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ブックマーク / shirousagi.hatenablog.jp (149)

  • 太平洋戦争での多大な犠牲は食料生産を疎かにした結果 - ウェブ1丁目図書館

    歴史の学び方は、古い時代から現代に向かって、事件文化を暗記するのが一般的です。学校の社会の授業も、そのようになっています。 でも、自分の人生を振り返る時は、新しい事柄から古い事柄へと記憶をさかのぼっていくのではないでしょうか。 例えば、1年前にテレビを買い替えたことを思い出したとしましょう。なぜ、このテレビを買ったのか。それは予算におさまったから、メーカーが好きだったからなどの理由があるはずです。 「それにしても、高額なテレビを買ったな、なぜそんなにお金があったんだろう。そうそう、あの時は、会社の業績が良くてボーナスが多かったから奮発したんだ。でも、なぜ、このメーカーにしたんだっけ?以前のテレビも同じメーカーだったけど。そう言えば、このメーカはーは他社よりも保証期間が長かったんだ。」 このようにある事柄を起点にして、時を巻き戻すようにして記憶をたどると、なぜ、そのような行動をとったのか、

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    Kaimotu_Hatuji
    Kaimotu_Hatuji 2020/05/10
    こわい話ですね。
  • 伊東甲子太郎の新選組分離は当初から計画されていたものか? - ウェブ1丁目図書館

    幕末の京都で活躍した新選組は、幕府が14代将軍徳川家茂の上洛に際して結成された組織です。 当時の京都では、勤王の志士と呼ばれる浪士たちが暗殺を繰り返しており、上洛した新撰組はその取締りにあたります。新選組が結成されてからの約5年間に殺害された勤王の志士たちは26人。意外と少なく感じます。 そう感じるのは、新選組内部で粛清された隊士が40人もいたからでしょう。新選組は、結成されてから常に内部抗争に明け暮れていたと言っても過言ではありません。 伊東甲子太郎の入隊 新選組の名を世に広めたのは、元治元年(1864年)6月の池田屋事件でした。 その池田屋事件から数ヶ月後、伊東甲子太郎が仲間とともに入隊します。 伊東甲子太郎もまた、粛清された新選組隊士でした。 彼が入隊した目的は、新選組の乗っ取りだったと噂されています。もともと伊東甲子太郎は、尊王攘夷の志が篤く、どちらかというと幕府側の新選組とは思想

  • ビタミンCがウイルス感染症に効果的なのは明らか - ウェブ1丁目図書館

    ある農夫がフィジー島で休暇中にブタ・インフルエンザに感染しました。 大病院でタミフルや抗生物質が投与されるも、容体は悪化の一方。 生死の境をさまよう彼を救ったのは、義兄でした。ビタミンCがウイルス感染症に効果があることを知っていた義兄は、アメリカトーマス・レビー博士にメールを送り、ニュージーランドのジョン・アップルトン医師を紹介してもらいます。 アップルトン医師は、農夫が治療を受けている病院にビタミンCを大量に静脈注射で投与するようにすすめますが、病院側はこれを拒否。やがて、農夫は肺がほとんど機能しなくなり、生命維持装置を外すことを病院から提案されました。 ビタミンCのメガドース療法で生還 この話は、薬学博士の生田哲さんの著書「ビタミンCの大量摂取がカゼを防ぎ、がんに効く」の中で紹介されていたものです。 さて、農夫はその後どうなったのでしょうか。 答えを先に言うと、無事に退院できました。

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    Kaimotu_Hatuji
    Kaimotu_Hatuji 2020/04/19
    へ~!
  • 為政者は移ろいやすい群衆の声に耳を傾けるべきではない - ウェブ1丁目図書館

    1789年。 フランスの財政が逼迫し、国民の暮らしがさらに苦しくなり、遂に暴動が起こります。いや、それは暴動ではなく革命でした。バスチーユを市民軍が陥落させたとの情報はフランス全土に広まり、農民たちが貴族を襲撃し始めます。 狩りの最中だったルイ16世は、ことの重大さに気づき直ちにヴェルサイユ宮殿に戻りました。 押し寄せる群衆 遠藤周作さんの「王妃 マリー・アントワネット 下」では、フランス革命からマリー・アントワネットが革命裁判で有罪になるまでが描かれています。 いつも、人民の前では盛大な拍手で讃えられていたマリー・アントワネット。しかし、ある時期から、群衆の拍手の中に怨嗟の声が混ざっているのに気づきます。フランス財政と庶民の生活の悪化に対する不平不満が彼女に向かい始めたのです。 バスチーユを陥落させた群衆は、ヴェルサイユ宮殿に向かいます。 宮殿を取り囲んだ群衆たちの前に姿を現したマリー・

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    Kaimotu_Hatuji
    Kaimotu_Hatuji 2020/04/05
    鋭い考察。大変化の時代、為政者は命がけにならないといけないのかも知れませんね
  • 異なる2つの視点から読むフランス革命 - ウェブ1丁目図書館

    フランス国王ルイ15世の孫にオーストリア女帝マリア・テレジアの末娘が嫁ぐのをストラスブールのパン屋で働く少女マルグリットが、妬ましく見つめるところから物語が始まります。 遠藤周作さんの「王妃 マリー・アントワネット 上巻」の出だしです。 オーストリアからフランスにやって来たのは、マリー・アントワネット。まだ14歳だった彼女は、両国が手を握り、イギリスやプロイセンの脅威を抑える重要な役割を担わされます。人々は彼女を祝福し、彼女もまた群衆に微笑みを返します。しかし、同じ年頃のマルグリットは、彼女に嫉妬し、「早く死んじゃえばいい」と思います。 高所からフランスを見下ろすマリー・アントワネット フランス皇太子に嫁いだマリー・アントワネットは、誰からもその美貌を賞嘆されます。 どこに行っても、ちやほやされる彼女は、気の弱そうな皇太子には多少の不満はあるものの、豪華に飾られたヴェルサイユ宮殿には魅力を

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    Kaimotu_Hatuji
    Kaimotu_Hatuji 2020/03/29
    面白そうな話の予感
  • 新しいものと古いものが共存する京都 - ウェブ1丁目図書館

    千年の都、京都。 そこには、様々なイメージを持つことでしょう。日らしさを感じる人もいれば、閉鎖的な都市と見る人もいます。 こういったイメージは、事実の面もありますが、作られたイメージであることも多いです。例えば、京都御所は、794年の平安遷都から現代まで同じ場所に変わらず、あり続けていると思われがちですが、実際はそうではありません。むしろ、京都は、多くの人が思っている以上に変化し続けている都市なのです。 現在の京都御所は里内裏だった 考古学・都市史学を専門とする山田邦和さんの著書「京都 知られざる歴史探検 上」では、その名の通り、現代人にあまり知られていない京都が紹介されています。上巻では、上京、洛北、洛東・山科の歴史が3ページほどのコラムで、たくさん掲載されています。 京都御所は現在の京都市上京区にあり、今出川通、寺町通、丸太町通、烏丸通に囲まれた広大な敷地を持つ京都御苑の中に建ってい

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  • 世界史の深さがコーヒーを苦くする - ウェブ1丁目図書館

    仕事終わりや休憩時間の1杯のコーヒー。 なんとも美味しいじゃないですか。香りをかげば気持ちもリフレッシュし、事務作業などで頭や目を使った後は不思議と疲れが消えていくように感じます。 最近では、安価にいただけるようになったので、毎日の生活の中で誰もがちょっとした楽しみとしてコーヒーを嗜むことができます。日々の幸せとは、このようなちょっとした幸福感の積み重ねで成り立っているのでしょうね。 それにしても、あんな真っ黒な物をいったい誰が飲み始めたのでしょうか。 眠ってはいけない コーヒーの起源がいつかは、明確ではないものの17世紀のイタリアでは飲まれていたようです。 東京大学名誉教授の臼井隆一郎さんの著書「コーヒーが廻り世界史が廻る」によると、カルディが、ある時、山羊を新しい牧草地に連れていくと、山羊が興奮して、夜になっても寝つこうとしなかったことが、人類とコーヒーとの出会いであるとの伝承が残って

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    Kaimotu_Hatuji
    Kaimotu_Hatuji 2020/03/08
    よくある歴史の皮肉のような精神論ではなく『循環性のメカニズム』としてとらえる目線は好みです
  • 死霊の怨霊化を防ぐのが弔いの目的 - ウェブ1丁目図書館

    我が国では、人が亡くなると、家族で葬式をしたり法事をするのが、弔いの儀式として定着しています。 弔いの儀式は、古来から行われており、奈良時代に聖武天皇が大仏を造立したのも弔いの一つです。 ところで、弔いの儀式は、どういう意味で行われるようになったのでしょうか。我々現代人は、死者がかわいそうだとの気持ちで葬式や法事を行っていますが、古い日人も同じ感覚を持っていたのでしょうか。 弔いは政治だった 死んだ人をそのままにしておくとかわいそう。だから、葬式をしてあげる。 現代日人の弔いの感覚は、このようなものでしょう。でも、ただ、かわいそうというだけで、昔の日人が死者を弔ってきたのではなさそうです。 宗教学、近代文化史を専門とする川村邦光さんの著書「弔いの文化史」では、日人がどのように死者の霊を弔ってきたのかが解説されています。 死者の霊をそのままにしておくと、怒りを抱き、やがて怨霊になると

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  • 大久保利通が征韓論に反対したのは政敵つぶしが目的 - ウェブ1丁目図書館

    明治6年(1873年)。 征韓論争に敗れた西郷隆盛、江藤新平、副島種臣らが、官を辞して新政府を去りました。 征韓論は、武力をもって朝鮮を開国させようとするものであり、現在では考えられない外交手段です。しかし、明治初年の日では、大多数の人々が征韓論に賛成の立場であり、議会で征韓論を反対した大久保利通や木戸孝允も、基的には武力によって朝鮮を開国させるべきだと考えていました。 それなのに大久保利通は、征韓を主張する西郷隆盛と対立しました。 神功皇后の三韓征伐を信じていた 朝鮮を武力をもって開国させることを正しい行いだと、当時の日人が信じていた背景には、神宮皇后の三韓征伐によって新羅が日に服属したという神話があります。 現在では、三韓征伐は事実ではないと考えられていますが、三韓征伐を事実だと信じていた明治の政治家は、朝鮮は無礼だとし、武力を背景に開国させるべきだと考えます。 一体、何が無礼

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