2009年12月10日のブックマーク (5件)

  • よおーし、私の「一瞬である部分」を「オープン」にしちゃうわよお! www - 消毒しましょ!

    [性]性暴力は自衛可能か? 単なる大野さんのエントリの劣化コピー。稚拙で不正確な言い回しが多く、わざわざ性被害にあった人の手記まで持ち出しておきながら、それを斜め読みした上でテケトーに書き散らしている点は醜悪。真面目にこの問題を取り上げているとはとても思えない。 他者と信頼関係を結ぼうとする中で、加害者は被害者に性暴力をふるう。 「他者と信頼関係を結ぼうと」して「性暴力をふるう」「加害者」などいるであろうか。「性暴力をふる」った結果、「他者」との間に「信頼関係」を構築することが可能だなどと思っている「加害者」などいるであろうか。いたとしてもストーカー気質の自己中心的なバカくらいのものであろう。取り上げられた2つの実例いずれにおいても「加害者」は、「信頼関係を結ぼうとする中で」ではなく、信頼関係を悪用して「性暴力をふる」っている。道を聞くフリをして手篭めにした女性と「信頼関係」が築けると「加

    よおーし、私の「一瞬である部分」を「オープン」にしちゃうわよお! www - 消毒しましょ!
    PAGZIN
    PAGZIN 2009/12/10
  • 性暴力は自衛可能か? - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    0.文に入る前に 最初にお断りをします。この記事では、直接的な性暴力の被害経験の触れています。性暴力についての記述を読んだときに、気分が悪くなったり感情がセーブできなくなったりすることがあります。被害経験がある人はもちろん、そうでない人もご注意ください。(そうした記述を、身を守るために読まない、という選択もあるべきだと、私は思っています) 次に上記以外の理由で読む気がない人向けに、結論を書いておきます。 【結論】 性暴力において、被害者を出さないための、決定的な方策はいまだみつかっていない。他者と信頼関係を結ぼうとする中で、加害者は被害者に性暴力をふるう。加害者が性暴力という行為に至るメカニズムは、判明していない。他者とのつながりを求める限り、親密な関係におけるレイプは、防ぎきれない。だが多くの人々は、他者との親密な関係を拒絶することを、選ばないだろう。そこで、性暴力の危険性を認知しなが

    性暴力は自衛可能か? - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
  • いかのおすしと「自衛に関する社会的合意」 - セイキキ

    いかのおすしポスター実は、昨日のエントリで、クリスティーナ・アギレラのプロモーション・ビデオを取り上げたことには、とある意味を込めている。その曲のテーマが今回の議論に合致していると思ったということが、その一つである。もう一点は、このプロモーション・ビデオの中でアギレラは男から不意に尻を触られるのであるが、彼女はそのときスカートを履いてはいなかった、ということを見てほしかったのである。しかし、この様子を見て曽野綾子や自衛厨が「こりゃ、アギレラには責任ないよ」ということは考えられない。となると「被害に遭いたくなければミニスカ履くな」、「スカート丈にも注意を」という時の「スカート」もやはりメタファーなのである。曽野綾子の元々のコラムでは「太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある」と述べられていたので、アギレラのショートパンツでも曽野の基準には引っ掛かるのだが、そ

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    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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    PAGZIN
    PAGZIN 2009/12/10
    直接に一次加害をなくそうとする方法と比べて、このほうがわれわれ男性にとっても負担が軽いので賛成。
  • Gazing at the Celestial Blue 「それ」がもたらす「社会の『常識』」

    たぶんほとんどの女性はさ、男性に性欲の対象として消費される存在としての「女という性別」を、うっすらとであれ理解して受け止めてると思うよ。積極的にじゃなくて、消極的に、事実として受け止めるしかないっていう感じで。 だから痴漢に対しても、心のどこかで「しょうがない」って思ってる。一部にそういう性癖の人間がいることを、そして通り魔同然にたまたま自分がその対象になってしまったことを、不運な事例として黙って心にしまってしまう。 性犯罪は、確かに、ごく一部の悪質な人間のすることだ。それらは被害者をモノ扱いしている訳で。 だが、この、モノとして消費される・扱われる・値踏みされる感覚というのは、不意ながら覚えがある。 『消費される存在としての「女という性別」』という表現に、どきりとして思い出した件があった。 学生時代、どういう話の流れでそうなったのかの記憶は定かではないが、先輩後輩&男女入り交じった5-