戦後の古代史・考古学ブームを歴史学者として先導したのが上田正昭さんだった。イデオロギーにとらわれず、常に人間に目を向け、歴史のダイナミズムをわかりやすく、魅力的に市民に語りかけた。 1972年の高松塚古墳壁画発見で来日した中国、韓国、北朝鮮の古代史、考古学者は、政治的対立のために一堂に会することはなかったが、上田さんは、各国の学者を個別に招いて開かれた座談会にそれぞれ出席して議論した。東アジアの学者が集うアジア史学会が生まれたのは、これで親しくなった中国の学者の依頼を受けた上田さんが各国の学者に呼びかけたからだった。 植民地支配のわだかまりも残る中で、率直に意見を述べ合うことができたのは、古代に中国、朝鮮半島からやってきた人たちを日本中心史観の「帰化人」ではなく、歴史的事実に照らして客観的に「渡来人」と呼ぶことを提唱した学問姿勢があればこそだったろう。