漏らし難民はどこへ行けばいいのだろう
服を見に来たけど特に気に入るものがない。 今日は撤収しようと考えていたところ、催す。 お店のトイレを求めてさまよい歩き、たどり着く。 きれいだ。トイレットペーパーもある。 メンテナンスのコストがかかっているのだろう。 すまない。何も買っていないのに。 今の俺にはうんこしかできない。 今度何か買いにこよう。 そう誓った寒空の夜。
朝も寝起き即うんこ(かなりの量)したというのに、昼前には既に腹がパンパンに張っている。 腹の張りをなんとかしようとトイレに行くも、わずかな液体のみが申し訳程度に出るのみだったので 両手で腹の下方を押すと、キリリと痛む。しこりのように、なにかがいる気配がする。 そう、うんこだ。新人類などではない。 そのまま両手で腹をグルグルと押し潰すようにさすっていると、次第にプークスクス… と 女学生の密やかな談笑のような屁をふんだんに混ぜながら、途切れ途切れにうんこが出てきた。 そういえば朝の満員電車に揺られている時も、ギュルルと腹が悲鳴を上げていた。 その時は「さっきしたばっかりでしょ!」と、認知症高齢者を宥めすかすように我慢したが やっぱり便は残っていたのだ。 結局朝に続いて、昼も結構な量のうんこをしてしまった。 こりゃ気分がいいわい! とまではいかないが、腹の張りは多少おさまった。 こんな調子で、
はてブで有名なIDの人たちも増田でうんことか投稿してるのかな? そう思うと、少しだけ優しくなれると思うんだ。
ここ最近、そんな感じがする。社会がうんちを許さない風潮というか。 はてブとかTwitterとかまとめサイトとかでは、 「うんちである」ことで被った不利益は自己責任だし、むしろそれ以上に叩かれたりする。 だから皆その隙に付け入られないように、必死こいてうんちじゃないですよ感を出してお互いを牽制しあっている。
今、うんこを年間200本見るという人の記事が話題になっている。 「数の問題じゃない。自分の頭で考えない評価に価値はない」 「結局は個人の嗜好。嗜好の近い人の紹介するものを見ればよい」 色々な意見があり、どれも面白いしほぼ賛同するけれども。 この手の、「価値基準と評価」という事柄について、ずっと考えていることがある。
今トイレ行ったら長くて途切れてない綺麗な一本糞が肛門から出てきた。しかも切れもよかった。 別に便秘だったという訳ではなかったのでその大きさに慄いたけれど、そういえば朝にヨーグルトラテなるものを飲んだのだった。 乳酸菌の効果、すごい。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く