天下泰平の訪れ 徳川家が豊臣家を滅ぼし、天下泰平をついに成し得たとき、彼らは江戸を拠点として、実質的な全国支配を着々と整えていきました。 一方、そのころ京都では、この新しい武断政権の統制に対抗するように、皇室文化を伝承していこうという気風が生まれ始め、後水尾天皇を中心とする大規模な文化サロングループが創造されています。 それは、祇園会、茶の湯、立花、美術、工芸など、自由で華美な活気にあふれた創造活動でした。 そして、その文化サロンは、主に宮廷人たちと町衆文化人たちによって結集されていたんですね。 たとえば、宮廷人からは、八条宮・智仁親王を筆頭に、青蓮院宮・尊朝法親王、烏丸高廣という面々と、町衆文化人からは、茶屋四郎次郎、角倉素庵、千宗旦、そして、あの本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)というメンバーを中心に形成されていたのです。 町衆というのは、金融業、酒造業、貿易業などの新興産業を生業とするブ