聖書の読み方――問題の所をどう読むか 「聖絶」の解釈 このヨシュア記(旧約聖書略解「23、ヨシュア記-聖戦の実態」)の様な残虐な記事のある聖書は、間違っている、信ずるに足りない、破棄すべきだ、と考えるか。それとも、こういう考えもあったのだ、いや今も現在もあるのだ、それが宗教だ、と受け入れるのか。なかなか難しい所です。 聖書の一字一句を金科玉条とし、拳拳服膺すべき神の言葉と考えている人々にとっては、どうこのヨシュア記を読むべきか、まことに困った所であろう。 そこで、次のように説明されている。 聖書は、人間の知恵であれこれ詮索すべきでは無い。神の意図は計り知れない。そのまま信ずればよいのだ。従って「聖絶」は、神の思し召しであるし、現代でも有り得る事だ。それが真の信仰者だという、原理主義的解釈。 これでは、中世の十字軍の再現となり、世界各地で起きている正義のための宗教戦争は当然なこととなる。