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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (7)

  • 三木清 解釈学と修辞学

    ギリシア人の産出した文化の一つに修辞学がある。それはなかんずくアテナイ文化において――プラトンの伝えるようにアテナイ人は言葉を愛し、多く語ることを好んだ(φιλ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、380-上-9]λγ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、380-上-9] τ κα※[#重アクセント付きι、U+1F76、380-上-9] πολ※[#鋭アクセント付きυ、U+1F7B、380-上-9]λογο)――極めて重要な位置を占めていた。しかし今日、修辞学はほとんどまったく閑却されている。アリストテレスの諸著作のうちでも修辞学に関する書は恐らく最も研究されないものに属している。これに対して現代の哲学においてはなはだ大きな意義を獲得するに至ったのは解釈学である。解釈学はもと文献学の方法であるが、今日それは哲学の一般的方法にまで拡げられ高められている。解釈学もギリシアの啓蒙時代に修辞学

  • 中島敦 狼疾記

    [#改ページ] 一 スクリインの上では南洋土人の生活の実写がうつされていた。眼の細い・唇の厚い・鼻のつぶれた土人の女たちが、腰にちょっと布片を捲いただけで、乳房をぶらぶらさせながら、前に置いた皿のようなものの中から、何か頻(しき)りにつまんで喰べている。米の飯らしい。丸裸の男の児が駈けて来る。彼も急いでその米をつまんで口に入れる。口一杯頬張りながら眩(まぶ)しそうに此方へ向けた顔には、眼の上と口の周囲とに膿み爛(ただ)れた腫物が出来ている。男の児はまた向うをむいて喰べ始める。 それが消えて、祭か何かの賑かな場面に代る。どんどんどんどんと太鼓の音が遠くなり近くなりして聞える。対(むか)い合った男女の列が一斉に尻を振りながら、それに合わせて動き出す。砂地に照りつける熱帯の陽の強さは、画面の光の白さで、それとはっきり想像される。太鼓が響く。乱暴な男声の合唱がそれに交って聞えて来る。尻が揺れ、腰に

    Nihonjin
    Nihonjin 2012/09/14
    「スピノザに倣って、女学生の性行について(…)定理十八。女学生は公平を最も忌み嫌うものなり。証明。彼女らは常に己(おのれ)に有利なる不公平のみを愛すればなり」
  • デイヴィド・リカアドウ David Ricardo 吉田秀夫訳 経済学及び課税の諸原理 PRINCIPLES OF POLITICAL ECONOMY AND TAXATION

    経済学及び課税の諸原理 PRINCIPLES OF POLITICAL ECONOMY AND TAXATION デイヴィド・リカアドウ David Ricardo 吉田秀夫訳 訳序 書はデイヴィド・リカアドウ David Ricardo の主著『経済学及び課税の諸原理』"Principles of Political Economy and Taxation." の全訳である。 リカアドウはユダヤ系の英国人である。彼は、一七七三年、富裕な株式仲買人エイブラハム・リカアドウの第三子として生まれ、幼少にして実際的教育をうけた後、勉学のためアムステルダムに送られ二年の後帰英し、ロンドンで一年間学校教育をうけて、齢(よわい)わずかに十四才にして父を援(たす)けて実業界に入った。二十一才の時クエイカア教徒の女と結婚し、自らもクリスト教徒に改宗したために、父との間は不和になり、ために彼は父から独立

  • 老年と人生

    萩原朔太郎 老いて生きるということは醜いことだ。自分は少年の時、二十七、八歳まで生きていて、三十歳になったら死のうと思った。だがいよいよ三十歳になったら、せめて四十歳までは生きたいと思った。それが既に四十歳を過ぎた今となっても、いまだ死なずにいる自分を見ると、我ながら浅ましい思いがすると、堀口大学(ほりぐちだいがく)君がその随筆集『季節と詩心』の中で書いているが、僕も全く同じことを考えながら、今日の日まで生き延びて来た。三十歳になった時に、僕はこれでもう青春の日が終った思い、取り返しのつかない人生を浪費したという悔恨から、泣いても泣ききれない断腸悲嘆の思いをしたが、それでもさすがに、自殺するほどの気は起らなかった。その時は四十歳まで生きていて、中年者と呼ばれるような年になったら、潔よく自決してしまおうと思った。それが既に四十歳を過ぎ、今では五十歳の坂を越えた老年になってるのである。五十歳な

    Nihonjin
    Nihonjin 2012/01/06
    「多少人生というものの楽しさを知ったのは、中年期の四十歳になった頃からであった。その頃になってから、漸(ようや)く僕は僅(わず)かなりにも、多少原稿料による収入が出来、親父の手許(てもと)を離れ」
  • 作家別作品リスト:紫式部

    公開中の作品 源氏物語 (新字新仮名、作品ID:362)     →与謝野 晶子(翻訳者) 源氏物語 01 桐壺(新字新仮名、作品ID:5016)     →与謝野 晶子(翻訳者) 源氏物語 02 帚木(新字新仮名、作品ID:5017)     →与謝野 晶子(翻訳者) 源氏物語 03 空蝉(新字新仮名、作品ID:5018)     →与謝野 晶子(翻訳者) 源氏物語 04 夕顔(新字新仮名、作品ID:5019)     →与謝野 晶子(翻訳者) 源氏物語 05 若紫(新字新仮名、作品ID:5020)     →与謝野 晶子(翻訳者) 源氏物語 06 末摘花(新字新仮名、作品ID:5021)     →与謝野 晶子(翻訳者) 源氏物語 07 紅葉賀(新字新仮名、作品ID:5022)     →与謝野 晶子(翻訳者) 源氏物語 08 花宴(新字新仮名、作品ID:5023)     →与謝野

  • 寺田寅彦 マーカス・ショーとレビュー式教育

    アメリカのレビュー団マーカス・ショーが日劇場で開演して満都の人気を収集しているようであった。日曜日の開演時刻にこの劇場の前を通って見ると大変な人の群が場前の鋪道(ほどう)を埋めて車道まではみ出している。これだけの人数が一人一人これから切符を買って這入(はい)るのでは、全部が入場するまでに一体どのくらい時間が掛かるかちょっと見当がつかない。人ごとながら気になった。 後に待っている人のことなどはまるで考えないで、自分さえ切符を買ってしまえばそれでいいという紳士淑女達のことであるから、切符売子と色々押し問答をした上に、必ず大きな札(さつ)を出しておつりを勘定させる、その上に押し合いへし合いお互いに運動を妨害するから、どうしても一人宛(あて)平均三十秒はかかるであろう。それで、待っている人数がざっと五百人と見て全部が入場するまでには二百五十分、すなわち、四時間以上かかる。これは大変である。 こん

    Nihonjin
    Nihonjin 2011/09/09
    「一体「教えるためには教えない術が必要である。」というパラドックスが云わば云い得られなくはない」
  • 寺田寅彦 学位について

    「学位売買事件」というあまり目出度(めでた)からぬ名前の事件が新聞社会欄の賑(にぎ)やかで無味な空虚の中に振り播(ま)かれた胡椒(こしょう)のごとく世間の耳目を刺戟した。正確な事実は審判の日を待たなければ判明しない。 学位などというものがあるからこんな騒ぎがもち上がる。だからそんなものを一切なくした方がよいという人がある。これは涜職者(とくしょくしゃ)を出すから小学校長を全廃せよ、腐った牛肉で中毒する人があるから牛肉をうなというような議論ではないかと思われる。 こんな事件が起るよりずっと以前から「博士濫造」という言葉が流行していた。誰が云い出した言葉か知れないが、こういう言葉は誰かが言い出すときっと流行するという性質をはじめから具有した言葉である。それは、既に博士である人達にとっても、また自分で博士になることに関心をもたない一般世人にとっても耳に入りやすい口触わりの好い言葉だからである。

    Nihonjin
    Nihonjin 2011/07/18
    「ずっと以前から「博士濫造」という言葉が流行していた」/へえ。
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