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ブックマーク / deepbluedragon.hatenadiary.com (14)

  • ベンヤミンのアレゴリー論への前哨 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    シンボルとアレゴリーとメタファーとアナロジーの違いは分かりにくい。アレゴリーは比喩と訳されることもあるが、それだとメタファーと区別がつかなくなる。レトリック(修辞)としてのメタファー(比喩)とは区別しないとしょうがない。認知科学ではメタファー(比喩)とアナロジー(類推)はセットで扱われる。つまり二つの事柄の持つ性質を比較対照する点で共通点を持つ。ただし、アナロジーでは性質の対応が明示に行なわれるのに対して、メタファーでは性質の対応は暗黙のうちに行なわれる(太陽系と原子構造、王様の勇敢さとライオンの勇敢さ)。しかしアレゴリーを比喩とするのは(一部を言い当ててはいるが)問題がある。 シンボル(象徴)の典型例は言葉である。言葉は別の何かを表している。これに対して、アレゴリー(寓意)は抽象的な何かを表すとすることがあるが、これだと問題が生じる。「鳩は平和の象徴だ」と言い方をするが、平和は十分に抽象

    ベンヤミンのアレゴリー論への前哨 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • 日本の保守主義理解を考察する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    の保守主義理解は欧米と違っていておかしい。欧米の保守主義は、皆でいろいろとやりとりしながら地道に社会を改良していきましょう、と言う含意があるのに日ではそれがあまり見られない。ロマン主義と一緒にされたり、大衆社会批判と勘違いされたり、反近代主義にされたり、単なる反動と混同されたり、と奇妙なことになっている。 西洋の保守思想はフランス革命の悲惨な結末から生まれた考え方である。代表的な思想家は、バーク、トクヴィル、チェスタトン、T.S.エリオット、ハイエク、オークショットなどがいる。基的に一方的で急激な社会改造を嫌う特徴がある。実際に、その時代によってフランス革命批判や異端嗜好批判や全体主義批判などが保守思想では論じられてきた。その上で、議会活動などの地道な実践的活動が重視されることになる。しかし、日では保守主義がそういう理解をされているようにはあまり見えない。 日で保守主義論者とし

    日本の保守主義理解を考察する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    Nihonjin
    Nihonjin 2016/08/02
    「かといって、全体主義的な大衆社会に対して精神的貴族主義をぶつけること自体が既に近代後進国的でもあるのだが」
  • 木前利秋「メタ構想力」のレビューとその注釈 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    「メタ構想力―ヴィーコ・マルクス・アーレント (ポイエーシス叢書)」 専門書としても一般書としても一長一短な、よくがんばりました賞の人文書 私の個人的な興味とたまたま合っていた内容だったので試しに読んでみたが、褒めるほどでもなく貶すほどでもなく、よく勉強してうまくまとめました!としか感想が出ない。タイトルが「メタ構想力」なのでそれがテーマのなのかと思ったら、所々で触れられてはいるが統一的なテーマと言えるほどのまとまりもない。いろいろな文献を参照していて頑張っている感だけは伝わってくるが、結局のところ何の話がしたかったのかよく分からないままに読み終えてしまった。 タイトルのメタ構想力とは、想像力と同義であるカントの用語の構想力から来た著者独自の言葉で、他人の想像力を想像すると言う意味でメタがつけられている。確かに時々メタ構想力への言及はなされているが、それがそれぞれの論の内容と深く結び

    木前利秋「メタ構想力」のレビューとその注釈 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    Nihonjin
    Nihonjin 2016/08/01
    「私の印象では後期ヴィーコのトピカとはパースのアブダクションに近い」「それら(知覚と言葉)を関連付けるのは想像力や創造力ではないか」
  • 社会的認知についての一般書「心の中のブラインドスポット」の紹介 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    社会的認知とは、社会心理学に認知心理学的な考え方を適用した研究領域であり、色々と面白い研究成果もあるのだが、残念ながら日ではあまり知られていない。そのことについては以前から懸念を抱いていたのだが、社会的認知についての一般書「心の中のブラインド・スポット: 善良な人々に潜む非意識のバイアス」が出ていたのでお知らせしておきます。私自身もほぼ新刊であるにも関わらず、屋の棚にこっそりと並べられているのを偶然に見つけて驚いたぐらいです。きちんとしたレビューを書くのは面倒なので紹介にとどめておきますが、私が中を見た限りではなかなか悪くないだと思います。日では、行動経済学や脳科学のような目立つ領域を除くと、科学的心理学のが一般にはあまり読まれないのはもったいないことです。 このは、社会的テーマについて認知心理学的に研究する領域である社会的認知について、認知科学全般の基礎となる二重過程説に則っ

    社会的認知についての一般書「心の中のブラインドスポット」の紹介 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    Nihonjin
    Nihonjin 2016/08/01
    「黒人や美人を意識的に差別や優遇しているつもりがなくとも、無意識のうちの他とは別の仕方で判断してしまうことが実証的研究から分かっています」
  • ロルフ・デーゲン「フロイト先生のウソ」 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    題名からするとトンデモくさい(私もそう思っていた)。しかし、実は実証的な心理学研究に基づいて書かれたきちんとした著作。おそらく文庫で手に入る心理学の中では最良(かつ唯一マトモ?)な著作です(新書ならマトモな心理学はもっとたくさんある。ダントツで中公新書にいい実証的な心理学のが多い。逆にブルーバックスは怪しい心理学が多い、なぜ?)。 心理学の知識の全くない普通の人が読んで面白いのはたしか*1。でも、心理学の知識がある人が見るともっと面白い(または、さらに不愉快)。なぜなら、ここで批判されているのは主流の心理学説が多いからだ。ピグマリオン効果とかタイプAとか。分かりやすく例を挙げれば、自尊心は高い方がいい(実は自尊心が高すぎるやつは暴力男)とか、正しい自己認識こそが健全だ(実は欝の人の方が正しい自己認識をする)とか、そんなのばっか。それより心理療法には全く効果がないというのに私は爆笑

    ロルフ・デーゲン「フロイト先生のウソ」 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    Nihonjin
    Nihonjin 2012/09/16
    「例を挙げれば、自尊心は高い方がいい(実は自尊心が高すぎるやつは暴力男)とか、正しい自己認識こそが健全だ(実は欝の人の方が正しい自己認識をする)とか」
  • プロレタリアな文学への道 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    宮台真司の右翼/左翼の違いの定義に関連したおもしろい記述を見つけたので、以下にその部分を引用してみよう。 (24)今日、大文字の右翼と大文字の左翼との差異がぼやけていると云々されることが多い。これに惑わされないためには、二つの概念が左右対称ではないことを想起するとよい。左翼の人とは、「私は左翼である」と語ることができるような何者かで−つまり、亀裂、大文字の右翼/大文字の左翼という区別を承認できる何者かである。これに対して、中心に身を置いていること、いかなる「急進主義」をも「流行遅れ」だと断弾するその仕方から判で押したように承認されるのが右翼の人なのである。言い換えると、大文字の右翼/大文字の左翼という区別はただ大文字の左翼の展望からしかそのようなものとして知覚されないということである。これに対し、大文字の右翼は自分を「中心」にいるものとして知覚し、「大文字の総体」の名で語り、亀裂を斥けるの

    プロレタリアな文学への道 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • 蒼龍のタワゴト-評論、哲学、認知科学- - 日本昔話の構造分析

    この論考では日昔話をレヴィ=ストロース流に構造分析したい。神話や昔話の物語分析にはレヴィ=ストロース型以外にも、教訓型、ユング型、プロップ型などがある。教訓型(または社会科学的な機能主義による分析)とは、その物語には属する社会にとって役立つ機能が含まれているとする分析だ。例えば、桃太郎は鬼が島から宝を持ち帰るが、かぐや姫は月に行って戻ってこないが、これは男は仕事で女は結婚という性差役割を教えているといった考え方だ。ユング型の分析は、物語の中にトリックスターなどの元型を見つけだすやり方だ。例えば、浦島太郎を引き止める乙姫は何もかもを自らの元に引き込むグレイトマザーな元型の表れだ、といったように。そして、レヴィ=ストロース型と混同されやすいのがプロップ型の分析だ。レヴィ=ストロース型には構造主義的*1な変換の考え方が含まれているのに対して、物語の流れを見るプロップ型にはそれがない。例えば、桃

    蒼龍のタワゴト-評論、哲学、認知科学- - 日本昔話の構造分析
  • メンタルモデルについて書いてみた - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    メンタルモデルはいくつ想定すればよいのか? http://blog.goo.ne.jp/woodywood/e/47010ceddba25b68da454562eb8eead0 ネット上で調べ物をしていたら、メンタルモデルについて書かれた記事を見つけた。そこに書かれていることに違和感を感じ、さらに検索して調べてもろくな記事に当たらない。しょうがないので少し説明してみる。その前に、少しおしゃべり。 私がメンタルモデルといってすぐに思い出したのは推論のメンタルモデルと文章理解のメンタルモデルだ。前者はジョンソン・レアードによるもので簡単な説明は「考えることの科学」ISBN:412101345Xので説明しない。後者は確か「認知心理学〈5〉学習と発達」ISBN:4130151053はずなので興味のある人は読んでもらうとよい。しかし、どうもどちらもネット上で言及されているのとは違うようだ。と思ってさ

    メンタルモデルについて書いてみた - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    Nihonjin
    Nihonjin 2011/08/10
    「重要なことは単に察知することではなく、きちんとコミュニケーションをとることだ。付き合ったこともない人のメンタルモデルが察知できるわけがない」
  • ヴィゴツキーの書きことば論 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    ロシアの心理学者ヴィゴツキーが論じるように、話し言葉と書き言葉とは全く異なる。話し言葉は(聴覚などの障害がない限りは)普段の生活からごく自然に学ぶことができるが、書き言葉は日常生活の中で自然に学ぶことはできない。これはその人が文字を読み書きできるかどうかとはとりあえず独立した問題だ。他人に通用するような文章を書けない人というのは存在しうるが、他人に話を通用させることができない人なんてあまりいない(でなければ日常生活を営めない)。より正確には、仲間内で内輪に通用する文章は書けても、より一般に通用する文章を書けないことはよくある。なぜだろうか。 話し言葉と書き言葉との大きな違いは文脈依存性である。話し言葉は具体的な文脈の元でなされるので書き言葉と比べると様々な省略が可能である。ヴィゴツキーは独り言・話し言葉・書き言葉と比較して、段々に精緻な語り方が必要とされることを指摘している。独り言は話し言

    ヴィゴツキーの書きことば論 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    Nihonjin
    Nihonjin 2011/08/10
    「仲間内で内輪に通用する文章は書けても、より一般に通用する文章を書けないことはよくある。なぜだろうか」/文脈依存性の話。
  • 知識は経験の代わりにはならない - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    には役に立ちそうもないゴミのような応用学がはびこっている。そもそもの研究者が頭でっかちで話にならない場合を除いても、最大の原因は応用に必死で基礎への理解がないのが最大の原因だ。認知科学は基が基礎科学だと私は思っているが、認知科学に関連した役立たずの応用研究も山のようにある。それらを含めて私は害悪だと感じる。 合理的経営術は複雑な現実では役に立たない MBA風の合理的経営術を説いたというのは未だに出版されていて、結構売れてたりする。MBA風の合理的経営術が役立たずであるという調査結果も既にあるのだが、ここは源から攻める。認知科学でも昔、強い人工知能が流行っていたころに合理的経営術(例えば意思決定法)がもてはやされたときがあって、哲学者のドレイファスがそれをぐちゃぐちゃに叩いてたことがある。合理的経営術とはようするに合理的な情報処理を用いた経営術のことで、様々なアルゴリズムによって問題

    知識は経験の代わりにはならない - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    Nihonjin
    Nihonjin 2011/08/10
    「今や基礎研究は軽視され、(ゴミのような)実学が横行する世の中になった。知識の限界を知らぬものに知識の適切な応用などできない」
  • ベンヤミンとニーチェとの微妙な関係 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    ベンヤミン話を少しだけ。宮台真司はベンヤミンに限らず、いつも分かりやすい説明をしてくれるのに感心する(「尊敬する中平卓馬に言及した文章をアップします」 http://www.miyadai.com/index.php?itemid=336←これに比べて某文芸雑誌に連載の北田氏によるベンヤミン論のヘボなこと)。私はベンヤミンを理解してるとはとてもじゃないが言えないが、ちょっと思ったことがあったので言及しておきます。 ベンヤミンの「ドイツ悲劇の根源」はニーチェ「悲劇の誕生」との対比関係で理解するのがいいと思う。実際にベンヤミンは「悲劇の誕生」の愛読者で、この著作への疑問から「ドイツ悲劇の根源」が生まれたと言える。ベンヤミンとニーチェとの関係は私自身は良く理解できないでいたのだが、この文章を読んでちょっとした理解のための方法を思いついた。それを書くことにします。 ベンヤミンのシンボルとアレゴリー

    ベンヤミンとニーチェとの微妙な関係 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • 進化心理学に疑問を抱く皆様に朗報です、実証研究に基づいた考察本が出ました! - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    能はどこまで能か―ヒトと動物の行動の起源 作者: マーク・S.ブランバーグ,Mark S. Blumberg,塩原通緒出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2006/11メディア: 単行購入: 4人 クリック: 49回この商品を含むブログ (22件) を見るブランバーグ「能はどこまで能か」は生得経験問題に少しでも興味を持つ人にはともかくお薦め。中でもトマセロやエルマンらのを好むような発達に興味のある人には必読。私はへの評価は厳しい方だと思うが、これは絶賛していい。能や生得性に関して思弁ではなく実証性から接近している素晴らしい。これでもう下らない進化心理学話に右往左往しなくて済む。 リドレー「柔らかな遺伝子」も生得経験問題を扱ったお薦めできるだが、それでも話が発生の域をあまり超えないので生得寄りな感じがぬぐえなかった。胚発生時の環境の重要性も扱われているとはいえ、この

    進化心理学に疑問を抱く皆様に朗報です、実証研究に基づいた考察本が出ました! - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • 蒼龍のタワゴト-評論、哲学、認知科学-

    最近、ある認知科学の論文を読んでいたら、このような文章に出会った。 広く知られるように近似ベイズ推論において変分推論とマルコフ連鎖モンテカルロ法は二つの代表的な理論であるが,今のところ集合的予測符号化の数理モデルはマルコフ連鎖モンテカルロ法に基づいてしか理論化されていないことになる.しかし,集合的予測符号化を変分推論の視点から定式化することが不可能であると示されたわけでなく,十分に可能性のある方向性であろう. 谷口忠大 「集合的予測符号化に基づく言語と認知のダイナミクス: 記号創発ロボティクスの新展開に向けて」p.200より これはベイズ推論をする上で、自由エネルギー原理が用いる変分法と集合的予測符号化が用いるサンプリング法とで、近似計算法が異なることに対して、統合可能性について述べた部分だ。これを読んで、ベイズ脳について前に書いた記事を思い出した。 ベイズ脳は認知バイアスを説明できるのか

    蒼龍のタワゴト-評論、哲学、認知科学-
  • ハイデガーにおける論理学と形而上学 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    理性を解明し規定することが正当に且つ必然的に《論理学》と呼ばれるかぎり、西洋的な《形而上学》は《論理学》であるとも言える。存在者たるかぎりの存在者の質は、思惟の視圏のなかで決定されるのである。 ハイデガー「ニーチェ ヨーロッパのニヒリズム」isbn:4582761844.78-9より カテゴリー論と形而上学の関係 ハイデガーの大きな問題点は、科学と技術を安易に同一視しているのと同じように、論理学と形而上学をも一緒くたにしてしまうことだ。この場合、形而上学とはアリストテレス的なカテゴリー論のことであり、トマス・アクィナス経由で西洋哲学が受け継いでる思考法でもある。実際にハイデガーは(若き時分にブレンターノの論文で出会った)トマス・アクィナス的なアリストテレス理解への批判を出発にしているところがある*1。ところで、カテゴリー論とは何か。カテゴリー論とは物事をカテゴリーに分類する議論のことだ。

    ハイデガーにおける論理学と形而上学 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
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