誰もいわないが、学生がバカなことが就職難の原因。 RT @makoto_naruke: 東洋経済1.15号。大学生が就職したい会社No.1はJTBだそうだ。不思議な国だ。
12月から延々と続いてきた繁忙期もひとまず一区切り。ようやくネットにいろいろアップしたりできるようになりました。 詳細不明の絵本の切れっ端を多数譲ってもらいましたので、とりあえずそんなものからtumblrにアップしていきます。 一昨日、仕事の関係で平和運動の中の人(50歳代くらい)とおしゃべりする機会があり、びっくりしたことがあった。 「軍部の暴走」ってよく言われるけれど、大日本帝国軍隊の指揮命令系統ってどうなってたんだ、という話になったわけですよ。で、まず驚いたのは「大本営」ってどんな仕組みなのか、彼は知らない。「そんなこと興味ない」って言う。えっ、じゃあなんで「軍部の暴走」ってアナタは言えるの? と不思議でしょうがいない。 で、いろいろと話すうちに、僕の方からクラウゼヴィッツの「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」というテーゼを紹介したところ、「それは戦争賛美だ! 戦争は戦争
平川くんと新春の「たぶん月刊話半分」の収録を久が原の平川くんの家で行う。 平川くんのご実家を訊ねるのは40年ぶりくらいである。 久が原の街のたたずまいは昔とほとんど変わっていない。 子供の頃は、21世紀になるころはエアカーに乗って、銀色の宇宙服着て、宇宙ステーションみたいな学校に通うようになると信じていたけれど、ぜんぜんそんなふうにはならなかったね、とふたりで歩きながらぼそぼそ話す。 90年代のバブルの頃、街の様子ががらりと変わりそうになったけれど、それも一時のことだった。 人間は「ヒューマン•スケール」からはなかなか抜け出せないものだ。 生活の惰性というのは侮れないね、という話をして、頷き合う。 ラジオの主題はイデオロギーと生活感覚の癒合と乖離について。 空理空論のイデオロギーは危険なものだけれど、日本人の場合は、それを生活実感が覆してしまう。 「百日の説教、屁一つ」である。 いくら大義
『フェミニズムはだれのもの?』に収められた森岡正博氏と杉田俊介氏の対談「草食系男子と性暴力」を読んでの感想。 フェミニズムはだれのもの?―フリーターズフリー対談集 作者: フリーターズフリー出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2010/04メディア: 単行本購入: 3人 クリック: 199回この商品を含むブログ (11件) を見る この対談の中で、たとえば森岡氏が次のように述べていることは、たしかにとても重要だと思う。 これは、森岡氏がかつて、田中美津を論じたなかで、はじめは『(自分は)この社会のなかで「男」として生きることそれ自体』には強い痛みを感じることはないと思い、そのように書いていたが、数年の沈黙の後に、『「男」に固有の性の痛みと苦悩は「ある」』のであり、『むしろそれを無痛化してスルーしうると思い込めたこと、そこにこそ、無自覚な男の暴力の真の源泉があったのではないか』(以上、杉田
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org 院生の頃、法律学を専攻する友人が、川にゴミを投棄する行為を例に取りながら、米国の法体系における「危険」概念について説明してくれたことがある。それ自体は危険行為と言えないが、類似行為を誘発する可能性があり、多量の投棄が誘発されれば住民の生存権を脅かす。つまり間接的な危険行為だと。 2010-12-12 23:18:54
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『バリバラ〜バリアフリー・バラエティー〜』をご存知だろうか? 僕もこことかこことかここで紹介しているが、NHK教育テレビの番組『きらっといきる』の中の月一コーナーである。 これは作り手も司会も演者も、障害者*1が中心となった日本のテレビ史上初の障害者バラエティ番組だ。 そんな『バリバラ』が12月4日2時間特番『笑っていいかも!?』として放送された。 そしてこれは想像していたより遥かに「教育テレビの本気」を感じさせてくれる濃密で凄い2時間だった。もちろん色々なことを考えるきっかけになったし、なにより素晴らしいのは、障害者云々無関係に、抜群に面白いことだ。何度爆笑したことか。 たとえば「日本一面白い障害者を決める」という企画『SHOW−1グランプリ』。 そこに登場した脳性まひの障害を持つ2人、周佐則雄、DAIGOによる「脳性マヒブラザーズ」によるコント「お医者さん」。 医者: 次の患者さん、ど
知的障害をもつ女性(30)が強制わいせつの被害を訴えた刑事裁判で、1審の宮崎地裁延岡支部は昨年9月、女性の「告訴能力」を否定し、検察官の起訴を無効とする判決を言い渡した。「女性には裁判所に訴える能力がない」。公訴棄却判決は、いわば「門前払い」の内容だが、女性の周辺にはその判断への疑問の声が相次いでいる。12月21日に予定される控訴審判決を前に事件の周辺を歩き、司法における知的障害者の人権を考えた。 「携帯で胸を撮られた。みんなに見せるって」。昨年2月24日夕、宮崎県北部の山あいにある福祉作業所。家族や職員ら15人がかたずを飲んで“告白”に聞き入っていた。 きっかけは数日前、女性が友人に相談したことだった。本当だと思った職員は警察官にも同席を頼んだ。 「自分で男について行ったの」という問いに「1回か2回断った。でも早よこれ(車)に乗らんねって怒られた」。「何をされたの」「いやらしいことをされ
前の記事、 ↓【「社会貢献活動」って何?!】 http://d.hatena.ne.jp/yotayotaahiru/20101025/1288019642 のだいぶ遅れた続きです。しかもちょっとインスタントなのをお許しください。 もっと あの記事を書いたあと、例のYOMIURI ON LINEの記事を、 「無利子貸与奨学金を受けるためには『社会貢献活動』をしなくてはならない」 という読み取りは誤読であって、「社会貢献活動」は在学中の義務ではなくて、成績以外に「無利子貸与奨学金」を受けるためのオプションだ、という話がありました。たしかにそう読めば読み取ることはできます。 そそっかしい自分の読解は反省してます。 でも、冷静になったうえで、もうちょっと考えてみました。 文部科学省が「社会貢献活動」というものを無利子貸与の奨学金や大学への補助金という形で経済誘導しようとしている、ということにはか
介護職でも、看護師でも なんでも いいけれども。ケア労働者へ。 ありたい わたし。期待されている わたし。そういう理想像が かたほうに ある。 そして、そうでは いられない わたしが いる。そのとき、ひきさかれるように、つらくなってしまう。そういうことが ある。 武井麻子(たけい・あさこ)『ひと相手の仕事はなぜ疲れるのか―感情労働の時代』に引用されている短歌。朝日新聞に のったもの。 天使にもペテン師にもなりきれぬまま 二年目ナースの今日が始まる これは ないてしまう。ゆらぐ きもち。自信が もてないようす。肯定できずに、くるしい きもち。孤独。そういった感情を 感じさせる。 だけどなあ。これは ほんとうに、あなたは ひとりではないんだ。あなたの ことばに、うなづく ひとが たくさん いる。そして、それが わかったとき、わかちあえたとき、あなたは すこし楽になるだろう。そして、「今日も始ま
テストは なぜ、ひとりで こたえないといけないのか。たすけあっては いけないのか。わからないところを おしえてもらっては いけないのか。「カンニングは いけない」とか、うるせえ! わからないとき、わからないと いう。おしえてほしいことを、おしえてくださいと いう。それって だいじなことでしょう? まちがっているかもしれないと不安になり、確認したいというとき、ちょっと だれかに きいてみる。そういうのって、だいじでしょう? ひとり。もくもくと。だまって。自分のちからで。なんで そんなことばっかり。 自分で べんきょうして、それをテストして、これが わたしの点数。わたしのもの。ほんとうに そう? いっしょに べんきょうしたのに、テストするときは どうして個別テストなの。カンニングしたら点数おまけしてもらうくらいで いいじゃないか。だって がんばってるじゃないか。 協力しあって こたえを さがす
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