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もう一度考えると支援に関するHitTheSupportersBullのブックマーク (5)

  • 「寛容さ」に救われないから「能力」に引き寄せられていく - 泣きやむまで 泣くといい

    最近、シノドスが「障害者」に言及した記事をよく掲載している。これまで「論壇」的なものの中であまり扱われなかったものに注目が寄せられる背景には、きっとこの記事のような時代診断があるのだろう。 生き延びるための「障害」――「できないこと」を許さない社会 荒井裕樹 http://synodos.livedoor.biz/archives/1902249.html これは「発達障害者」の現況や支援のあり方を示そうとして書かれたものではない。「障害」にまつわる言説が「発達障害」のような白黒のはっきりさせにくい「障害」の存在によって拡張されて、たとえば精神医学的には必ずしも正確ではない「俺は『コミュ障』だから」のような使われ方が日常的な場面でも広まりつつある事態に、社会の側にある「非寛容」からわが身を救おうとする人々の生存戦略を見出そうとするものだ。 障害の「社会モデル」的理解というのは何らかの意味で

    「寛容さ」に救われないから「能力」に引き寄せられていく - 泣きやむまで 泣くといい
    HitTheSupportersBull
    HitTheSupportersBull 2012/03/01
    自分の能力で支援をしたいってーのは……。自分が、または相手が何がしたい、何に向いてる、何ができるって言うことを考えること。
  • 乙武さんの「おおらかな親のほうがよい」について(※少し追記あり) - 泣きやむまで 泣くといい

    「もしも、自分が障害のある子を授かったら....みなさんはどう思いますか」・・乙武(h_ototake)さんの連続ツイート http://togetter.com/li/198030 このtogetterを読んで「うわー、これはよくない」と思って、寄せられたブックマークコメントを見たら、みんな絶賛(※その後、時間が経って、少しずつ批判的なものも出てきた)。世間的にはこれが「障害があっても人は幸せになれる」という美しい主張としてのみ受けとめられてしまう。自分は、障害児とその家族を支援する者である。無視できない。 彼のツイートの意図はどうあれ、これは「障害を受容できない保護者は望ましくない」「障害を受容できない保護者の子どもは苦労をする」というメッセージとして機能する。それも「受容できない」責任を保護者自身に帰属させる形で(彼自身は「受容」という言葉を用いていないので、もしかしたら「障害受容」

    乙武さんの「おおらかな親のほうがよい」について(※少し追記あり) - 泣きやむまで 泣くといい
    HitTheSupportersBull
    HitTheSupportersBull 2011/10/10
    仕事柄成人した障碍者の親によく会うが「おおらか」になるにしても時間がかかる人が多いかも。育児とかすることで人が育つ、とか。もっとしんどくない社会になったとしても当人や親族しかわからんことは残る、きっと
  • 『介護現場は、なぜ辛いのか』 - hituziのブログじゃがー

    岡類(もとおか・るい)『介護現場は、なぜ辛いのか―特養老人ホームの終わらない日常』新潮社。 いっきに よんだ。著者が じっさいに経験したこと、みききしたことを もとに再構成した小説。とくに 意外な はなしは なく、老人ホームなどについて しっている ひとは予想どおりの内容だろうと おもう。じっさいに おこった事故や事件などが いくつか紹介されている。 三好春樹(みよし・はるき)の『ブリコラージュとしての介護』を よんだとき、あまりにも あたりまえな目標を かかげているのを みて おどろいた。老人介護の現状というのは、こういうことになっているのかと。それから いろんなを よんでみたが、『介護現場は、なぜ辛いのか』を よんで なんとなく理解できたような気がした。 わたしは知的障害者の施設で 3年 しごとをして、やめた。いろいろと制限があったが、それでも、その制約のなかで すきかってに しご

    『介護現場は、なぜ辛いのか』 - hituziのブログじゃがー
    HitTheSupportersBull
    HitTheSupportersBull 2011/02/06
    私も知的障碍者の施設で働いています。爆笑の嵐とか、お涙ちょうだいしないオモロイ話とかもあるんですよね。怒りや、無力感や、地獄のミサワの寝ていない人みたいな状態のときもありますし。どっちも伝えたい
  • 裁判:消えた権利~知的障害者と裁判 女性の訴え「門前払い」 一般人も即答無理 - 毎日jp(毎日新聞)

    知的障害をもつ女性(30)が強制わいせつの被害を訴えた刑事裁判で、1審の宮崎地裁延岡支部は昨年9月、女性の「告訴能力」を否定し、検察官の起訴を無効とする判決を言い渡した。「女性には裁判所に訴える能力がない」。公訴棄却判決は、いわば「門前払い」の内容だが、女性の周辺にはその判断への疑問の声が相次いでいる。12月21日に予定される控訴審判決を前に事件の周辺を歩き、司法における知的障害者の人権を考えた。 「携帯で胸を撮られた。みんなに見せるって」。昨年2月24日夕、宮崎県北部の山あいにある福祉作業所。家族や職員ら15人がかたずを飲んで“告白”に聞き入っていた。 きっかけは数日前、女性が友人相談したことだった。当だと思った職員は警察官にも同席を頼んだ。 「自分で男について行ったの」という問いに「1回か2回断った。でも早よこれ(車)に乗らんねって怒られた」。「何をされたの」「いやらしいことをされ

  • 「社会貢献活動」推奨に感じるちょっとした懸念 - よたよたあひる’S 「はてな」日記

    前の記事、 ↓【「社会貢献活動」って何?!】 http://d.hatena.ne.jp/yotayotaahiru/20101025/1288019642 のだいぶ遅れた続きです。しかもちょっとインスタントなのをお許しください。 もっと あの記事を書いたあと、例のYOMIURI ON LINEの記事を、 「無利子貸与奨学金を受けるためには『社会貢献活動』をしなくてはならない」 という読み取りは誤読であって、「社会貢献活動」は在学中の義務ではなくて、成績以外に「無利子貸与奨学金」を受けるためのオプションだ、という話がありました。たしかにそう読めば読み取ることはできます。 そそっかしい自分の読解は反省してます。 でも、冷静になったうえで、もうちょっと考えてみました。 文部科学省が「社会貢献活動」というものを無利子貸与の奨学金や大学への補助金という形で経済誘導しようとしている、ということにはか

    「社会貢献活動」推奨に感じるちょっとした懸念 - よたよたあひる’S 「はてな」日記
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