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ブックマーク / umeten.hatenablog.com (11)

  • ウェブ進化論と下流社会は、コインの裏表に過ぎない - umeten's blog

    前にラジオクリルタイでボソッと言った一言をちょっとだけふくらましてみる。 一言で言うと、『ウェブ進化論』*1は『下流社会』*2とネガポジの関係にある。 言い換えると、フレーミング型展望論という意味で両者は通低している。 偏ったデータを用いたあいまいな結論を、高みに立ったところから提示して、漠然と印象付けるというところ。 あるいは、限定的なデータを基に、ある特定の層の活動を全体に拡大して、未来像として語ってみせるというところ。 そして、主に中高年世代向けなのが『下流社会』で、若年世代向けなのが『ウェブ進化論』、といったところになるか。 別にそれがいいとか悪いとか言おうというのではない。 何がベタでネタで、それが善でこれが悪という話でもない。 また、この自分の意見が特にメタというわけでもない。 重要なのは、それらが「メッセージ」としてどこまでの射程を持っているのかということ。 そして、それらの

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  • ハリーポッターと「ポリティカルコレクト」の差別性 - umeten's blog

    さすがにこれはどうするかな、と思って少し興味津々でいたのだが、なんとも意味深なオチになった。 ハリーポッター第六巻のタイトルの話である。 原題『Harry Potter and the Half-Blood Prince』 直訳すると、『ハリーポッターと混血のプリンス』。 仮題の時点ではこのままだったので、もしやと思ったが、やはり、決定稿では、「ちきゅうにやさしい」もとい「政治的に正しい」配慮が施されたようだ。 超訳『ハリー・ポッターと謎のプリンス』 「混血」という単語にその表現の差別性を見取っての、主要読者層に対する「教育的配慮」であったのかも知れないが、ところがどうして原題ではそのまま「Half-Blood」となっているのだ。 なぜわざわざ、不要にも思える改変が加えられたのだろうか。 大人好みのイマドキの神話たるグローバルスタンダードとは、あくまで経済活動の面にのみ適用されるべきもので

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  • 大人社会のロールプレイングゲーム - umeten's blog

    とあるとき、とあるところでの、とある風景。 一身上の都合でもってその日で会社を退社される女性に、出張前の社長がわざわざ花束を買ってやってきた。 もうね、抱えたら顔が隠れるくらいの大きなピンクのバラの花束。 それを見たもうそのとたんに「ありがとうございます……、、、。」と、涙ぐむ女性。 その時、傍らで見ていた彼はというと、 「ああ、こういうときは泣いて見せるのだな」と富野語で独り言を心の中でつぶやいていたのだという。 さて、今日までの給与も退職金も手渡されたその女性。 「じゃーネ。」と定時を待たずにお帰りになられようとされました。 ふと見れば、その手には小さなかばんがひとつだけ。 「○○さん!花束は?」と言ったところ、振り向きざまに浮かべられた微妙な笑顔とともに吐かれたその台詞は―― 「いらないワ、捨てといテ!」 うひょほキタコレ役割演技!! 退社数日前に、かるくボケた社長にいまさら疑われた

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    Hebi
    Hebi 2005/08/27
  • X歳になるまでにやってきたYの事柄 - umeten's blog

    「X歳になるまでにやっておくべきYの事柄」というのが、どうにもマイナス試考の産物のような気がするのは、頭のオカシイ、要領の悪い、ついでに効率の波からこぼれ落ちた私だけなのか。 チェック項目が50だろうが100だろうが、どちらにせよ減点方式であることは間違いなく、結果として、自らの手で自信を傷つけていく行為なんじゃないのだろうか。 『雑誌』としては、もちろんそれが狙いなのだろうけど。 だって、「読者が不幸じゃないと商売成り立たない」のですもの。 いかに「あなた」が不幸で、物足りていない、満ち足りていないかということを、手練手管で練りこんでくるのが、商業雑誌というもの。 そして、「幸いにも」これまで不幸に気づかなかった読者に対して、「いいやあなたも不幸なハズだ!」と畳み掛けるのがこの手の百条チェックシステムということだ。 人はそんなに病みたいってのか?違うだろう。 傷ついた心を物で癒してくれな

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    Hebi
    Hebi 2005/07/28
    みんなが同じことしてたら気持ち悪いよなぁ。経験値の偏りがその人の特性を作るんだから。
  • 誰がためのアカデミズム - umeten's blog

    とある大学での「イマドキの学生」の授業風景。(卒論を書く人が落書きして遊ぶ場所経由) いくら言ってもアカデミックな作法に準じようとしない学生に対して、ストイックにアカデミックな教授が熱い憤りを噴き出している。 ……途中まで読んだけどさすがに飽きた。そして、笑うとかそういう気分になることは、なかった。 どうにも、このアカデミックな正義を背負った先生の方が、どこか「から回り」しているように感じたからだ。 もちろん、学生の側の社会常識的な態度の欠如もその憤りの根幹にあり、それもまた正しい指摘なのだろう。 が、特にこういった「底辺校」での学生生活というのは、学生にとって、いったいどのような意味を持つのだろうか。 いや、底辺校のみならず、トップブランド校以外の大学における学生生活――その中でのアカデミズムの獲得には、いったい何の意味があるのだろうか。 少なくとも、その意味を、その意義を、この正義を背

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    Hebi
    Hebi 2005/07/08
  • それが「自己責任」だ - umeten's blog

    光高校爆発事件、同級生ら「いじめた」証言 山口県立光高校の爆発物投げ込み事件で、事件が起きた3年1組や、傷害の現行犯で逮捕された男子生徒(18)の所属する3年2組の複数の生徒が、県教委が派遣した臨床心理士や同校教諭に「(男子生徒を)からかったり、いじめたりした」と証言していることが、学校関係者の話でわかった。(中略) 証言は、臨床心理士や教諭への相談という形で寄せられた。生徒らは「無口なのをからかって男子生徒の机を揺らした」「うざい、などとひどい言葉をかけてしまった」などと話した。生徒のほとんどは「(男子生徒が)あんなことをしたのは自分のせいかもしれない」と自らを責めており、泣きながら話す生徒もいたという。 「高校にもなっていじめか」との声もあるが、それは今の高校生が一昔前の中学生レベルの精神性しか持ち合わせていないことによるものだろう。 今の大卒が高卒レベルの精神性しか持ち得ていないよう

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    Hebi
    Hebi 2005/06/14
    「五年後に仕返しされて殺される覚悟があればいじめてもよい」枡野浩一『ドレミふぁんくしょんドロップ』
  • 2chコピペ「さぁ俺を殺せ。日本。」 - umeten's blog

    550 :名無しさん@5周年:2005/06/05(日) 22:49:37 id:K9L7ano6 俺は一生童貞だし、この国がどーなろうがしったこっちゃないよ。 愛国心?ばっかじゃね〜の?むしろ俺は日という国に恨みを 持ってるね。みんな好き勝手やってるのに、俺は悲惨な人生だ。 どんどん壊れていったらいいよ。しるもんか。 おまえらが俺のことなんてしらないようにね。 所詮日は利権構造だ。コネさえあればたいして努力しないで 大金が稼げる。公務員夫婦の世帯年収40歳平均で2000万円。 マスコミ・銀行・その他、利権構造下にあるものは全部そう。 こいつら普通に50代で2〜3000万稼いどる。大して仕事してないし。 親族経営会社で利益を親族に手当てして税金払ってない所も山ほど。 そんななかで手取り2〜30万、年収で3〜400万円程度で この利権構造体を存続させるために働け、ってか? 利権構造下に

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    Hebi
    Hebi 2005/06/06
    こういう文章読んだり書いたりすることで昇華されるものもあるんだろうなぁ。
  • 効率化社会の行方〜裁判員制度にみるホンネの影〜 - umeten's blog

    「裁判員制度」といえば、2009年(平成21年)までにはスタートするとされている司法改革制度の目玉である。 これは、一般市民の中から無作為に選ばれた者が、重大犯罪を犯した刑事事件裁判に、裁判官と共に有罪無罪の判断を下すことができるようになるというものである。ちなみに、選ばれる確立は、67分の1だそうだ。 参考:裁判員制度ついに成立 - [よくわかる政治]All About 話題となっていた頃のニュースでは、とかく不安要因が強調される傾向が強かったが、とかく体制・権力者側に甘く、国民・被害社側に辛い判決が出やすい日の裁判所の判断というものに、国民の感覚が取り入れられるようになるとすれば、少なくともメリットが、大きなメリットが一つはあるわけである。 まあ、そもそも日の法曹の「あがり」が、「御用学者になること」に設定されていることを考えると、過剰な期待を抱くべくもないのだが、少なくとも「近代

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    Hebi
    Hebi 2005/05/23
    なんでも善意のボランティアに任せる流れへの異議かと思ったらそうでもなかった。
  • 2005-03-30

    id:ueyamakzkさんも内田センセイもたけくまさんも北田氏も執筆されたユリイカのブログ特集号を、ざっと読んでみた。 が、そこでまず気がついたのは、「こんなに紙質よかったっけ?」という内容とまったく関係のないことだった。 念のため、前の押井守特集号を確認してみた。うーん同じか。 さらに、前のクィア・リーディング特集号を確認してみた。やっぱ同じか。 ということはこれまでは余程内容に御執心だったらしいのだな、ということがわかった。 とすると逆に、今回に限ってこんなことに気がついたのはなぜか。 つまり…… なんか期待はずれな気がしたのだ、正直な話。 これほどまでに流布している――流行というよりも、そこにあるのは氾濫する言葉であるところから、どこか流布という言葉のほうが意に沿うような気がする――ブログが、何かお定まりのコース上の「上がり」として「紙」という権力に回収された、という場景を垣間見る

    2005-03-30
    Hebi
    Hebi 2005/04/08
    >今回はユリイカを買ってません。だって、読みたい文章はもう目の前にあるんだもの。
  • 「負け組」の「現実肯定」が、社会に致命的な一矢を報いる - umeten's blog

    ここで言う「現実肯定」とは一種の「絶対観」であり、貧しい現状をこそよきことだと納得する妙好人的な奴隷根性の獲得を意味するものではない。*1 ――絶対観。 それはもう動かしがたい、変えがたい、どうしようもないという諦観である。 その「悲観」を、「悲観」こそが「現実」としてあるのだという認識、それが「肯定」である。 「負け組」は夢を見ない。なぜなら希望などとうに失われているからだ。 そんなものは、「革命」への熱狂を冷めさせそれに取って代わった「経済」をも破綻した今、まなざす先は足元でしかない。 「負け組」は不安を煽られない。そんなものはもう既に十分だからだ。 ここに言う不安とは、「ねばならない」というイデオロギー=強迫観念によって商品購入を煽る、広告システムのことである。そのような無駄な消費を強要する広告に煽られるまでも無く、もっと基的で深刻な部分への不安が「負け組」には充満しているのである

    「負け組」の「現実肯定」が、社会に致命的な一矢を報いる - umeten's blog
  • 2005-02-04

    サイレント・ヴォイス以前、こんなことを書いた。 ■「負け組」の「現実肯定」が、社会に致命的な一矢を報いる 未来への意思なき社会で、沈黙する弱者が弱者として生きることがそのまま強者へのテロとして致命傷を与えることになる、という怨念のこもった文章。 (「テンノーゲームのガイドライン」より) 繰り返しになるが、いわゆる「負け組」つまり、経済的弱者とまなざされる人々が一定以上の数に至り、そしてその「格差」が固定化されようとしている「希望格差社会」(ISBN:4480863605)においては、 それらの人々が「現状を肯定する」ことが、すなわち人口増加を前提とした経済成長を宿命付けられる資主義社会を破壊に至らしめる、静かなる、断固たるテロリズムとなるだろう、ということだ。 ややもすれば私怨的な独り言に過ぎないこの文章には意外にもリンクが張られ、数百人の方がこれを閲覧した。 そして、そのリンクを張った

    2005-02-04
    Hebi
    Hebi 2005/02/10
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