ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (19)

  • 人間を繁殖させられない日本動物園、それとフィンランド動物園 - シロクマの屑籠

    www3.nhk.or.jp 日少子化進んでるってよ。 ときの首相が、少子化問題を「国難」と評するようになった。実際、国難だろう。だからといって若い男女を強制的につがいにして、強制的に出産なんてさせられない。 人間が子どもを産まないと社会が破綻するので子どもを産ませるようにするとかいう非人道的な目論見、正直なところ一般市民の立場で肯定できるか?みたいなところがある #社会のためとはいえ俺ごときが他人に対してそこまで侵犯できないでしょってなっちゃう— クロダオサフネ (@kuroda_osafune) 2019年12月26日 個人主義や社会契約のロジックにもとづいて考えるなら、挙児・出産という現象は、当事者の主体性にもとづいたものでなければならないはずである。だから「産め」と強制するのでなく「産みたい」という意志によって、あえて意地悪な言い方をするなら産みたくなる動機付けをする必要がある

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    Ioannes
    Ioannes 2019/12/30
  • 平成30年間の私の適応、みんなの適応、そして進歩 - シロクマの屑籠

    今日、2019年4月30日をもって平成時代が終わる。 前回の昭和64年とちがって時間的猶予のある幕切れであり、今の私にはブログがある。節目の時期に気持ちを書き留めておくなんて、31年前には思いもよらなかったことだ。 なので今日は、平成時代の私自身の社会適応と、社会ぜんたいの社会適応を振り返って、そこから今後のゆくえに思いを馳せてみようと思う。 「私の社会適応」にとっての平成 平成は、バブル景気の賑やかさのうちに始まったから、今後、多くの人が「日の失われた30年」の代名詞として平成という元号を思い出すのだろう。実際、平成のはじめに諸外国を札束で殴っていた繁栄は、平成生まれの記憶には無い。 日人が諸外国にお金をばらまくのでなく、諸外国の人々が来日してお金をばらまくことをあてにするようになった。日人が外国での買い物を割安と感じることが減り、外国人が日での買い物を割安と感じるようになったと

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    Ioannes
    Ioannes 2019/04/30
  • 日本の破局的な少子化と、急ぎ過ぎた近代化 - シロクマの屑籠

    今の20歳が40歳の半分しかいないって当にいい話だと思う。戦争でもあったのかな?— 🦀カニカニカーニバル🦀 (@yu1096) 2018年11月7日 たぶん、このツイートはブラックジョークのつもりで書かれたものだろうが、私には冗談にみえなかった。 「今の20歳は40歳の半分しかいない。戦争でもあったのかな?」というツイート、ジョークのつもりかもだけど、これ、実際戦争に匹敵するようなカタストロフィがあったのに気付いている人があまりいない、ってグロい状況を反映しているなぁ、と思った。— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2018年11月8日 乳児死亡率の低下によって起こる第一の少子化は、それほどカタストロフではないし、アメリカやヨーロッパのベビーブームが証明しているように劇的少子化とも限らない。しかし、東アジア諸国などで今起こっているような第二の少子化

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    Ioannes
    Ioannes 2019/01/07
  • 子どもの権利を守りながら出生率を増やすなら、核家族的な子育てをやめるしかないのでは - シロクマの屑籠

    p-shirokuma.hatenadiary.com 先週公開した、「母親が儲かるようにならない限り、個人主義社会の少子化解決は無理」というブログ記事にはアクセスが集まって、はてなブックマークにも色々なご意見が寄せられた。 だが、全体の半分しか書いていないので、続きを書いておくことにする。 前回は、「女性個人が子どもを産むほど、また、上手に育てるほど、お金が儲かる仕組みにならない限り、女性個人は子どもを育てない」と書いたが、そこではメリットの話しか書いてなくて、責任や負担の話が書かれていない。 はてなブックマークのコメントにも、そのことを察知している人が散見されている。 個人主義社会の少子化対策は、母親が儲かるようにすべきだが、できないので日の衰退待ったなし - シロクマの屑籠 いや、女性は割と少なからず、「自然に」産みたいと思うケースも多いんだよ。ただ、にもかかわらず増えないのは、「

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    Ioannes
    Ioannes 2017/11/16
  • 手の届きにくい“消費の対象”としての子ども・子育て - シロクマの屑籠

    以下は、全国の大半に当てはまる気がするけれども、出生率教育費・意識の高さ・待機児童問題などを考えるに、東京とその周辺に最も当てはまると思うので、そういう前提で書き残しておく。 東京の子育てはハードルが高すぎる 今日、とりわけ東京では、子どもはショーケースの向こう側の存在にみえる。 比喩ではなく、宝飾品のたぐいや、高級ワインや、スポーツカーに近づいていると思う。 少なくとも昭和時代の中頃に比べれば、子どもはショーケースの向こう側の存在に例えやすくなった。 この、洗練された消費社会では、一面において、子ども・子育ても消費の対象だ。消費の対象が“モノ”より“コト”などと言われている今日では、とりわけそうだろう。90年代には、マイホームに暮らす核家族というイメージが消費の対象になったが、10年代においても、幸福な親子の姿は消費の対象たり得る。テレビや動画のCMに出て来る家族像は、イメージであり、

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    Ioannes 2017/09/03
    考えすぎでは?正直、金より時間リソースが足らない。家事ができない配偶者と結婚したらほんと詰む(-_-)
  • 「あなたのセックスの正しさ」が問われる社会が近づいてくる - シロクマの屑籠

    先日、twitterのタイムラインで共感したくなる文章を発見した。 生殖や性病等についての知識は必要と思うが、行為としての正しいセックスを「教育」するのか。まずは優しく抱き締めてキスするのが、部屋に入るなり服を脱がせるより優れているのか。そんなのは当事者間の問題だし、私は私のプライベートな事柄を勝手に規定されたくないと考える— 鴨島の宗教へようこそ (@kamozi) 2017年7月8日 私のセックス観も、これに近い。性行為がどうあるべきかは、カップルそれぞれが決めれば良いことで、自由なカップルの在り方、自由な性行為のありかたがあって良いはずだ、と私も叫びたくなる。 しかしプライベートな関係は、介入を受け続けてきた。 だが、私達の社会の変化や常識の変化を思い出すと、「性行為はプライベートなカップルのもの」という現代の感覚が、いつまで通用するのか怪しく思えてくる。 かつては、家庭の問題の多く

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    Ioannes 2017/07/10
  • 発達障害のことを誰も知らなかった社会には、もう戻れない - シロクマの屑籠

    精神医療が世の中を変えて、世の中が精神医療を変えていく。 そういう視点で、精神医療と世の中の相互作用を眺めていると、つい、ブロガーっぽいことを考えたくなる。 1.昔の精神医療には「狂気」しか無かった。 「発達障害」も「社交不安性障害」も「境界性パーソナリティ障害」も昔は存在していなかった。今日ではよく知られている心の病気が出揃ったのは、20世紀になってからのことだ。 十八世紀には、たったひとつしか心の病気が存在しなかった。狂気 insanity である。狂気という診断が意味していたのは、今日の臨床家が精神病という語で意味しているもの、あるいは口語的に「狂った crazy 」と言われているものだった。「狂気」とは、多くの場合妄想や幻覚を伴ったり、重いメランコリ―や高揚状態を伴うなど、患者が現実となんらかのかたちで接触を失っている状態のことを意味していた。 (中略) 狂気というひとつの病気だけ

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    Ioannes 2017/07/05
  • 遊びや趣味でメンタルを癒せなければ、生きていくのは難しい - シロクマの屑籠

    この世の中を、生き抜いていくために必要なものは何だろうか。 ある人は、勉強ができる能力、効率良く努力する能力を挙げるかもしれない。確かに。そういったものがなければ、学歴やスキルや資格は手に入らないだろう。 また、別のある人は、コミュニケーション能力を挙げる。他人とわたりをつける、他人に共感する、空気を読んだり操ったりする。なるほど、転勤や転職の多い、あちこちで新しい出会いをこなさなければならない現代社会では、コミュニケーション能力が重要なのはそのとおりだと思う。 でも、努力する力やコミュニケーションの力だけで当に十分だろうか? 遊びを持たない者・趣味を持たない者の弱点 私は、自分のメンタルを癒す……というより自己回復させる力を持っていない人は、努力する力やコミュニケーション能力に恵まれていても、世渡りがなかなか厳しいのではないか、と思うようになった。 たとえば、うつ病や適応障害にかかった

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    Ioannes
    Ioannes 2017/06/09
  • あなたは「正しい親」をイメージできますか - シロクマの屑籠

    あなたは「正しい親の姿」をイメージできるだろうか。 「正しくない親」「毒親」をイメージすることは容易い。 子どもを一人で置き去りにする親は正しくない。 子どもに体罰する親も正しくない。 子どもの教育に無頓着な親も正しくない。 不規則な生活や偏った事に無頓着な親も正しくない。 どこかの親にこうした兆候を見てとった時、その親を「正しくない親」「毒親」と指摘するのは簡単である。もっと正しい親になりなさい。間違いを改めて親として適切に行動しなさい。お前はそれでも親なのか! しかし、そうやって「正しくない親」を糾弾した後、「じゃあ、正しい親ってどんな親ですか?」と突き詰めていくと、正しさの権化のような、これもこれで人間離れした親のイメージが連想されることになる。 正しい親は子どもを一人で置き去りにしない。 正しい親は体罰をしない。 正しい親は教育熱心である。 正しい親は、子どもの生活リズムや事に

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    Ioannes 2017/02/16
  • 褒められるためのスキルよりも、褒めるスキル、おだてるスキルのほうが大事 - シロクマの屑籠

    togetter.com 借金玉さんのツイートがtogetterにまとめられていた。タイトルは「AD/HDの仕事の進め方について」だが、後半パートには全ての人に役立つことが書いてある。 心に響いたのは以下のフレーズだ。 いいか、圧倒的に自分より優れた人間を褒めるスキルなんてのはいらないんだ。そんなことは誰でも出来る。犬でも猿でも電信柱でも褒め上げるスキルをつけろ。それだけでとりあえず死ななくて済む。— 借金玉 (@syakkin_dama) 2017年1月12日 リピートアフターミー!「承知しました!」— 借金玉 (@syakkin_dama) 2017年1月12日 「流石ですね!」— 借金玉 (@syakkin_dama) 2017年1月12日 「勉強させていただいてます!」— 借金玉 (@syakkin_dama) 2017年1月12日 こういうのって、何歳になっても忘れてはいけない処

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    Ioannes 2017/01/24
  • 「よく発達した発達障害」の話 - シロクマの屑籠

    ここ十年ぐらいで「発達障害」という言葉はすっかり普及し、そのせいもあってか、外来で「自分が発達障害かどうか調べて欲しい」という相談を受けることも増えた。 精神医療のフォーマルな窓口で発達障害と診断される人の大多数は、社会で生きていくことに困難を感じているか、周囲との摩擦を感じている。そりゃそうだろう、なんらかの事情がない限り、人はわざわざ病院を受診したりはしない。 社会に溶け込んでいる「発達障害と診断され得る」人々 発達障害という名称が世間に広まると同時に、精神科医が発達障害と診断する頻度もだいぶ増えた。過去に他の病名をつけられていた人に正しい病名をつけられるようになったわけだから、これは「進歩」と言って良いのだろう。 そうやって、ちょっと前なら異なる病名をつけられていたであろう人々を発達障害と診断する状況になって、気づいたことがある。それは、「病院で発達障害と診断する基準に当てはまるよう

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    Ioannes 2016/10/18
  • 社会も、理想も、一代限りで食いつぶしてはいけない - シロクマの屑籠

    死んだ後も末永く福祉国家が維持されるよりも,生きているときに国から出来る限りの便益を受けて,自分が死んだらすぐに国家が破綻する,というのが個々人にとってみれば一番経済的にはお得なわけで,それが投票行動に結びつくのでしょうね。— 高橋雄一郎 (@kamatatylaw) February 26, 2016 あなたは死後の世界についてどういう考えを持っているだろうか? これは「死後の魂はどうなるのか」的なクエスチョンではない。「自分自身が死んだ後の、これまで生きていた世界(=この世)ついてどのような考えを持っているのか」である。 この問いには、大きく分けて二つの答え方があると思う。 ひとつは、1.「私が死んでも、家族や知人も含めて世界は続いていく」という考え方。もう一つは2.「私が死ねば、それで世界は終わったも同然だ」「死んだ後の世界のことを考える必要は無い」という考え方だ。 「私が死んでも、

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    Ioannes 2016/03/03
  • 気軽に言及したらブロガーの精神をぱっくり割ってしまいそうで - シロクマの屑籠

    はてな村とか、ブログとかの話雑感。インターネット大好きの話。 - orangestarの雑記 リンク先と関係あるようなないような話をズラズラと書きます。 まず、こうやって「読んで思ったインターネットの話をズラズラ書く」行為が素晴らしいですね。執筆義務に縛られず、カネにもならず、ブログのロイヤリティにも寄与しない、駄目な話を自分のブログにアップロードする。ヒャハ!嬉しいですね! 「何物にも縛られずにブログを書く」とは、こういう感じではないでしょうか。「ブログを書く時はね、誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ」 ってやつです。 誰の記事に反応してもいい。 自分の書きたいことを書いてもいい。 それがほんらいのブログじゃないですか。 儲けやロイヤリティのためにブログをやる人がいるのは理解できるけれども、それだけじゃあ私は寂しい。この『シロクマの屑籠』を、そうした「見世物・

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    Ioannes
    Ioannes 2016/02/16
    はてだ(大学生)からの利用。はあちゅうがはてbで話題だった頃。そんな私も親となり・・・。その頃のはてなは尖ってる人濃い人の集まりみたいなイメージ。私は遠目で観戦。
  • 「世話をする」ことで、おじさん・おばさんになれたと思う - シロクマの屑籠

    おじさん・おばさんになりたがる社会へ - ぼくらのクローゼット ここではリンク先よりも後の話――「いかにして、私はおじさんになっていったか」について触れます。 おじさん・おばさんを見習っていたからといって、私の心理が急におじさん臭くなったわけではありません。ロールモデルとして年長者を見習っていたとはいえ、20代の頃の私はどう考えても若者――おにいさん・おねえさん的でした。 私の心理が格的におじさんっぽくなったのは、やはり、子育てのフェーズが始まって以降なのだと思います。 一言で変化を述べるなら、「自分自身のことが割とどうでも良くなった」。 それと「人生は、個人所有制のものではないんだ」とも。 年少者の育成。家庭。そういったものに私は時間や情熱やお金を賭けてみることにしました。なぜなら、私が敬愛していたおじさん・おばさんは、多かれ少なかれそのようにしていて、そのような暮らしを良いものとみな

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    Ioannes 2016/02/10
  • 現代人のライフスタイルは、子どもの成長が体感しづらい - シロクマの屑籠

    以前勤めていた病院で、こんなことがあった。 40代のラテン系の外国人女性が3歳ぐらいの子どもを連れて来院していた。高齢出産かと思い「かわいいお子さんですね」と伝えたら「いいえ、これは初孫なんです」と言われて私は驚いた。どうしてその年齢で孫がいるのか!?慌ててカルテを確認すると、彼女の年齢は45歳。衝撃を受けた私はいろいろな話を伺った。 子ども時代はきょうだいと遊び。 カレッジを出て間もなく結婚して3人の実子を育て。 そして今は、孫の面倒をみている。 彼女の人生歴史年表をつくったら、その過半は「子どもと過ごした時間」で占められ、「子どもと縁がない時間」は高等教育履修〜結婚までの短期間だけになるだろう。きょうだい〜子〜孫と三代にわたって子どもを相手取った彼女の人生は、つねに子どもの成長を目の当りにするものだった。 いっぽう、現代日人の典型的なライフコースはどうだろうか。 きょうだいの数は少

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    Ioannes 2015/10/18
  • 「人生コスパ論」と不安の防衛 - シロクマの屑籠

    結婚はコスパが悪い URL「コスパが悪い」というよりも「コントロールできないものは要らない」と要約したほうがいいような話が半分くらいを占めてる。俺はそういう人をつまらない人だと思うけれども、まあ人生観の違いだよな。善し悪しの問題ではない。 2015-09-16 10:11:25 via twicca そうそう、これだ。 今月、ネットのあちこちで人生をコストパフォーマンスで語る文章を見かけたが、上記ツイートを読んで私はだいぶ整理されたような気がした。 はじめ私は、人生や子育てや人間関係に「コスパ」という概念を当てはめて躊躇わない表現に、傲慢さを感じていた。なぜなら、人生・子育て・人間関係といったアンコントーラブルで予測困難な事象のコストパフォーマンスを計算できると称するのは思い上がりもいいところ・一種の神様気取りのような気がしたからだ。かりに、人生や子育てや人間関係のコストパフォーマンスを正

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    Ioannes 2015/09/19
  • 人生のコスパを語りたいなら、まず人生のベネフィットを語ってみせろ - シロクマの屑籠

    子供は人生で一番高い買い物だと思う 私はコストパフォーマンスという考え方が半分好きで、半分嫌いだ。少なくとも、この考えが適用しやすい分野と適用しにくい分野があると思っている。 勉強効率やガス代の節約といった分野ではコストパフォーマンスの発想はうまく機能する。昔の人間にはコストパフォーマンスという発想自体が乏しかったらしく、現代人な私がコストパフォーマンスを意識できるのはホモ・エコノミクス的な考え方に馴染んでいるからにほかならない。あるいは「時は金なり」という時間節約の発想にも慣れているからかもしれない。 でも、コストパフォーマンスが適用しにくい分野もある。子育てや家族、友達関係といった分野でコストパフォーマンスを論じ始めると、とたんに具合が悪くなる。具合が悪くならない人も稀にいるようだが、はてなブックマーク上の反応をみてもわかるように、コストパフォーマンスという発想が馴染まずにアレルギー反

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    Ioannes
    Ioannes 2015/09/14
  • 「夫婦に満点を求める社会」の無理ゲー感 - シロクマの屑籠

    全国のお母さん、どうか息子の「性」について正しい知識を持って下さい。 : 人類応援ブログ リンク先には、「全国のお母さん、どうか息子の「性」について正しい知識を持って下さい。」と書いてある。つまり息子の性と適切に向き合えるようになってください、ということだろう*1。 そうは言うけれども、母親が息子の性を適切に取り扱うのは簡単だろうか。 母親が父親(夫)と良好な関係を保ち、男性性も毛嫌いしていないなら、ある程度は可能だろう。そのような母親は、息子の第二次性徴に直面しても不安がったりしない。まあ、実妹の下着を盗んでいるのを見ればさすがに動揺するだろうが……。 しかし仮面夫婦をやっている場合・男性性を嫌悪している場合・成人男性全般と適切な距離感で付き合えない場合は、そうはいかない。母親が息子の性と向き合う行為は、自分自身が取り扱えなかった弱点と向き合う行為に限りなく近い。不安がらずに取り扱うのは

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    Ioannes
    Ioannes 2015/05/16
  • 「良い大学に行きたければ、恵まれた家庭に生まれなさい」――成人の自由にもとづく新しい“世襲制” - シロクマの屑籠

    釣りっぽいタイトルだけど、実際、そうなってきている。形式としては子どもの自由な学業選択は成立しているが、実情としては、生まれた家庭の環境によって大きなハンディやボーナスがつくようになっていて、個人の努力で覆すのは大変難しい。そのさまは、さながら新システムの“世襲制”のようだ。 子ども自身の努力で、どこまで“這い上がれる”のか 戦前の日では、子どもの進路や学歴は限りなく運命に近かった。身分・家庭環境・経済事情・性別・きょうだいの出生順といったものによって、入れる学校や選べる進路が決まっていた。そうした運命に抗らうためには、ずば抜けた素養と、なによりも幸運が必要だった。 戦後はこれが緩和されていった――家庭環境や経済的問題は依然として大きかったが、高校進学率は向上し、やがて大学進学率も高くなっていった。そうした状況下で私立大学や受験産業がマンモス化していったけれども、それらを飛び越え、地方の

    「良い大学に行きたければ、恵まれた家庭に生まれなさい」――成人の自由にもとづく新しい“世襲制” - シロクマの屑籠
    Ioannes
    Ioannes 2015/01/08
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