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ブックマーク / kihamu.hatenadiary.org (16)

  • 世界を変えることはできますか?――社会科学的説教ないし説教的社会科学入門 - on the ground

    10代の少年少女にふと、「世界を変えることはできますか?」と尋ねられたとして、私ならどう答えるか――。 「できるかできないを訊くな。今の君には、そんなことを考える必要は無い。 当に世界を変えたいなら、まず何をどう変えたいのかを考えることだ。何でそう思うのかをハッキリさせろ。 その次に、どうやったら変えられるのかを考えろ。そして、それを知るために勉強しなさい。」 もちろん、「できない」と答えてもいい。しかし、それは必ずしも正確な答えではないし、その答えで納得して引き下がるような相手なら、最初から答える価値も無い。誰かに「できない」と教わったら変えようともしない人間は、別に気で変えたいとも思っていないということだ。そんな奴、真剣に相手にするだけ時間の無駄である。 世界を変えることはできない。変えることができるのは、自分だけだ*1。私たちにできるのは、自分の変化や行動を通じて世界に働きかけ、

    世界を変えることはできますか?――社会科学的説教ないし説教的社会科学入門 - on the ground
  • 正しいのはオレだ - on the ground

    例えば音楽で世界を変えようとすることは、愚かなことだろうか。「愛と平和」と叫んで暴力を止めようとすることは、馬鹿げているだろうか。気で世界を変えようとしている人は馬鹿と呼ばれても別に何も思わないだろうが、実際のところ馬鹿でもなんでもない。確かに、争いの無い世界を皆で想像すれば争いを無くすことができると考えるのは、社会科学的観点からして認められない見解である。けれども、そう考えることは間違いでも、それを実行しようとすることは社会科学と相容れないわけではない。 もちろん、音楽では世界を変えることはできない。そんなことは、いい大人なら誰でも薄々解っていることだ。でも、世の中には歌う人がいる。音楽に限らず、人に世界を変えることは不可能である。それでも、人はそれをしようとする。そして、それは決して愚かな行為ではない。 なぜか。世界を変えることはできないと解っていて、それでもなお変えようとすることが

    正しいのはオレだ - on the ground
  • 利害対立と民主主義モデル - on the ground

    吉原直毅「最近思う事:湯浅誠・堤未果『正社員が没落する--貧困スパイラルを止めろ!』(角川新書)を読んで」を読んで、「分断統治」という観点は確かに重要であるとしても、正規・非正規ないし中間層・低所得層という対立軸だけでなく、世代間の対立についての目配りを盛り込んだ議論構成にしなくては、いわゆるロストジェネレーション層への応答なり批判なりにはならないだろうと、若干の違和と物足りなさを覚えた*1。その方面について私には何の専門的知見も無いが、世代の軸を加えるなら、単なる情緒的認識の問題には尽くすことのできない程度の敵対性は存在するのではないか。 無用な対立を煽ることは避けるべきだが、分断統治を目論む上位のプレーヤーが無条件に存在すると前提した上で誰だって仲良くできると考えるのは妄想である。「少なくとも民主主義的政治システムの存在する現代においては」*2、そのような上位のプレーヤーは居ない。「支

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  • 利害関係とは何か - on the ground

    『思想地図』2号の座談会で、東浩紀が「一人一票」原理についての疑義を提起している。例えば、今や世界中がアメリカなのにアメリカ国民しか大統領を選ぶ権利が無いのはおかしくて、世界中の人々に選挙権が分散されていてもいい。同じように、これこれこういう理由で、あなたはこの問題について0.5票とか0.3票持っています、とか言えてもいいんではないか。雑駁に言うとそういう話。 政治学的には、「一人一票」がよいものかどうかについての議論は別に目新しいものではない*1。理論的には、ある問題について極めて強い関心を持っている人と全然関心が無い人が同じ一票であるのは公平とは言えないのではないかということで、各主体の選好の強度・濃度(インテンシティー)を考慮すべきではないかとの議論がある。この点については、ディヴィッド・ミラー『政治哲学』の中にも言及があったと思う。今ある現実について言えば、国際機関などでは拠出金の

    利害関係とは何か - on the ground
  • 現代日本社会研究のための覚え書き――政治/イデオロギー - on the ground

    これで、あとは「ネーション/国家」と総論だけ。ようやく国家論に取り組める。のだが、できれば先に可能な改訂を済ませておきたい。なので、クライマックスはもう少し先になる予定。 五十五年体制の形成と安定 1946年4月、日で初めて行われた男女普通選挙は、戦後初の総選挙でもあった。新憲法案は、新たに選出された衆議院を含む帝国議会で修正・可決され、国民主権をうたう日国憲法が46年11月に公布、47年5月に施行された。施行に先立つ4月には、新憲法体制を樹立するため、首長選挙、参議院議員選挙、衆議院議員選挙、都道府県議会議員選挙が相次いで行われた。こうして、統治権力の正統性の源泉が国民に求められ、政治的意思決定能力者の全てに国民代表=統治機関の具体的な構成への直接の参与が広い範囲で認められるという、明確な国民主権体制がその一歩を記した。 戦後、計7年にわたって首相を務めた吉田茂は、その後の日政治

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  • 現代日本社会研究のための覚え書き――経済/労働 - on the ground

    やっぱり経済は粗が見えやすい。色んな人に怒られ/呆れられそうです。あくまでも「覚え書き」であるとのエクスキューズを忘れないようにしましょう、皆さん。いや、むしろ具体的にご教示頂けるのなら、その方がありがたいのですが。 産業化・工業化とフォーディズム=福祉国家体制 18世紀末の英国における産業革命の始まりを象徴するのは、J.ワットによる蒸気機関の発明である(1765年)。以降、機械制工業が発達し、工場の大規模化が進展する。19世紀後半には各国で産業化が開始され、工場労働者の集中によって、都市の急激な発展がもたらされた(都市化)*1。日では、明治政府の殖産興業政策によって、19世紀末から工業化が推進されることになる。以降、第2次産業の比重はしだいに高まり、1880年から1920年までに約3倍、就業者数は約4倍に拡大している。他方、同時期に第1次産業の比重は半分程度に下落し、就業者数も5分の3

    現代日本社会研究のための覚え書き――経済/労働 - on the ground
  • 科学的なるものの概念 - on the ground

    この記事は、「正しさは社会を良くするか」「無様なのはアンタだ」「「ニセモノ」ラベリングの意義と限界」の問題意識の一部を発展させて執筆したものです。 科学とは何か 「科学とは何か」(A)と問われる時、そこには常に、「科学とは何であるべきか」(B)という問いがはらまれている。私が問いAに答えて「科学とは〜である」と定義した瞬間に、その定義からはみ出すものは非科学=科学ならざるものとされ、決して科学と名指されるべきではないことになる。ここでは、問いAに答えることは、「科学と名指されるべきものはこのような条件を満たすものでなければならない」といった規範的限定を伴う規範的立場の表明を意味する。したがって、問いAが問いBから完全に独立して成り立つ事態は、およそ想定し難い。 BではないAを問うための一つの方法として、現実社会において「科学」という語彙がどのような意味で用いられているのかを分析した上で、様

    科学的なるものの概念 - on the ground
    Gen
    Gen 2008/09/23
  • 現代日本社会研究のための覚え書き――序論 - on the ground

    何の因果か、「宮台チルドレン」呼ばわりされたことがあるのですが、宮台の著作をこれだけ読み込んだのは今回が初めてですよ。だいたい、私が初めて宮台に触れたのは仲正との対談ですから、同世代の中でも宮台受容は遅いはずです(全く受容していない人はともかく)。東はどうかなぁ。比較的フォローしている方だとは思うけれども、オタクにもSFにも文芸にも縁が無いだけ、濃度が薄い気がする。でも、仲正や森達也と並んで著作購読率が高いトップ3には入るかな。あ、内容とは関係のない雑談でした。内容はやや不十分ですが、まぁいいです。そのうち手直しします。 ポストモダニティの論法 「ポストモダン」なる語が唱えられて久しい*1。。日では1980年代に流行し、近代の原理を超えた未来を望見させたこの語は、現代では陳腐化している。陳腐化と言う意味は、一方では議論の余地なく現代はポストモダンであるとされる程に定着しており、他方では

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    Gen
    Gen 2008/09/23
  • 後藤和智さんの言説について、最後に - on the ground

    おまえが若者を語るな! (角川oneテーマ21 C 154) 作者: 後藤和智出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング発売日: 2008/09/10メディア: 新書購入: 9人 クリック: 334回この商品を含むブログ (74件) を見る 後藤和智『おまえが若者を語るな!』を読みました。従前通りのクオリティで、ほとんど見るべきところは無いだと思います。いわゆる「俗流若者論」への戒めの書としては、既にご人が『「若者論」を疑え!』(宝島社(宝島社新書、2008年))を書かれていらっしゃいますから、この新刊に社会的な存在意義はあまり無いでしょう。ざっと目を通しただけでも色々と突っ込み所の多いですが*1、基的に「実証性が乏しい」の一槍で(多くの場合は)積極的な反証が為されるわけでもありませんし、東浩紀についても(「「動物化するポストモダン」は若者論でしかない」と断言に至った割には)

    Gen
    Gen 2008/09/23
  • 現代日本社会研究のための覚え書き――2.スピリチュアル/アイデンティティ(第2版) - on the ground

    扱うトピックは概ね決まり。既に書いた「家族」「メディア」「スピリチュアル/アイデンティティ」(改題)の他、「教育」「経済」「市民社会」「人権/親密圏」「セキュリティ/リスク」「政治/イデオロギー」「ネーション/国家」の10編で、さらに序論と結論を書くつもり。前に、スピリチュアル増補の際には疑似科学を盛り込みたいと書いたが、それ関連のに目を通しながら書きようがないと思い、過去のメモ書きをひっくり返しながらもっと重要なことがあったと思ったので、盛り込んでいない。ご了承あれ。 「スピリチュアル」的なものの台頭 21世紀の日では、「スピリチュアル」的なものが市民権を得ている。「スピリチュアル spiritual」とは、「スピリチュアリティ spirituality」の形容詞形であり、来は「精神的な」「霊的な」などと訳されるべき言葉である。一般には、「スピリチュアル・カウンセラー」および「スピ

    現代日本社会研究のための覚え書き――2.スピリチュアル/アイデンティティ(第2版) - on the ground
    Gen
    Gen 2008/07/21
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  • 事実・想像・理論と、その周辺 - on the ground

    1.「言説を紡ぐ/に対する態度」の補足として。 北田 さっきの脳の話で言うと、斎藤環さんがお怒りになっていた「ゲーム脳」論がありました。斎藤さんの反論はおそらく正しい。しかし、問題は斎藤さんを無条件に支持する人たちです。たぶん斎藤さんを支持する人たちの多くにとっては、斎藤さんの反論は当は専門的すぎてわからないはずなんです。しかし、とにかく「知の欺瞞」の臭いがしたものに対しては徹底的に叩くということになってしまっている。[中略]デリダもドゥルーズもちゃんと読んだことはないけど、こんな偉い自然科学者たちが批判してるらしいから、これはもうダメなはずだ、と。人文学的な解釈ゲームに対する違和感が、そのまま「反人文主義」へと直結し、ゲームを終結させてくれる自然科学的な言説への無条件的な信頼へと直結する。デリダの言ってることもソーカルが言っていることも実は同じぐらいよくわからないんだけれども、ソーカル

    事実・想像・理論と、その周辺 - on the ground
    Gen
    Gen 2008/07/21
    atode
  • 現代日本社会研究のための覚え書き――3.メディア - on the ground

    今回も、もの凄く長い。例えば「事実が必要とされない理由」などが読まれるときに併せて読んでもらえるとよいと思うのだが、そんな物理的手間をかけてくれる人は少ないかな。でも、このシリーズは1回がだいたいこのぐらいの長さになりそう。家族の時は落合・山田を中心に三浦・宮台などを対照させながら書いたが、今回は大部分が佐藤卓己『現代メディア史』に拠っている。改めて読むと非常に秀逸なテキスト。ただ、もう10年前のなので、増補新版を期待したいところ。あと、コンセプチュアルな著作でもあるから、他に比較して読みつつ相対化できればいいのだが。次回は多分「人権」か、スピリチュアルの増補改訂版になるはずと思う。 記録手段の発達と「大きな物語」 J.グーテンベルクが1450年に発明した活版印刷機は、均質な文書を大量・迅速・安価に作成・流通させることを可能にした。活字の使用は言語の標準化を促し、徐々にではあるが、各国で

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    Gen
    Gen 2008/07/21
    atode
  • 現代日本社会研究のための覚え書き――1.家族(第2版) - on the ground

    前回はスピリチュアルについて書いたが、「私らしさ」「個性」の希求や「自分探し」などについて言及するのを忘れた。増補の機会に盛り込みたい。今回は家族についての増補改訂版であり、第1版と認識が変わっているところもある。かなり長いので、注意されたし。 家族の多様化と個人化 家族に関する神話として、いわゆる「核家族化」が挙げられる。三世代以上が同居する大家族が減ったというのである。確かに、日の家族全体に対する拡大世帯の割合は、戦後を通じて減っている。だが、世帯の数そのものは大して変わっていない。一方、核家族の数は増えているものの、全体に対する割合としては6割前後をキープして動かない(図「核家族率と世帯類型別世帯数および平均世帯規模」落合〔2004〕、81頁)。したがって、「核家族が増えた」とか「核家族化の進行」などといった指摘は、間違いとまでは言えないにせよ、かなりの留保を要する*1。 また、核

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  • 闘争・想像力・事実性 - on the ground

    2006/03/22(水) 18:12:13 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-195.html 少々昔の議論を蒸し返すようで申し訳ないが、以下の引用部に触発されて考えたことについてまとめておきたい。 ある人の生存を無条件に認めないならば、誰の生存も無条件に認められたものではありえない。Aがなければ生きられない人α氏がいる。Aを行うかどうかが「財政的に可能かどうか」という条件が付される場合、α氏の生は条件を付されたのである。生きていてよいかどうか、誰かが勝手に決めてもよい存在とされたのである。 このことが意味することは、次のどちらかである。(1)このような社会に住む誰がα氏のように扱われても構わないことを認めている。あるいは、(2)このような社会が標榜する「正義」は、普遍化可能性を満たしていない。(2)はあまりに馬鹿げている。とすれば(1)である。

    闘争・想像力・事実性 - on the ground
    Gen
    Gen 2008/03/05
    "直近の事実性に呑み込まれないぐらいの実感を持たせられるよう、想像へのインセンティブを提供しなくてはならない。そして、想像へのインセンティブとは、それ自体まさに事実性であり、事実性の約束なのである。"
  • 現代国家とポピュリズム - on the ground

    去年のある時期から、現状認識についてまとまったことを書かなければならないという思いに駆られていて、それは主に社会学的な意味でということなんだが、社会学的な現状認識となると非常に総合的な判断として家族やら経済やら司法やら、色々な分野に目を配らなければならないので、正直いつになるのか分からないと思いながら断片的にを読んだりメモを取ったりしてきた。それをいつ書けるのか、そもそも書けるのかは今でも不明だが、別の角度から、つまり政治哲学や政治思想史的な見方からは何らかのことを書けるかもしれない。と言うのも、ここ数ヶ月のエントリの中には、断片的にそうした意味でのアイデアが含まれているから。 それは一言で言えば、リベラリズムとデモクラシーという近代的価値観がとにかく浸透し尽くした果てとしてのポピュリズム的状況ということであり、別の側面を捉えれば国家のメタモルフォーゼということでも言える。これは何から言

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  • 事実が必要とされない理由 - on the ground

    死刑や治安悪化言説についても当てはまる現代に共通の問題として、「必ずしも事実が求められていない」ということが挙げられる。求められているのは事実よりも物語であることが多い。死刑の犯罪抑止力を証明する根拠が無いことをいくら説いても、死刑存置派が減ることはなく、治安の悪化を示すデータが見当たらないことをいくら訴えても、治安悪化神話の支配的影響力は衰えない。 もちろん、「事実」を指し示す言説があまり行き渡っていないという面もあるだろう。マスコミの影響力を「主犯」として最も問題視する立場の人々は、その点を強調する。だが、森達也が各所で指摘しているように、マスコミがあるステレオタイプの報道図式を採用し続けるということは、何だかんだ言いつつもそれを求める層、マスコミの紋切型報道を支える土壌が確実に存在しているということである。そういう土壌こそ、マスコミによって耕されたのかもしれない。だが、どちらが先かは

    事実が必要とされない理由 - on the ground
    Gen
    Gen 2008/03/05
    "「正しい情報」そのものはあくまで前提であって、議論の主旨や目的にはなり得ない/「より良い」物語を普及させればいいのか、物語云々に拘泥するのを止めて物理的な水準でコントロールを働かせればいいのか"
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