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歴史と東南アジアに関するOKU_s62のブックマーク (8)

  • 田中角栄のいないタイと中国は「中進国の罠」を乗り越えられるか? | JBpress (ジェイビープレス)

    タイで軍事クーデターが発生した。現在までのところ、大きな混乱も生じていないために、経済への影響は限定的との見方も広がっている。しかし、中長期を見たときに、経済成長に悪影響を及ぼすことは明らかだ。タイは「中進国の罠」にはまった。 アジアは1980年頃から奇跡の成長を続けてきたが、ここに来て成長の鈍化が顕著である。その代表がタイと中国だ。両国ともに1人当たりのGDPが5000ドルを超えて、先進国の目安となる1万ドルまで、あと一歩というところに来た。開発途上国の優等生である。 しかし、真に先進国になるためには「中進国の罠」を乗り越えなければならない。アジアにおける「中進国の罠」とは、経済発展に伴い農工間格差が広がり、政治が不安定化することである。 必然的に生まれる都市と農村間の経済格差 経済発展とは、ごく簡単に要約すると、農業が主な産業であった社会から工業やサービスが主体となる社会に変わることに

    田中角栄のいないタイと中国は「中進国の罠」を乗り越えられるか? | JBpress (ジェイビープレス)
  • 十六~十七世紀、海を渡った日本人~倭寇、奴隷、傭兵、朱印船、キリシタン | Call of History ー歴史の呼び声ー

    十六世紀から十七世紀、戦国時代中期から江戸時代初期にかけて、多くの日人が海を渡り、東南アジアから東シナ海にかけて様々な活動を行った。海を渡った日人はどのような人々だったか、大きく(1)倭寇(2)武士・雑兵(傭兵・奴隷)(3) 商人・労働者(4) キリシタンの四つに分けられる。もちろん、分けられると言ってもその境目は厳密ではない。むしろ、その重なり合っている様がまた時代性を表してもいる。 (1)倭寇倭寇とは何か倭寇の活動は大きく二期に分けられる。前期は高麗で史料上倭寇という言葉が頻出しはじめる1350年ごろから十五世紀末にかけての時期で、1375年ごろから活動が頂点に達し、朝鮮半島沿岸を襲い、略奪・殺戮を繰り返した。最盛期には300~500艘の船団を形成し、千数百の騎馬隊と数千人の歩兵を乗せ女性や子どもを伴っていたという。1419年、倭寇の根拠地となっていた対馬に李氏朝鮮が大規模な討伐軍

    十六~十七世紀、海を渡った日本人~倭寇、奴隷、傭兵、朱印船、キリシタン | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • スンダランド - Wikipedia

    現在 タイランド湾からカリマンタン島にかけて大陸棚が広がっている 氷期の海岸線。 サフールランドをなす大陸棚とスンダランドをなす大陸棚の間に、「ワラセア」という陸地がある。アボリジニの先祖たちはこの群島伝いにサフールランドへと渡っていった スンダランド(Sundaland)とは、現在タイの中央を流れるチャオプラヤー川が氷期に形成した広大な沖積平野の呼称。 概略[編集] スンダランドと想定されている範囲は、現在ではタイランド湾から南シナ海へかけての海底に没しており、マレー半島東岸からインドシナ半島に接する大陸棚がそれに当たる。氷期に、海面が100メートル程度低くなり広大な平野であった。最近では、紀元前70000年頃から紀元前14000年頃にかけてのヴュルム氷期には陸地であった。紀元前12000年頃から紀元前4000年にかけて約8000年間にわたる海面上昇により海底に没した。オセアニアにもオー

    スンダランド - Wikipedia
  • シュリーヴィジャヤ王国 - Wikipedia

    シュリーヴィジャヤ王国(シュリーヴィジャヤおうこく、Kerajaan Sriwijaya/Srivijaya、スリウィジャヤ)は、インドネシアやマレー半島、フィリピンに大きな影響を与えたスマトラ島のマレー系海上交易国家。漢文では「室利仏逝」と音訳表記される。また、アラブの資料では「ザバック」「サバイ」「スブリサ」の名でみられる[1]。王国の起源ははっきりしないが、7世紀にはマラッカ海峡を支配して東西貿易で重要な位置を占めるようになった。 概要[編集] シュリーヴィジャヤ王国は、7世紀のマラッカ海峡の交易ルートを広く支配し、多くの港市国家をしたがえる交易帝国であり、東はスマトラ島のジャンビ、西はマレー半島西岸のクダないし北スマトラと、海峡の両端に2つの拠点をもっていた。この海上帝国は、スマトラからマレーにまたがる連合国家で、中国やインドともさかんに通商をおこなった。旅行者[誰?]の記録ではス

    シュリーヴィジャヤ王国 - Wikipedia
  • 韓国人「1950年代~1960年代のフィリピンをご覧下さい」 : カイカイ反応通信

    2013年05月04日13:33 韓国人「1950年代~1960年代のフィリピンをご覧下さい」 カテゴリ韓国の反応歴史 195コメント 韓国のネット掲示板に「1950年代~1960年代のフィリピンをご覧下さい」というスレッドが立っていたのでご紹介。 1. 韓国人(スレ主) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 この時代は、現在のフィリピンの国民が最も懐かしがる時期でもある 当時、戦争貧困にあえぐ韓国よりも余裕があって豊かな暮らしを享受していた しかし、続く独裁と腐敗した政治によってフィリピンの国力は退化、あるいは横ばいが継続的となる ちなみに、この当時のフィリピンが、最貧国である韓国に支援をしたということは事実だが、一般的に知られている「奨忠体育館建設」の噂は、フィリピンではないとされている 翻訳元:http://www.ilbe.com/1165584562

    韓国人「1950年代~1960年代のフィリピンをご覧下さい」 : カイカイ反応通信
  • U-1速報 : インドネシアでの日本人の活躍が健気すぎる……

    2012年03月07日08:30 インドネシアでの日人の活躍が健気すぎる…… カテゴリ国際 368:例えばこんな日びいき 32:2012/03/03(土) 21:29:30.49 ID:p9IrX60I ここ数日、インドネシア独立について書いているうちに、 結構な文書量になってしまいました。3回くらいに分けて投稿します。 黄色い人とムルデカ ① ムルデカとはインドネシア語で独立のことです。 大航海時代より長きにわたりオランダの植民地とされたインドネシア。 何世代にもわたる苦難の生活の中、現地の民衆には、ジョヨボヨ王の民族叙事詩の 一説からとられた「予言」が語られていました。 「第5の時代、北方から『黄色い人』たちがやってきて、『白い人』を追い払う。 『黄色い人』もインドネシアを支配するが、トウモロコシの花の咲く前に去っていく」 これが、当に予言なのか、あるいは民衆

  • 世界史講義録

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 雲南省は中国のアキレス腱 黄金の三角地帯と国民党残党~中国株式会社の研究(143) | JBpress (ジェイビープレス)

    例えは変だが、ある意味では東南アジアの「クルド人」と考えればいいのかもしれない。 国境のミャンマー側では1990年代まで「シャン族独立運動」が活発だったらしい。そのリーダーは「クン・サ」と呼ばれた男で、「張奇夫」なる中国名まで持っていたそうだ。 張奇夫は1934年生まれ、2007年にヤンゴンでその数奇な人生を終えたという。今回のテーマはこの謎多き「張奇夫」なる麻薬王である。(敬称略) 前々回お伝えした通り、筆者がミャンマーに関心を持ったきっかけは、ある中国友人の一言だった。念のため、彼の発言を再録させていただく。 「中国はミャンマー情勢を内心強く懸念している。あまり知られていないが、ミャンマー北部には中国系ミャンマー人が住んでいる」 「彼らは独立心が強く、様々な問題を起こしている。今後ミャンマーで政治改革が進めば、ミャンマー国内はもちろんのこと、中国にも悪影響が及ぶことをとても心配してい

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