世界中の先進的な企業とのコラボレーションを、創造のエンジンとしている。そのメディアラボの独創・協創文化の中から生まれたのが、タンジブル・ビットである。人々が生涯を通じ物質的な 世界と関わりあうことで育んできた豊かな感覚と能力を活かし、人間、デジタル情報、そして物理世界をシームレスにつなぐインターフェイスを実現することが、タンジブル・ビットのゴールである。 講演

  • 石井裕の“デジタルの感触” 第29回 「私のヒーロー」

    ダグラス・エンゲルバート 私のヒーローは、ダグラス・エンゲルバートである。彼が存在しなかったら、自分自身も存在しなかっただろうと思うほど、自分にとってかけがえのないヒーローなのである。 伝説的デモンストレーション 1968年、米国サンフランシスコで開催された国際会議FJCCで、彼は「NLS」という画期的なオフィス情報システムのデモを披露した。現在我々が日常的に利用しているハイパーテキストやアウトラインプロセッサー、マルチウィンドウ、グループウェア、そしてマウスなど、モダンコンピューティングの基礎となる数々の発明を40年も前に生み出し、実際に稼働するシステムを聴衆の前で実演して見せたのである。 このデモの聴衆の中に、パーソナルコンピューターの父と言われるアラン・ケイがおり、強いインスピレーションを受けたというのはあまりにも有名なエピソードだろう。 ダグラス・エンゲルバートの偉業は、コンピュー

    石井裕の“デジタルの感触” 第29回 「私のヒーロー」
  • 石井裕の“デジタルの感触”

    人とビット(デジタル情報)、アトム(物理世界)をシームレスに接続する「タンジブル・ビット」。連載では、横軸に「タンジブル・ユーザー・インターフェース(TUI)」研究の軌跡、縦軸に人とテクノロジーの関わり方をとり、日々考えていることをエッセイとして綴りたい。 2008年02月10日 12時03分 iPhone/Mac 石井裕の“デジタルの感触” 最終回 Macintoshを通じて視る未来 私の愛機はMacである。Mac一筋の人生になってから、はや20年が経過した。Macに出会う前は、短い間だったが同じくアップル製の「Lisa」が私の側にいてくれた。 2008年02月03日 22時34分 iPhone/Mac 石井裕の“デジタルの感触” 第29回 私のヒーロー 私のヒーローは、ダグラス・エンゲルバートである。彼が存在しなかったら、自分自身も存在しなかっただろうと思うほど、自分にとってかけがえ

    石井裕の“デジタルの感触”
  • ASCII.jp:テレビの未来|石井裕の“デジタルの感触”

    そのことを特別に誇りに思ったり、あるいは恥ずかしいと思ったことは今までなかったが、普通の人から見るととても奇異に映るらしい。テレビを持たない理由は、単純にその必要性を強く感じないからである。 刻々と変化する世界の情報は、インターネットから愛機PowerBook G4を通して入って来る。コンピューターは、ネット上の複数の情報ソースへの同時並行アクセスを、スムーズにサポートしてくれる。 サーチエンジンとマルチウィンドウ、ウェブブラウザーのタブ機能(FirefoxやSafariで「command」+「T」キーを押すだけ!)やブックマークを駆使することで、情報収集と分析、加工編集のスピードにおいて、コンピューターはテレビを大きく引き離す。積極的に情報を追い求めるユーザーにとっては、コンピューターが可能にする情報への「ランダムアクセス」と「サーチエンジン」が強い味方になる。 一方、一度にひとつのチャ

    ASCII.jp:テレビの未来|石井裕の“デジタルの感触”
  • 混迷するユビキタスの未来

    宣伝色に染まった「ユビキタス」 「ユビキタス」(Ubiquitous)の文脈は今ひどく混迷している。 「至る所にある」というユビキタスの辞書的な意味が転じて、日のメディアでは「いつでも・どこでも」ネットアクセスできる多機能モバイル・コンピューティングという意味で使われているように思える。1台の大型コンピューターを共有するメインフレームの時代から、1人1台のパーソナル・コンピューターを経て、各人がたくさんのコンピューターを使うユビキタスの時代──という未来像は、小型情報通信機器の販売を促進する旗としては、確かに有効な宣伝コピーではある。 しかし、「いつでも・どこでも」(any time, any place)は、何ら新しい概念ではなく、かつて「高度情報化社会」や「マルチメディア社会」が華々しく論じられたときに、何度も出てきたスローガンだった。では、ユビキタスもそれらのスローガンと同様、一時

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