はじめての株日記 まったく何もしらない状態から株をやり、 大損した挙句、会社を辞めて、 まったく何もしらない状態から株式会社も システムトレードもやります 現在の持ち株:飲茶銘柄(自社株):10,000円 × 200株 = 200万円 確定利益:-214万円 -16万円(三菱自)-29万円(丸石)-22万円(その他デイトレ)-23万円(イチヤ) +4万円(アルムス)+36万(生化学) -11万円(大盛)-16万円(修学社) -116万円(オメガ) -6万円(オーエ) +76万円(ニチモウ) +9万(コツコツ) -134万円(推奨銘柄) -5万円(やむひよ10勝8敗) +39万(やむちゅ22勝17敗) そろそろ頃合ですので、 今、書いてる「経営者育成セミナー参加日記」が終わったら、 株の売買を再開しようと考えています。 目標は、「確定利益をプラスにすること」です。 もう株で
現在までの収益:2,954,000円 ダメ人間の飲茶が、株と会社経営で作った「-1452万」の損失… なんとかネット収入で取り戻したい! 【おすすめ】ネット銀行に口座を作ろう 管理人から一言 2008/06 ネット収入が290万を超えました~!^▽^ 本業も良い感じになってきましたし、今月もネット収入がんばります! 新コンテンツ在宅ワークで稼ぐを追加しました はじめに ボクも、ネット副業・内職を初めてみようと思います。(血迷ってます) 目標は、「ご飯を食べていけること」です。(^^) ネットで少しでも収入が得られるように、いろいろ試してみようと思います。 おかげさまで、ついに290万円突破です。最初は、本当に儲かるか半信半疑だったのですが、意外に収入があって驚いています。 新着情報 2006/09 ネットマイル(高額受信メール)を追加!←おすすめ 2006/09 ポイン
飲茶な日々 (3日に1度は更新予定の哲学日記) 2008年10月11日 僕の中二病告白 中二病という言葉があるそうです。 ―――――――――――――――――――――― 中二病(ちゅうにびょう)とは日本の俗語、スラング。 思春期にありがちな微妙にズレた自意識過剰、 それから転じて起こる数々の「中学二年生くらいの頃に ありがちな言動」を「症状」として比喩したもの。 子供が大人になろうとして、 「大人が好みそうな(と子供が考える)格好いいもの」に興味を持ち、 子供に好かれるようなもの、幼少の頃に好きだった幼稚なものを 否定したりなどする。「もう子供じゃない」「(汚い)大人になりたくない」 という自己矛盾が、実際の大人から見ると非常に「ズレて」おり、 滑稽に見えることが大きな特徴である。 さらに、生死や宇宙について思い悩んでみたり、 政治や社会の汚さを批判してみたり
そもそも、2重スリット実験で、 科学者たちを悩ませてきた不可思議な現象とは、 「1個1個、粒子を発射しているのに、 粒子が観測される場所の分布が、なぜか波の形になっているぞ」 ということであった。 この不可思議な現象のツジツマを合わせて説明するため、科学者たちは、 「1個の粒子が、観測していないときは『波』のようになって、 2つのスリットを同時に通ったのさ」 というヘンテコな解釈(コペンハーゲン解釈)をせざるを得なかった。 だが、しかし! そんなヘンテコな解釈をしなくても、パイロット解釈のように、 「パイロットウェーブという『未知の波』があって、 それが粒子の行き先に影響を与えている」 という考え方をすれば、2重スリット実験を合理的に説明できてしまうのである。 しかも、このパイロット解釈の説明は、 ワレワレの日常的な世界観と、とてもよく一致する。 パイロット解釈では、電子や原子や分子は、カ
今まで、量子力学(コペンハーゲン解釈)の説明として、、 「1個の粒子が、観測されていないとき、 波のような状態になって、スリットA、スリットBを同時に通り抜ける」 という、日常的な感性からすれば、まったく常識ハズレなことを述べてきた。 だが、 「その常識的な世界観では説明のつかない実験結果(2重スリット実験)」が 現実に存在するのだ。 だから、その「ヘンテコな実験結果」と、ツジツマを合わせるために、 「ヘンテコな新しい考え方」を作り出すしかなかったのは、仕方がないだろう。 「だけど、それにしても……」 と思うかもしれない。 「もっとマシな考えはなかったの? なんかこう〜、もっと日常的で合理的で、 ツジツマの合う考えって、 本当に、ほかになかったの?」 と疑問に思うかもしれない。 実を言えば、ある! それがボームの提唱した「パイロット解釈」だ! ●パイロット解釈とは まず、2重スリット実験を
多世界解釈には、3つの問題があった。 1)多世界なんて、日常的な感性では受け容れらない → 問題(1) 2)多世界があることを、観測によって証明できない → 問題(2) 3)たくさん世界があるのに、 「現に、今、この世界であること」を説明できない → 問題(3) これらの3つの問題は、一見、致命的な問題のように思えるが、 多世界解釈ファンに言わせれば、実のところ、まったく問題ではない。 というのは、量子力学で標準的な解釈とされている コペンハーゲン解釈も、まったく同じ問題を含むからだ。 1)多世界なんて、日常的な感性では受け容れらない そんなこといったら、コペンハーゲン解釈だって、同じである。 2重スリット実験において、観測していない1個の電子は、 「スリットAを通ったかもしれない電子」「スリットBを通ったかもしれない電子」 という2つの状態で、同時に存在している、 というコペンハーゲン解
●たくさん世界があるのに、 「現に、今、この世界であること」を説明できない 多世界解釈が言うように、 「異なる状況の肉体が、重なって同時に存在している」 のが本当だとしても、 「2つの世界を同時にみている肉体(ボク)」 が存在するわけじゃないのだから、 仮に、多世界が本当にあったとしても、ボクは多世界を見ることはできない。 結局のところ、「多世界」の存在を 観測によって証明することができないのだから、 「多世界解釈なんてただのヨタ話」にすぎない。 しかし、困ったことに、 この「多世界が観測できないこと」を多世界解釈ファンに突きつけても、 「『多世界が観測できないこと』は、多世界解釈となんら矛盾していません! だから、問題ありません!」 というだけで、まったくめげない。それどころか、 「『多世界解釈が正しい』 と仮定したら、 『多世界が観測できない』 という結論が出てきたのだから、 むしろ、
●多世界があることを、観測によって証明できない 多世界解釈の問題は他にもある。 質問)たくさんの世界が、重なり合って同時に存在しているっていうけど、 どうやったら、もうひとつの別世界を認識できるの? もっともな質問だ。 だが、これについて、多世界解釈は、 「多世界を認識することは、どうやっても無理だ」と あっさり答える。 そうすると、 「えぇ〜?じゃあ、多世界があるかどうかを絶対に証明できないってこと?」 というミモフタモナイ話になるが、まったくそのとおりで、 ようするに、多世界解釈は、 「多世界があると言っておきながら、多世界なんか絶対見れないけどね〜」と 言っているのだ。(笑) 「人間が、多世界を認識することは原理的にできない」 これが「多世界解釈の2つ目の問題」であるが、 よくよく考えれば、当たり前の話である。 たとえばの話、シュレディンガーの猫の実験において、 「生きている猫」と「
●多世界なんて、日常的な感性では受け容れらない ようするに、多世界解釈とは、 「1個の電子が、 『こっちの場所にもある』 『あっちの場所にもある』 という感じで、 多重に存在できるっていうなら、 猫だって多重に存在するはずだ!」 「だったら、猫を見ている人間(私)だって、多重に存在するはずだ!」 「ということは、『この私』のほかにも、『たくさんの私』が存在し、 『それぞれの私の世界』があるってことだ!」 という話だ。 ちょっと日常的には受け容れがたい話ではある。 しかし、多世界解釈の理屈は、実のところよくできている。 そもそも、人間だって、『電子と同じ物質』でできているんだから、 人間にも量子力学を適用することは、当然で公平なことだし、 人間にも量子力学を適用したら、「多世界がある」って結論になるのも しごく当たり前のように思える。 (だいたい、「生きている猫」と「死んでいる猫」が重なって
「シュレディンガーの猫」の思考実験の問題について、 1957年、当時、プリンストン大学の大学院生にすぎなかったヒュー・エヴァレットから、 とてつもなく画期的なアイデアが提示される。 そのアイデアはとてもシンプルなものだった。 「電子も猫も、あらゆるミクロの物質は、 可能性のまんまで、重なり合って多重に存在している、 ってのが、量子力学の結論なんでしょ? でもさぁ、『猫を観測している人間』だって、同じミクロの物質で作られているんだよね? だったら、なんで、 その量子力学の結論を 『人間』にも適用してあげないのさ」 それを聞いて、誰もが、はっとした。 それは、当時のどんな天才科学者たちも、みな見落としていたことだった。 よくよく考えたら、「猫を観測している人間」だって、 電子や猫と同じ物質で出来ているんだから、 「人間」にも量子力学を適用しなければ、公平ではないだろう。 「なぜ、誰も気がつかな
結局、物理学的にいえば、どんな実験装置を想定したって、 つまるところ、その実験装置は、 「ミクロの物質」とその間に働く「力(相互作用)」で構成されている にすぎない。 で、「ミクロの物質」の間に「力の相互作用」が発生しても、 物質の状態は決まらないのだから、 なにがあろうが、絶対に「物質の状態は決まらない」ことになる。 しかしだ! 実際に、『人間』が箱をあけて、中をみたら、 「生きている猫」か「死んでいる猫」かのどちらかであり、 あきらかに、猫の状態は決まっている。 ここから、 「シュレディンガーの猫」の思考実験の、本当の問題が浮き彫りになる。 その問題とは、 「ふ~ん、理屈として、 ミクロの物質は、なにをしようと可能性のまんま、だということはわかったよ。 しかも、その複数の可能性が、干渉しあうんだから、 それらが、ちゃんと実在しているってこともわかったよ。 でもさ、実際には、『人間』が観
観測される前の物質は、 「観測されるであろう可能性」が重なり合った状態のまま存在しており、 観測したときに初めて、その可能性のうちのひとつが選択される。 一見、常識ハズレだが、 2重スリット実験などの不可思議な実験結果を説明するためには、 このような新しい考え方が必要だった。 で、「シュレディンガーの猫」の思考実験とは、 「その新しい考え方が正しいとしたら、こんなふうになっちゃうよ」 という問題提起である。 話を進めよう。もうひとつの「よくある疑問」だ。 ●よくある疑問B 「『観測』すると、電子の位置は決まるんでしょ? だったら、まず最初に箱の中のセンサが、電子の位置を『観測』するんだから、 人間が箱を開ける前に、電子の位置も、猫の生死も、 決まってしまうんじゃないの?」 この疑問はもっともだ。 そもそも、「シュレディンガーの猫」の思考実験では、 人間が箱を空けて、中を『観測』しないかぎり
「シュレディンガーの猫」という思考実験。 一体、何が問題なのだろうか? もう一度整理してみよう。 まず、そもそも、 この「シュレディンガーの猫」の思考実験では、 ・電子が位置Aにあるとき → 毒ガスでる → 猫は死ぬ。 ・電子が位置Bにあるとき → 毒ガスでない → 猫は生きる。 というように、「電子の位置で、猫の生死が決まる」ように 関連付けられた装置を想定している。 ここで、 量子力学のコペンハーゲン解釈では、 観測していない電子は、『位置Aにあるかも』 『位置Bにあるかも』 といった 複数の可能性として、同時に存在している と考えているのだから、 「その電子の位置によって、生死が関連付けられている猫」だって、当然、 『生きているかも』 『死んでいるかも』 といった複数の状態として、 同時に存在している ということになるはずだ。(だって、電子の状態で、猫の状態が決まるのだから) しか
量子力学の不思議さを説明するときに、必ずと言ってよいほど、よく使われるのが、 「シュレディンガーの猫」 という思考実験である。 だが、この思考実験を理解するのは、見かけよりもかなり難しい。 これを理解するためには、まず 「2重スリット実験」 についての知識が必須である。 (読んでない人は、まず、そっちから先に読んでほしい) さて。 「2重スリット実験」の項目でも述べたように、 量子力学の標準的な解釈(コペンハーゲン解釈)とは、 「観測される前の、電子の位置は、ホントウに決まっていない。 電子の位置は、観測されて初めて決定される。 観測される前の、電子の位置は、 ここにあるかも、あそこにあるかもという『可能性』として多重に存在している」 というものであった。 ここで、一番理解しておいて欲しい点は、 1個の粒子として観測される電子でも、観測される前では、 本当に、複数の場所に同時に存在している
つまるところ、2重スリット実験の最大の謎とは、 「1個の粒子として観測される電子が、 なぜ、2つのスリットを同時に通り抜けられたのか?」 ということになる。 この謎は、既存の世界観ではうまく説明できなかった。 そこで、 「電子は、観測する前は波のような存在だが、観測すると粒子になる」 「その波は、粒子がどこで観測されるかという確率の波である」 という新しい世界観を持ち込む必要があった。 結局、観測する前の電子は、「波のような存在」なのだから、 2つのスリットを同時に通り抜けたとしても、何も問題ない。 たしかに、この考え方(世界観)に従えば、 2重スリット実験をうまいこと説明することができる。 だが、それでも本当に、納得できるだろうか? 「粒子」という位置や質量を持ったカチコチのものが、 観測していないときは、波のようなモヤモヤした存在になって、 2つのスリットを通り抜けた、という説明を受け
科学者たちは、この実験Cをどのように解釈したのだろう? もちろん、この実験Cについて、 科学の世界における「標準的な解釈」というのは存在する。 それは「コペンハーゲン解釈」とも呼ばれている。 (コペンハーゲン大学の科学者(ボーアら)が提唱した解釈だから、そう呼ばれる) 一体、彼らは、この実験Cをどのように解釈したのだろう? そもそも。 実験Cは大きな「矛盾」をはらんでいる。 電子が「波」であっても「矛盾」するし、 電子が「粒子」であっても「矛盾」する。 「矛盾」があったときはどうするか? そんなときは、「矛盾」を素直に受け入れ、 実験結果を素直にそのまま受け入れてやればいい。 そうしてできた新しい理論こそが、量子力学である。 では、もう一度、実験Cを見直してみよう。 ひとつひとつの実験事実を 素直に解釈してみるのだ。 事実1)飛ばされた電子は、スクリーン上には、「点」として観測された。 →
さぁ。 実験Cをどう解釈すればいいのだろう? ところで、実験Cを調べるための方法として、 「電子が通ったかどうかを観察するセンサ」があるのだから、 「そのセンサを、実験装置のいたるところに配置する」というのはどうだろうか? そうすれば、電子1個が本当にどのように動いて、 スクリーンに到達したか、はっきりとわかるはずだ。 電子がスクリーンに到達するまでの、軌跡をみれば、何かわかるかもしれない。 しかし、その実験は、役に立たない。 というのは、 「観測するということは、観測する対象に影響を与えるということ」だからだ。 つまり、「電子を観測する」ということは、 「電子に、光などの他の物質をぶつけたり」して、 その位置を調べるということである。 したがって、当然、電子の軌道は、 「観測の影響」によって大きく変えられてしまう。 そうなると、この2重スリットの実験はぶち壊しになり、 干渉縞は消えてしま
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く