2013年2月11日のブックマーク (2件)

  • 浅草キッドのコント吉原プロレスを見た1985年 - 植竹公和の日記

    昨日、高田笑学校で浅草キッドのコント吉原プロレスを1985年の渋谷ラママ新人コント大会のキッド初登場以来見た このコントをすでに見ていた経験のある方は植竹さん以外、誰もいない。高田先生も見たことがない。それは番を終えた水道橋博士が僕に語ったものだった。 ストリップ劇場であえて修行して来た浅草キッドならでは特別なコント。 僕らが渡辺正行くんと主催してきた渋谷ラ・ママ新人コント大会 が高田笑学校より遥かに前から行って来たイベントでこのコントを見る目撃者になりえたのだった 写真を見て欲しい。なんだろう?コントをやり終えた充実感と爽快感の水道橋博士の表情 フィールドを走り切ったアスリートのようだ 今回のコントは特別の意味を持った記念的コント、そのためには浅草キッドは髪を剃るのも厭わない芸人魂 彼らのキャリアとポジションからして、もう ここまでやらなくてもいいだろうと止めても恐らく強行してしまう芸

    浅草キッドのコント吉原プロレスを見た1985年 - 植竹公和の日記
    LittleBoy
    LittleBoy 2013/02/11
    “「ヨゴレ芸」とは芸人にとっては勲章であり羨望である その道を通って来たことの誇り それはお客というより対芸人に対して発している威嚇かもしれない”
  • なぜ浅草キッドは、高田“笑”学校でのみ、漫才をやり続けるのか? - 死んだ目でダブルピース

    2月9日放送の「ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ! 」のゲストは水道橋博士だった。 博士は珍しく(たぶんテレビでは初めて)、漫才にかける熱い気持ちを語っていた。 博士:ツービートの弟子でやったから、、、ツービートって当時の漫才ブームの状況の中だと、もう放送禁止だったですよ。世の中の通念から言うと。「ホンネ漫才」って言われたけど。 だからそういう意味で言うと、たけしさんの芸風があるんだから、その「ネクストツービート」じゃなきゃいけない、と思ったネタをやってたんです、ずっと。いまだにそうなんだけど。 それは、なんかテレビの中にあるタブーなんかをネタにしたいし、言葉に発したいし。 で、単純な言語を言えばいいってもんじゃなくて、やっぱそれは練りに練られた台があって、そこの言葉の強度、誰にも負けない強度がある言葉をここで使うんだ、みたいな漫才がやりたくて。それとテレビに合わすっていうのは難し

    なぜ浅草キッドは、高田“笑”学校でのみ、漫才をやり続けるのか? - 死んだ目でダブルピース
    LittleBoy
    LittleBoy 2013/02/11
    “強度のある言葉の選択、あえてデッドボールを投げるうえでの配球、コントロールには細心の配慮を払っている。その作劇が毎回エスカレートしていけば、おのずと独特のスタイルになっていく”