福島の被ばく報道はデマだらけ 福島の低線量被ばくをめぐる報道は、実に嘆かわしい。日本社会の知的劣化と言わざるを得ない状況だ。活動家が、自らの存在価値を守るために、意図的に倒錯して騒ぎ立てるのはある意味で仕方がない。問題は、専門家を称する人たちや、報道を名乗る者たちがそれに乗っかって、拡散させることだ。
![福島のエセ科学者による科学信仰の罪](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/a615e41fbf17e95cab0ac8a3cd15fdafeffa8d39/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fcdn.ironna.jp%2Ffile%2Fw480%2Fh360%2F39347aafd13c57defaab660f3de3d5d8.jpg)
福島の被ばく報道はデマだらけ 福島の低線量被ばくをめぐる報道は、実に嘆かわしい。日本社会の知的劣化と言わざるを得ない状況だ。活動家が、自らの存在価値を守るために、意図的に倒錯して騒ぎ立てるのはある意味で仕方がない。問題は、専門家を称する人たちや、報道を名乗る者たちがそれに乗っかって、拡散させることだ。
衣料品通販大手ZOZO(ゾゾ)の新春セールが史上最速で取扱高100億円を突破したとして前澤友作社長が私財から100人に100万円ずつ総額1億円を配る「お年玉」企画をツイッター上で行い、話題をさらった。 企業拡大の一方で低賃金労働者を利用し、貧困や生活困窮を生み出しておきながら、このような「お年玉企画」で人々に夢を見させて、夢を語らせ、成金経営者の承認欲求や満足のために利用する姿は見るに堪えない下品さがある。 私は昨年、コミュニケーションデザイン室長、田端信太郎氏とAbemaTVやツイッターなどで議論を続けてきた。さらに前澤社長ともツイッターでやり取りを行い、彼らの欺瞞(ぎまん)性を指摘し続けてきた。なぜなら、同社は社員が働きやすい企業、従業員が楽しく働ける企業であるという「ウソ」を喧伝(けんでん)してきているためだ。
私は『新潮45』8月号の「杉田水脈論文」への批判を受け、10月号で小論「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」を執筆した。だが、雑誌掲載内容が世に普及する暇(いとま)さえなく、したがって雑誌の内容が社会的糾弾に値するかどうかの世論の醸成が全くないまま、発売初日から、ツイッターの組織戦で小論の完全な誤読による悪罵(あくば)を大量に流布された。そして発行からたった3日で「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」を佐藤隆信社長が詫び、発行1週間で事実上の廃刊となる。全く異常な話ではないか。
医師でジャーナリストである村中璃子氏が、科学的に権威のある雑誌『ネイチャー』が主催するジョン・マドックス賞を受賞したニュースから、改めて日本のマスメディアの特異な現象を目の当たりにした。いわゆる「報道しない自由」ともネットなどで批判される態度である。 ジョン・マドックス賞は、公益に資する正しい科学や根拠を、困難や敵意に直面しながらも、人々に広める努力をした人に与えられるものである。ジョン・マドックスは『ネイチャー』の編集長を長期間務めたことで有名で、その功績を記念して2012年から続いている賞である。ジョン・マドックス賞が日本人に与えられるのは初めてであり、『ネイチャー』のもつ権威と国際的な知名度からも、村中氏の受賞は報道の価値が極めて高いものだったろう。
疑惑の発端になったのは、昨年7月26日に将棋会館で開催された竜王戦決勝トーナメントの久保(利明)九段との対局でした。対局中の私の行動から不正を疑い、(日本)将棋連盟に提案したことがきっかけです。「自分は気持ち良く指したいからルール作りをしてほしい」という趣旨で、対局中の電子機器の使用を規制すべきと訴えていたそうです。その提案後、連盟の理事が対局中の私の行動を監視していたそうですが、報告書にもあった通り、私にはソフト指しを疑わせる不審な行動はなかったのを理事自身が確認しています。 このとき対局したのは、丸山(忠久)九段でしたが、丸山さんは私の行動を「不審に思うことはなかった」とはっきり言ってくださったんです。疑惑の対象となった四局のうち、二局が丸山さんじゃないですか。しかも、その前にも一局指しているんで計三局なんです。つまり、疑惑が浮上してから一番多く指したのは丸山さんだった、ということにな
小池氏を阻む「都議会のドン」の壁 国政の与野党対決の構図が持ち込まれた東京都知事選は、政党の支援を受けない小池百合子氏の圧勝で終わった。女性初の都知事となる小池氏が公約に掲げた「東京大改革」。その前に立ちはだかる「都議会のドン」との全面戦争も、もはや待ったなし。小池氏は選挙の勢いそのままに都政改革の旗手となれるか。 国政の与野党対決の構図が持ち込まれた東京都知事選は、政党の支援を受けない小池百合子氏の圧勝で終わった。女性初の都知事となる小池氏が公約に掲げた「東京大改革」。その前に立ちはだかる「都議会のドン」との全面戦争も、もはや待ったなし。小池氏は選挙の勢いそのままに都政改革の旗手となれるか。
週刊誌的洗礼、というのがあって、誰しも初めてはなかなか度肝を抜かれる。それは、それなりに慎重でそれなりに脇の甘い、フツウの一般社会人が「そんなことはさすがにしないであろう」とごくフツウの感覚で考えることをいとも簡単に飛び越え、少しでも見えた脇の甘さからこぼれ出るものを、サラッと攫っていく根性にある。 (瀧誠四郎撮影) 以前、週刊文春出身の勝谷誠彦氏が週刊朝日の橋下徹氏に関する記事に対する意見を求められ「週刊誌記者としての訓練」という言葉を使っておられた。要は新聞記者になくて、週刊誌記者にあるものについて示唆していたのだと思うのだが、当時、大手新聞社記者というある意味では温室育ちの立場にあった私は、何故か甚くその言葉に感化され、それは一体何であるのか考えた。 当時の私のぬるい脳みそでは、危険なこともちょっと飛ばして書くくらいの度胸や、危険すれすれを見極める眼力くらいにしか想像力が及ばなかった
福島の被ばく報道はデマだらけ 福島の低線量被ばくをめぐる報道は、実に嘆かわしい。日本社会の知的劣化と言わざるを得ない状況だ。活動家が、自らの存在価値を守るために、意図的に倒錯して騒ぎ立てるのはある意味で仕方がない。問題は、専門家を称する人たちや、報道を名乗る者たちがそれに乗っかって、拡散させることだ。
「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)について、左は絶賛、右は全否定、という極端な論評が続いている。折しも、武藤貴也代議士がツイッター上で「SEALDs」を「利己的」などと評して大きな批判を受けた。同議員は直後、週刊誌で報じられた未公開株を巡る不祥事で自民党を離党。またある地方議員は「SEALDsのデモに参加すると就職に不利」などと自身のブログに書き込んだ所、これまた多くの批判を受け、同氏が所属する市議会に抗議の声が殺到しているという。一方、「SEALDs」を「英霊の生まれ変わり」とまで賞賛する、やや度が過ぎた礼賛の声も聞こえてくる。そこまで持ちあげるのは、流石に如何なものかという気もしないではない。 「SEALDs」を目の前にすると何故人は理性を失うのだろう。何故正当な評価ができなくなるのだろう。それは彼らが正真正銘の若者だからだ。若者は無知で馬鹿で何事にも無関心、という
正義とは何か「反ヘイト」という名の差別 在日韓国人らへの憎悪をあおる「ヘイトスピーチ」を根絶するため、日本政府に具体的な対策を求める決議を韓国国会が採択した。決議は韓国に批判的な日本の保守運動や政治家までも、一部の極右団体と無理に結び付ける印象操作との懸念も拭えない。「反ヘイト」という名の差別が広がる現実。正義とは何か。 在日韓国人らへの憎悪をあおる「ヘイトスピーチ」を根絶するため、日本政府に具体的な対策を求める決議を韓国国会が採択した。決議は韓国に批判的な日本の保守運動や政治家までも、一部の極右団体と無理に結び付ける印象操作との懸念も拭えない。「反ヘイト」という名の差別が広がる現実。正義とは何か。
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