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ブックマーク / www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk (4)

  • 聖書の読み方

    聖書の読み方――問題の所をどう読むか 「聖絶」の解釈 このヨシュア記(旧約聖書略解「23、ヨシュア記-聖戦の実態」)の様な残虐な記事のある聖書は、間違っている、信ずるに足りない、破棄すべきだ、と考えるか。それとも、こういう考えもあったのだ、いや今も現在もあるのだ、それが宗教だ、と受け入れるのか。なかなか難しい所です。 聖書の一字一句を金科玉条とし、拳拳服膺すべき神の言葉と考えている人々にとっては、どうこのヨシュア記を読むべきか、まことに困った所であろう。 そこで、次のように説明されている。 聖書は、人間の知恵であれこれ詮索すべきでは無い。神の意図は計り知れない。そのまま信ずればよいのだ。従って「聖絶」は、神の思し召しであるし、現代でも有り得る事だ。それが真の信仰者だという、原理主義的解釈。 これでは、中世の十字軍の再現となり、世界各地で起きている正義のための宗教戦争は当然なこととなる。

    HKRW
    HKRW 2013/03/14
  • 旧約聖書の成り立ち

    旧約聖書は、一冊のではない。 下記の39書の正典と、外典(続編、カトリックのみ採用)からなっていて、「旧約全書」と考えたほうがよい。 旧約聖書は、歴史的順序で書かれていない。 例えばモーセ五書は、補囚帰還後かなり遅く書かれ、しかも創世記1章「天地創造」は、モーセ五書編集の一番最後に書かれたとも言われている。(別項、旧約聖書成立史表参照) 原典として、BC280年頃エジプトのアレキサンドリアで、70人訳ギリシャ語聖書が成立しているが、ヘブライ語の正典として確立した時期は意外に遅く、西暦90年頃、ローマ軍のエルサレム神殿破壊後のユダヤ人がヤムニの宗教会議で、ユダヤ教再建のため、先ず確立したとされている。 旧約聖書は、キリスト教のみの聖典ではない。(従って旧約という表現は、差別的であるので、ヘブライ語聖書と呼ぶ人もいる。これに対して、ギリシャ語聖書と呼ぶときには、70人訳ギリシャ語旧約

  • 表紙

    日CD届きました。『XPでないと・・・・・』と書かれていたので、VISTA の私は少し不安でしたが、まずCDで試してみると「エクスプロラー使用で不具合が出る可能性があります」と警告が出て、一瞬たじろぎましたが、トレンド・マイクロのサインが安全WEBになっていたので決行。 様々トライしましたが、今のところ、何の不具合もありません。 毎回CDを入れるのは面倒なので、ドキュメントにまるごと保存して使ってみると、CDの時とまったく変わりませんでした。翻訳して分からない時の参考書に大いに活用させていただきます。 2008・4・24  上田市 M・U 頌主 かつてネットで江礼 宮夫氏の「聖書の呼び声」を拝見して、パソコンの画面に、イエスの55の語録部分のみでしたが、何とかダウンロードして逐一、学ばせて頂きました。 とにかく、氏の講義はとても分かり易く、且つまた己の「知・情・意」に於いて、一々、「然り

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    HKRW
    HKRW 2013/03/12
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