sorp wort(石鹸草) 淡いピンクの花は 10年ほど前に 知人の庭から一株持ち帰ったソープワートだ。 水の中で葉を揉むと泡が出て 石鹸の代わりに使う事が出来るという 昔の知恵だ。 去年はもう消えたかに見えたのに 今年は1メートル程にも伸び 沢山の花を付けて群れている。 原産は南ヨーロッパ。 今は 島国の山の村の「小屋」の周りに 強い風に吹かれて倒れても 次の日には 又シャンと立ち直り スマホで写真を撮る私に 笑顔を向けている。
つい先頃まで咲いていた花が消え 今は オフホワイトの花びらのドクダミが 「小屋」の周りに群れている。 2本を手折り ガラスの瓶に挿す。 苦い香りが 空気に漂い 指に残る。 窓の向こうは強い雨で 緑が重く垂れて たまに 車のタイヤの音が過ぎ去って行く。 夏至が過ぎ 梅雨の季節が始まった。
黒すぐりの実 去年のいつだったか 黒すぐりの枝をチョキチョキと切った。 葉っぱも 花も 実も寂しいのが気になったから。 そのお陰か 今年は葉の色も美しく ふさふさと波打つような姿になった。 小さな花から 黒い実が沢山付いた。 久しぶりに 両手のひらにいっぱいの実をとった。 木の鉢に入れ テーブルの上に置き完熟を待とう。 そして 白い琺瑯のミルクパンで 砂糖を沢山加えて炊こう。 丁寧にアクを取り 煮詰めて照りが出たら火を止め 熱いうちに 白い陶の蓋物に入れ こんがりと焼き バターを塗ったパンの上に たっぷりと 黒すぐりのジャムを 載せているシーンを思い浮かべる。 窓から朝の光がさし テーブルの上のカップから ミルク紅茶の湯気が ふんわりと立ち上る。 そんな事も。
大事にしていた本を 少しずつメルカリに出している。 いらない本だから手放すのではない。 本棚に何十年も並んでいて シミや焼けが出てくるのを見て 誰か読んでくれないだろうか?と 思い始めたからだ。 メルカリに出品して 数年ぶりに購入してもらえた 「13本のパイプ」初版本。 1957年発刊 何と67年前の本だ。 著者はイリヤ・エレンブルグという ソ連の作家。 1891年 ウクライナ・キーウに生まれ 1967年 ロシア・モスクワで亡くなった。 経年劣化で 表紙に焼けやシミのできた 「13本のパイプ」。 パイプ収集家が語り手となり コレクションの 13本のパイプにまつわるエピソードを 次々と紹介していく話だ。 柔らかく 軽い紙の裁断の不揃いが クラフト感を醸し出し それがいい。 夫が約60年前に買った本は 「ソ連時代の本に興味がある」 という学生さんに買われた。 bookoffでは 絶対に買ってく
れん うちから車で15分ほどの所。 私より20歳若い友達と言うか 知人と言うか その人が 小さな山小屋を借りている。 山小屋の周辺の草を 草刈機で刈る代わりに 「山羊を2頭レンタルしたから 見にくる?」 と LINEを貰った。 ケーキを二切れ ラップに包み 軽トラで山道を走った。 白の山羊は草を喰み 黒い山羊は ブルーシートのテントから 私を見ていた。 「黒い山羊は怖がりだから」 私が小屋に入るまで テントから出なかった。 電気カーペットと電気ストーブで暖かい部屋。 育てた綿のふわふわの 沢山のコットンボールが 日当たりのいい窓際に広げてあった。 ちょうど2時間 大いに話した。 しっかり者の彼女は 私に色々と教えてくれ 私は「自分に正直に生きたい」と まるで若者が言う様な事を 恥ずかしげもなく言った。 お昼ご飯に間に合うように 「小屋」に帰った。 150年ほどの年輪の杉の上に エゴの花がパ
佐伯祐三 1924年 アルルの跳ね橋 友達が ゴッホの描いたアルルの跳ね橋に行ってきた と 話してくれた。 そのツアーの数人以外に 観光客はおらず 橋の近くに 「ゴッホの跳ね橋」の 案内板が立っていたと。 佐伯祐三と妻の米子は 1924年にアルルに行き 跳ね橋に出会い 心踊るように その橋を描いたと 米子のエッセイに書かれていたのを思い出した。 1978年 京都国立近代美術館 没後50年記念 佐伯祐三記念展があった。 私はそこで その展覧会の図録を買った。 経年劣化で表紙が色褪せた その図録を 久しぶりにページをめくると 鉛筆で描かれた アルルの跳ね橋が在った。 モノクロの写真だが そのスケッチは空は青く 草は淡い緑に塗られていたのだろう。
今日28日 豪雨と強風。 風で初夏の緑の木の枝が 大きく撓んで揺れた。 雨は 時には霰かと思うほどの音で ある時は 止んだのかなと思うほどの静かさで降った。 雨は 屋根から滴り落ち 下に置いた 大きなポリバケツに溜まる。 晴れが続いた日の 植物にやる水に使う。 今日も バケツに雨はすぐに溜まり 水の表面が 激しく揺れた。 咲き始めたジギタリスの花 葉っぱに 雨の雫がたっぷりと留まり 落ち続けた。 たっぷりと水を吸った 生き生きとした濃い緑。 川の水は黄土色に変わり早い流れで でも 心配をするほどではない。 29日は お天気になるとニュースで言った。 久しぶりの青空と キラキラ光る木漏れ日が 美しいはずだ。
ツタンカーメンの豆ご飯 筍酢味噌辛子和え 初夏 旬の食材の到来。 夫の兄の家庭菜園で採れた「ツタンカーメンの豆」 隣の集落のHさんの竹林で採れた筍4本。 ツタンカーメンの豆は 炊き上がったときは普通の豆ご飯。 保温にして時間が経つと赤飯になる。 今日(19日)は 小雨の1日で肌寒く 朝から ストーブで薪を燃やし続けた。 筍は ストーブの上に載せた大鍋に 糠を入れたたっぷりの湯で じっくりと湯がいた。 まず今日の筍の一品。 自生している山椒の葉 味噌 砂糖 辛子 酢。 すり鉢でゴリゴリと擦り 厚い目に切った 筍の柔らかい部分を さっくりと和えた。 はんなりとした桜色の豆ご飯 食感も嬉しい筍の酢味噌和え。 菜の花色のほうれん草のオムレツと かぼちゃ ちくわ わかめの味噌汁の晩御飯。 指先に残る 筍の皮を剥いた時の香りも嬉しい。
数日 良いお天気が続いている。 強い南風が その気持ちよさに邪魔をする。 シャワーよりも小さな雨粒が 顔にかかるのは 葉桜となった桜の 柔らかな葉の上に見える 軽やかに流れる 白い雲から届くのか? もらったダリアの芋を5個 土に植えたのは二週間ほど前。 狭い花壇の様な所に 良い加減に植えたら芽が出た。 果たして 花が咲くまで辿り着けるだろうか。 ジギタリスの種が風で飛んだのか 小さな芽があちこちに出ている。 来年に花を咲かせると嬉しい。 と書くと 園芸好きに思われそうだ。 「小屋」の周り 花壇の中 ミントが元気に背丈を伸ばし 濃い緑の葉っぱが 質素な小屋の いい彩りとなっている。 私は毎日 その葉っぱや茎を摘み 大きめのガラスのコップに挿し サラダに お茶に 料理にと使う。 そのせいか 繁殖力の強いミントだが 今の所 ちょうどいい力関係で 折り合いをつけている。
1ヶ月の間に 多和田葉子の小説を2冊読んだ。 ずっと気になっていたのに なぜか後回し という経験は誰でもあるだろう。 その中の一人が 多和田葉子だった。 初期 中期 最近の作品とリストの中から選び まず 今回は初期と中期のを図書館から借りた。 「犬婿入り(ペルソナ)」は芥川賞の受賞作 「ヒナギクのお茶の場合/海に落とした名前」は 短編8作からなる。 大学を卒業してからドイツに住み そこで 小説と詩を日本語とドイツ語で書き 写真で見る風貌は 厳しい表情をしている。 そんな数行の前知識だけで 読み始めた。 「犬婿入り」はマグリットの絵のようであり 「ペルソナ」のラストはアバンギャルトの ヨーロッパ映画の様。 「ヒナギクのお茶の場合/海に落とした名前」の 8作も含め どれもシュールで エロティックで LGBTQが登場する。 言葉 単語の意味は深く しかし それは難解ではない。 読後は「後を引く」
アジュガ 京都から 引っ越しの時に持って来た薔薇は あんなに蕾をつけていたのに こちらでは 貧相な風采になってしまい ヒョロヒョロとやっと立っている。 勿論 最近は蕾をつけた事はない。 なんとか 手入れをしないと と思いつつ 10数年が過ぎた。 ブルーベリーも同じだ。 息も絶え絶えに 成長もせずに頑張っている。 増え過ぎて困ると言われている木苺類。 うちでは育たなかった。 かと思えば 植えた栃の実から芽が出て あっという間に 今は2メートルを超える木になった。 細い木だが 一人前の大きな葉っぱを 空に向かって広げている。 ジギタリスも 自生の百合も 毎年 少しずつ増えている。 肥料もやらない。 でも 育つものは育つ。 同じように陽の光を浴びているのに。 問題は土との相性かもしれないと 最近思うようになった。 狭い地面に 色々な草木が植っている。 放っておいても元気なもの 心配しながら 目を
藤の花 雨が降ったり止んだり 南風が吹いたり止んだり そんな日が昨日から続き なんとなく心が騒がしい。 でも そんな事には関係なく 緑は色を変え 木々に咲く花々は 移り変わる。 桜 山桜 梅 木蓮は遠に終わり 今は 薮椿の落ちた花が美しく あちらこちらに淡い薄紫の藤の花が咲き 濃い黄色の山吹の花は 今年は少ない。 「小屋」の前の崖に ガマズミの小さな花が満開で 紫色の花のアジュガが ドアの前に群れている。 ウマノアシガタの黄色の花は 細い茎の上で 風に揺れる。 何種類もの鳥の声が 山の中から聞こえるが 私が分かるのは ツツドリだけだ。 と、良い事ばかりを並べてみた。 自然の天候の厳しさは 想像していただこう。 台風の時は 雨雲レーダーを見て 避難するかどうかを決めている。 絵本「葉っぱのフレディー」は 林の木々達の葉っぱの一生を語っている。 それを読んだ後では 強風で裏返る葉っぱ 枝がしな
29日夕方から 雨が降り出した。 明日まで続くと天気予報で言っていた。 冬の木々の枝から やっと淡い緑の葉が萌出て 私の目と心を喜ばせているのに 明日から一気に 山の色が濃い緑へと移っていくだろう。 「小屋」の周りに植えた木や 自生の木も 日々 姿を変えている。 何をそんなに時を急ぐのか? 淡い緑と言えば 私は春キャベツのサラダを 飽きずに食べる。 綺麗な薄緑の春キャベツを千切りにし 塩 少しの砂糖 粗挽き胡椒 酢 オリーブオイルを振りかけ ボールの中で さっくりを和える。 簡単なサラダだが とても美味しい。 昼ご飯にチキン胸肉のカツを揚げた。 春キャベツのサラダ 湯がいたブロッコリーと人参のナムル じゃがいもと人参のマッシュ。 ミート皿に全部山盛りだ。
27日 午後 買い物の帰り 私が住む山間の村にも そして うちから車で30分の 図書館や道の駅がある所も 田んぼに水が入った。 水面に 山並みや 白い壁の小屋や 空が映っている。 雲も やがてやってくる 飛ぶ燕も映る事だろう。 車で走っていると ハッとする景色が目に入ってくる。 助手席に座っている時は 車が走っているままで 窓から その景色にスマホをかざす。 私が運転している時は 車を止めて 外に出て撮る。 今日の写真は どちらだろう?
郵便局の川向かい 郵便局に荷物を出しに行った。 午後3時過ぎの便に間に合うように。 車のフロントガラスが 霧雨に濡れる。 季節の中で 今が一番美しいのではないか 広葉樹の若葉の芽吹きが嬉しい。 山間のくねくね道の県道と国道を15分。 局長さんと二人の局員さんの郵便局。 送料の計算をしてもらう間 窓口近くにぶら下げてある 色々な切手を見る。 切手を100枚ほど買う時には 「これは国宝シリーズで これは動物シリーズです。 こっちにしましょうか?」と いつも聞かれる。 2ヶ月ほど前に予約していた 藤野千夜氏の 『「じい 散歩」(2)妻の反乱』が届いたと 図書館からメールが来 それを読了。 結局 藤野千夜氏の本を6冊読んだ。 和多田葉子の本を2冊を 今読んでいる。 初期の「ペルソナ/犬婿入り」 中期「ヒナギクのお茶の場合/海に落とした名前」。 私が想像していた「和多田葉子」と随分違うな と言うのが
プリムラ プリムラが咲いた。 夕方になるとネットをかけ 朝にはネットを外す。 これで 鹿に食べられるのを防いでいる。 10年ほど前に 集落の家の庭に咲いていたのを 数株貰って花壇もどきの場所に植えた。 それが 今や幾つもに増えて うちの春の顔になった。 この花が咲く前に 図書館のカウンター横に並んでいた プリムラが主人公の絵本を借りた。 「オーリキュラと庭のはなし」前田まゆみ著。 プリムラ・オーリキュラという花の「人生」を描く。 絵が清々しい。 夕方 暗くなる前の南西の空に 白く輝く三日月が浮かんだ。 そして 日中の暑さがスッと引き 私は 又冬装束になり 「小屋」の中 ストーブに薪をくべた。 真冬と変わらず ストーブの上には ステンレスのヤカンが3個 湯気をあげている。 www.amazon.co.jp
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