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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (2)

  • 平家にあらずんば人にあらず - jun-jun1965の日記

    さっきの・よりんさん(配役宝典)が、「平家にあらずんば人にあらず」は『平家物語』では平時忠「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」(岩波古典文学大系、禿髪(まぶろ))なのを、現行流通形式にしたのは誰かと言っていたので調べてみた。なお『源平盛衰記』では「此一門にあらぬ者は、男も女も尼・法師も、人非人」である。古典大系の注には「仏教で八部の鬼神をいう。人間以下の階級に属する」とある。 最初は、吉川英治『新・平家物語』かなと思ったのだが違うらしい。近デジを使ってみていたら、昭和6年『少年平家物語』(豊島次郎、金蘭社)に「平の一門でない奴は、みんな非人乞だ」とあった。実はこれ、大正14年の入交総一郎編『平家物語』(金蘭社)とまったく同じであることが分かり、つまり豊島次郎=入交総一郎らしいと変な副産物が出たのだが、こう見ると、 「ははーん、『非人』はいかにもまずいので、戦後になって『人にあらず

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    NXn52ezh8saz9Pq 2012/10/01
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  • 「ぶれない」 - jun-jun1965の日記

    私は「ぶれない」という妙な流行語の、自己啓発的な響きがものすごく嫌なのでもちろん自分では使わない。『週刊文春』で坪内祐三が呉智英さんの文庫を評していたのは、へえ坪内は呉智英を読むのかと意外であった。何しろ盟友だか悪友だかの福田和也は「すべからく」を誤用していたことがあるし。そこで坪内は、呉智英はぶれないので、最近は読んでいなかったと書いている。坪内の美意識で、そういう語を使うのかとこれも意外だった。ただ呉さんについては、この数年、漫画と仏教のが主なので、私もあまり読んでいない。 しかし「ぶれない」というのはどういう意味なのであろうか。信念があってそれを曲げないとかそういう意味かと思うのだが、しかしそれは人間として当たり前のことで、宮台や福田和也のように情勢にあわせてほいほい変わるほうがおかしいので、褒め言葉としても、「嘘をつかない」というのと同じくらい、変だと思う。 まあそれはいいとして

    「ぶれない」 - jun-jun1965の日記
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    NXn52ezh8saz9Pq 2012/09/08
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